デビュー戦の悔し涙を忘れない。ロッテ小島の原点

千葉ロッテマリーンズ
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【今季、ローテーションに定着した小島】

 忘れもしない。今季、開幕から一軍ローテに定着をしている小島和哉投手のプロデビューはまさに悪夢だった。昨年4月4日のメットライフドームでの埼玉西武戦。プロ初登板が先発。大役を任され意気揚々とマウンドに上がったルーキーはいきなり鼻をへし折られることになる。

 「二軍戦で状態は良くてある程度、行けるイメージはあった。今思うと甘かった」と小島はあの日を振り返った。

 先頭を三ゴロに打ち取り1アウト。上々の立ち上がりだったが勝負の世界において一寸先は闇だ。一転、地獄に落ちた。2番源田壮亮内野手の三塁へのボテボテの当たりが内野安打となると平常心を失う。目の前で打席に立っているのはテレビで見ていた憧れのスター選手ばかり。ストライクが入らない。秋山翔吾外野手、山川穂高内野手に連続四球で満塁。そして5番の森友哉捕手に右中間を割られる走者一掃の三塁打を浴び3失点。その後も1点を失う。初回4失点。しかしこれだけでは終わらない。二回も4失点。結局、2回を投げて被安打7、4四球、8失点でマウンドを降りる。

 「めちゃくちゃ緊張をして、マウンドでどうしていいか分からなくなった。今までの野球人生でこんなに打たれたことはなかったと思う。プロの厳しさを改めて感じた」と小島。

 浦和学院出身。地元埼玉での試合とあって両親も含めて多数の知人が応援に来てくれていた。しかしマウンドでの雄姿を見せることなくトボトボと肩を落としながらベンチに下がった。「親も見ていてきっと辛かっただろうなあと思います」。あの時、スタンドで見守ってくれていた両親の心境を考えると今でも胸が痛くなる。試合後、寮の自室に戻ると悔しさがこみあげてきた。涙が止まらない。「めちゃくちゃ泣きました」と小島。一晩、枕を濡らした。ただ、この悔し涙を忘れないと誓った。だから次の日から徹底的に自分を見つめ直した。二軍落ち後は二軍投手コーチたちに指示を仰ぎながら自分の投球を見つめ直す作業を始めた。
 
「あの試合の映像は二度と見たくはないほど嫌な思い出ですが10回以上は見ました。見ないと前に進まない。なにが悪かったのか、どこか課題なのか。必死に考えた」(小島)
 
武器となるボールはストレート、カットボール、チェンジアップ。中でも伝家の宝刀 チェンジアップがストライクゾーンに入らない、もしくは打者が振ってくれないと勝負にならない。勝負球の精度を上げることに注力した。そしてクイックなど細かい部分を徹底する作業も繰り返した。二軍落ちする際に吉井理投手コーチから「下で投げている姿はしっかりと見ているから頑張れ」と言葉を掛けられたことも励みとなった。この年の8月14日の北海道日本ハム戦(東京D)でプロ初勝利を挙げると3勝。そして今季は開幕からずっとローテの一角としてチームの勝利に貢献している。
 
 人生においてなにが幸運に繋がっているかは分からない。小島が「あの試合はとんでもない試合。地獄すぎる」と言う屈辱のデビュー戦だが「でも、めちゃくちゃ原点です。あの試合がなかったら今はない」と今もその時、感じた想いを大切にし、その後のステップアップのキッカケとなった。思えば、あの日から野球ノートもつけるようになった。登板後に必ずその試合の反省点、良かった点、課題など想った事を明記する。そして次回登板まで改善点を元にどのように過ごすかを明確化させる。「時間を無駄にしたくない。日々、成長したいので」と小島。これもまた1年目に味わった悔しさが原点にある。人は成功体験からではなく悔しさ、辛い想いを糧にして成長していく。背番号「43」はこれからもいつまでも、あの日、頬を伝った涙を感触を忘れずにマウンドに上がる。涙の数だけ強くなれる。

文 千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原紀章
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