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(武将・立花宗茂)

柳川の立花宗茂に学ぶ

BOATRACE

 『領民の幸せこそ第一の義とせよ』

柳川の立花家に伝わる家訓である。「周りの人たちに支えられているからこそ周りの人たちを幸せにせよ、という教えは代々伝えられ、私たちの心に刻まれています」。18代目の立花千月香さんはこう語っている。18代目とは、西国最強といわれた武将・立花宗茂から数えてのことである。

権謀術数の時代にあって清廉で柔軟、小大名でありながらめっぽう強かったばかりか、芸事にも造詣が深かった立花宗茂は柳川領主であった。九州平定の武勇功績をもって秀吉から領地を与えられている。当然、関ヶ原以前のことだ。
その関ケ原合戦の日、宗茂は大津にいた。西軍の中核部隊として反逆者の討伐に奔走していたのである。その最中に天下分け目の合戦が起きてしまう。一説には、家康が宗茂の居ぬ間に決戦を仕掛けたといわれている。

そして、西軍は敗者となる。
宗茂は大坂城を経て領地に戻るのだが、柳川城で籠城戦をすることなく身を捨てている。加藤清正の説得に応じているのだ。清正は『城を明け渡せば家臣や領民は引き続き守る』と言ったと伝えられている。
宗茂は、『改易』という身分はく奪処分を素直に受け入れ、浪人として身をやつしたのだ。
『西国一』『天下無双』と怖れられるほど強いのに、裏読みしない人柄がわかる。

すべての家臣や領民の行く末を案じ続ける言動に終わりはなかった。およそ20年の歳月を経て、幕府は旧領柳川の城主復帰を許すことになる。関ヶ原の西軍で旧領に戻れたのは立花宗茂だけである。
当然、宗茂は柳川を大切にした。ちなみに、詩人で童話作家の北原白秋は柳川で育っている。
立花宗茂の教えの電池が400年もの長きにわたり切れないのは、自らの利益を度外視し命がけであったことと無縁ではないだろう。

(柳川藩主立花邸 御花 公式ホームページより 国指定名勝 立花氏庭園)

その精神を脈々と受け継ぐ柳川藩主立花邸御花の大広間で、きょう12日17時から『九州交響楽団×御花 -日本庭園を眺めるクラシックコンサート』が開かれる。連歌をはじめ蹴鞠や茶道・香道をたしなんだ宗茂の美を愛する心がここにもつながっている。まさに文武両道の真髄である。
チケットはあいにく完売となっているが、遠くから静かに心を寄せるのもいい。

(ボートレーサー養成所公式ホームページより)

『…不撓不屈の精神を涵養します。さらに、人間性を豊かにし、愛情を深めることができるよう「礼と節」に基づく躾(しつけ)教育を実施し、人格者を育成します…』などを教育訓練の方針とする『ボートレーサー養成所』は、そうした歴史を紡いできた柳川市大和町にある。

(ボートレーサー養成所公式ホームページより)

単に強いだけでなく、気高い精神をもつ若者が旅立つにふさわしい地が柳川である。

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BOATRACE
クラブ説明文

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