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(C)BOATRACE

『大村』と東京の公園は深い縁で結ばれている

BOATRACE

 上野公園の東京都美術館の前に外国人の像がある。
誰もが集える公園の必要性を説いたオランダ人は政府に招請される前、長崎県大村の『医学伝習所』で教頭を務めていた。

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名板には『ボードワン』(1820年〜1885年)と刻まれているが、「ボードウィン」という人も多い。

明治6年(1873年)、「予定地を申し出よ」という公園選定令に対し、東京府は上野の寛永寺領他を申請したと記録が残っている。
江戸時代まではなかった『地位や身分に関係なく市民ならば誰もが入り楽しむことができる場所=公園』という概念がここで初めて生まれる。ボードワンのおかげである。
この令によって全国25ケ所に『公園』ができることになるのだが、第1号こそが『上野公園』である。
余談ながら、明治8年(1875年)には大村藩士で大久保利通の腹心だった楠本正隆(1838年〜1902年)が東京府知事に就いている。つまり上野公園の建造に大村ゆかりの人物が深くかかわっていたのである。

(長崎文献社 刊行 『長崎偉人伝』)

大村といえば、長岡安平を忘れてはならない。公園計画や景観設計の専門家である。
元大村藩の先輩・楠本正隆を慕って東京に出たのだ。以降、長岡は尊敬する楠本の意志を形にすべく公園設計を追究していくことになる。

「公園は一般の人々や子どもたちを歓待するため、特に注意して設計しなければならない。すでにある自然の地形をできるだけ利用し、眺望のいいところや緑陰の濃い林間、水が澄んでいる流水のあたりにはつとめてベンチや東屋(あずまや)を置くべき…」というのが長岡安平の思想であった。
芝公園や日比谷公園をはじめ、秋田千秋公園など全国180もの公園設計に係わった偉才は大村の誇りである。

(芝公園 東京観光公式サイトGO TOKYOより)

日本でいえば社寺のように、また西洋式ホテルのロビーのように、空間を所有せず広く開放する思想は気高く崇高といえる。
『公』という思想をカタチにした大村の地を想うと、ボートレース大村の過去や今と重なるところが多い。そして何より、ボートレースは『公』営競技であるという原点を教えてくれる。

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