【新日本プロレス】8.29神宮目前!“21年前”の神宮決戦をプレイバック!

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【新日本プロレスリング株式会社】

プロレス界随一の論客・“GK”金沢克彦氏の独特の視点から、現在進行形の新日本プロレスに関するコラムを続々レポート(不定期連載)!!

今回は「8.29神宮目前!どういう結末であれ、新日本プロレスを見せつけてほしい!」“21年前”の神宮決戦をプレイバック!

テキスト/金沢克彦

※以下、コラムの「序盤部分」をSportsnaviで無料公開!

密閉空間とならない屋外野球場を選択したのはやはり観客ファースト……ファンに安心感を与えるという点では大きな意味がある

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新型コロナウイルス禍のなか、6月15日に万全を期して大会を再開させた新日本プロレス。以降2カ月余でリング上の図式は激変した。

7.11&12大阪城ホール2連戦、7.25愛知県体育館で開催されたビッグマッチ3戦がその象徴的な大会となった。

いずれもメインイベント終了後のリング上で仁王立ちしていたのは、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンを電撃離脱してBULLET CLUB入りしたEVIL。

予想だにしない新たな光景を見せつけられたこと。EVILの変貌ぶりに対する驚き。かならずといっていいほど、乱入・介入を繰り返すBULLET CLUBの無法ぶり。

観客からすれば大ブーイングを浴びせたいところだろうが、現状では大声を出すことは観戦マナーに反する行為となるから我慢するしかない。観客による感情表現(意思表示)手段は拍手と手拍子のみ。それもまた、ビッグマッチ3戦のエンディングでストレス、フラストレーションを残す要因となったろう。

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この3大会を受けて開催が発表されたのが、8.29明治神宮野球場大会だった(※以下、通称の神宮球場と記載)。新日本が神宮球場に進出するのは二度目のこと。
前回の開催が1999年8月28日であったから、じつにまる21年ぶりとなる。

無論、withコロナという特殊な状況下で開催される今大会は、21年前とは違い規制が伴う。天候に大きく左右されるというリスキーな部分では同じであるが、密閉空間とならない屋外野球場を選択したのはやはり観客ファースト……ファンに安心感を与えるという点では大きな意味がある。

それでいて政府の基本方針に従って、キャパシティはかなり規制がかかった上限が決まっており、イベント開催時間も考慮したうえで全6試合に絞られている。

(1)スペシャルシングルマッチ
マスター・ワトvs金丸義信

(2)「KOPW2020」決定戦4WAYマッチ

(3)NEVER無差別級選手権
鷹木信悟vs鈴木みのる

(4)IWGPジュニアヘビー級選手権
高橋ヒロムvs石森太二

(5)IWGPタッグ選手権
タイチ&ザック・セイバーJr.vs棚橋弘至&飯伏幸太

(6)IWGPヘビー級・IWGPインターコンチネンタル ダブル選手権
EVILvs内藤哲也


いま現在の新日本マットの流れ、図式からいくと、ごく自然体にして必然のカードをそろえた。当然のように、純新日本プロレスのメンバーから出来上がったものだ。

1999年8月28日、東京地方の天気予報は雨。スタジアムはギッシリと埋まった。主催者発表で4万8000人という動員数。

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ここで、今大会の見どころに触れていく前に、21年前の神宮大会(『GIngu CLIMAX~BATTLE of LAST SUMMER』)がどのような状況で開催され、どんなカードで勝負していたのか、そこを振り返ってみたい。

おそらくビギナーファンのかたは知らないだろうし、当時もいまと変わらず現場取材していた私の感想もそれなりに興味をひくのではないか? また、時代の流れという部分も痛感させられると思うのだ。

1999年8月28日、東京地方の天気予報は雨。今回同様に雨天の場合は、翌日に順延という措置がとられていた。当日、神宮球場の上空は分厚い雲に覆われていた。いつ雨が降り出してもおかしくないような天候。

それにも関わらず、スタジアムはギッシリと埋まった。主催者発表で4万8000人という動員数。ファンの願いが通じたのか最後まで天気はもってくれた。その一方で異常に蒸し暑かった。

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地球温暖化などという言葉はまだ存在しなかったし、プロレスの暦でみるなら毎年、『G1 CLIMAX』終了後のお盆のころから秋風を感じるのが毎年のこと。
そう思うと、あのときの暑さはここ数年の異常気象を彷彿させる感もあった。

さあ、もうここまできたら、21年前の全試合を紹介してみたい。ちなみに、『新日本プロレスワールド』でも全戦を視聴できるので、是非とも予習しておいてもらいたい。

・第1試合
藤田和之(3分55秒、腕ひしぎ十字固め)ブライアン・ジョンストン

・第2試合 IWGPジュニアタッグ選手権
〇大谷晋二郎&高岩竜一(15分0秒、エビ固め)●獣神サンダー・ライガー&エル・サムライ

・第3試合 IWGPジュニアヘビー級選手権
〇ケンドー・カシン(14分45秒、足取り腕ひしぎ十字固め)金本浩二●

・第4試合
〇天山広吉&小島聡(8分38秒、片エビ固め)藤波辰爾&●越中詩郎

・第5試合 IWGPタッグ選手権
中西学&〇永田裕志(16分1秒、バックドロップホールド)後藤達俊&●小原道由

・第6試合
〇ドン・フライ(7分53秒、裸絞め)スコット・ノートン●

・第7試合
佐々木健介(試合中止)高田延彦

・第8試合
〇蝶野正洋(15分45秒、レフェリーストップ)橋本真也●

・第9試合 ノーロープ有刺鉄線バリケードマット時限装置付き電流地雷爆破ダブルヘルデスマッチ
〇グレート・ムタ(13分32秒、体固め)グレート・ニタ●


これが21年前に行なわれた新日本プロレスのオールスターキャストによる神宮大会だった。棚橋はまだデビュー前であったし、一番キャリアの浅いヤングライオン・真壁伸也(現・刀義)はカードからもれている。

現在も新日本マットで活躍している現役選手は、天山、小島、永田の3選手だけ。武藤(ムタ)、蝶野、橋本の闘魂三銃士は健在。まさに隔世の感ありだろう。

新日本から主力クラスの離脱者が出て、いわゆる“冬の時代”に突入するのが2002年前後だから、まだこの時代のメンバーはいま現在の新日本マットに匹敵するほど充実している。

この神宮大会は事実上、外敵を招聘した2大シングルマッチマッチが超目玉であり、最大のウリだった

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ただし、それも今だから言えること、書けること。それもまた正直な感覚なのだ。この神宮大会は事実上、外敵を招聘した2大シングルマッチマッチが超目玉であり、最大のウリだった。

ひとつは、ファイナルに組まれたグレート・ムタとグレート・ニタの初遭遇。しかも試合形式がとんでもない。新日本マットで初の電流爆破マッチが決行されたのは同年の4.10東京ドームの蝶野vs大仁田の一戦。

1.4東京ドームで新日本マット初登場(※佐々木健介に反則負け)、蝶野戦を経て今度は武藤敬司(ムタ)まで引っ張りだした大仁田(ニタ)は招かれざる客どころか、新日本ビッグマッチの切札になりつつあった。

もうひとつが、試合中止となった佐々木健介vs高田延彦のドリームマッチ。決定済みカードの中止が急きょ発表されたのは、なんと大会4日前のこと。新日本サイドは、高田サイドのドタキャンと怒りの見解を出し、一方『PRIDE』を主戦場としていた高田サイドは「交渉決裂」を主張した。こうなると、水掛け論。

新日本からは、「会場に来られない方には後日、チケットの払い戻しを検討します」というアナウンスも事前にあったが、観客動員に大きな影響は見られなかったし、トラブルが起こることもなかった。

そこも今だから言えるとしたら、たとえ目玉カードが一個吹っ飛んでも、新日本同士の闘いが充実していたし、各試合の内容が濃かったからこそのファンの反応だったと思う。

中西が『G1』優勝を決めた直後、永田は盟友を肩車して称えた。この日は、中西が永田を肩車して『G1』のお礼を態度で示したのだ

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たとえば、全8戦のなかでもっとも観客が沸いて、私もベストマッチに推したかったのが、IWGPタッグ選手権だった。
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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