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『どかん』といこう!常滑の風土

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全国24場には、時代や社会に貢献した偉人がそれぞれ存在する。
例えば愛知県常滑市の『鯉江方寿(こいえ・ほうじゅ)』。
生まれは文政4年(1821年)12月7日、江戸時代も末期の文化・文政だ。
花のお江戸に町人文化が咲き乱れ、浮世絵や川柳が庶民のくらしのなかにも広まり大流行。のちに「化政文化」と呼ばれた時代である。

常滑焼の家に生まれ地味にコツコツ取り組む気質だった鯉江方寿は、何かを頼まれても「できない」と言えない性格だったという。

鯉江方寿 (知多半島偉人図鑑より) 鯉江方寿 (知多半島偉人図鑑より) (C)BOATRACE

知多半島は、江戸との交易を起点として『進取の精神に富む時代の発展場』として栄えてきた歴史があり、今の産業界にも多大な功績を残している地だ。よく『やらまいか精神』というが、知多半島こそそうした『失敗してもやってみるべし!』という志向の醸造地である。

鯉江方寿が生きた江戸から明治に移り変わっていく時代、東京に人が集まり人口が急増していた。
おりしも、明治5年(1872年)の鉄道開通をはじめとする新しい街づくりが急速に進んでいったが、その中に上下水道の整備があった。
それは、『延々とつなぐことができること』『詰まりがなく流れがいいこと』『大量生産できること』を満たす管を作ることができなければ達成できない構想だったが、当時、そうした管は存在しておらず、計画遂行は難航していたと記録が残っている。

「頑丈な下水道管を焼いてくれないか…」と鯉江に話があったのは明治5年。奇しくも鉄道開通と同じ年であった。スコットランド人のリチャード=ブラントンからの依頼だった。鯉江51歳のことである。

何ごとも断り切れない鯉江方寿は一念発起する。元々あった常滑焼の陶器土管をより硬く焼くため「真焼窯(まやけがま)」を改良し大量製造に成功するが難問が残った。
『延々とつなげられる規格化された土管』の量産である。
考えに考えた末、鯉江は『木型』を考案。現代の下水道の礎を築くことになる。『職人の勘と経験と技』が生命線だった製造過程を完全に転換したのだ。

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明治10年(1877)に完成した大阪―京都間の鉄路の下には、鯉江方寿発明の木型を用いた真焼土管が使われていたことも覚えておきたい。

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各地各様に歴史や伝統、そして風俗がある。
文化とは、そうした数値化できない人の好みや価値観を指すのだろう。
ボートレース常滑の大きな招き猫はその象徴だ。

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