水戸ホーリーホック新人広報対談(前編)「広報は一番近くのファン。多くの人にワクワクを伝えたい」

水戸ホーリーホック
チーム・協会

【青木真波さん(写真左)&土屋由実さん(写真右)【写真 米村優子】】

昨年から積極的な社内配置転換を行っている水戸ホーリーホック。
今年は広報担当の変更がありました。
新たに広報をまかされたのは2月と5月に入社したばかりの女性社員2人。
どのような思いで入社し、どのような考えで業務に取り組んでいるのでしょうか。
水戸の情報発信のカギを握る2人にお話を伺いました。

「船谷選手の行動に感銘。背景を知りたくて水戸に応募」(土屋)「サッカーが好きで、テレビ局記者から水戸広報に転身」(青木)

Q.土屋さんは2月から、青木さんは5月からクラブに加わりました。どういった経緯で水戸に入社することとなったのでしょうか?
土屋「私は中学2年生ぐらいの時に『将来はサッカークラブで働く』と決めていました。実際にサッカーをしていて、高校まではプレーヤーとして全力でサッカーをしていました。高校卒業後はサッカークラブで働くために必要なことを専門的に学べるJAPANサッカーカレッジへと進学しました。卒業後の最初の就職先は現在なでしこリーグ2部のバニーズ京都SC。小さなクラブだったので、いろんな仕事ができたことが楽しかったです。その後、JFLのFCマルヤス岡崎を経て、今年から水戸に来ることとなりました。マルヤス岡崎には、元水戸の船谷圭祐選手が在籍していたんです。船谷選手は関東での試合の後、誰よりも早く着替えを終えて、外に出てファンサービスをしていました。というのも、自分のファンが多く来ることを分かった上でそういう行動をとっていたんですよね。自分で考えて、ファンのために行動できる船谷さんは素晴らしいなと思って、いろんなクラブで培われたものかもしれませんが、やはり直近5年間在籍していた水戸ではそういう選手を育てる土壌があるのかなと思い、その背景を知りたくて、水戸が社員を募集していたのを見つけて、受けてみました」

Q.青木さんの経緯を聞かせてください。
青木「前職はテレビ局の経済部の記者として働いていました。V・ファーレン長崎の高田明前社長にインタビューをした際、視聴者目線で質問でき、すごくいい仕事ができたという実感があったんです。いい仕事をするためにも「好き」という気持ちがないと、いいものは作れないとその時にすごく感じたんですよ。元々私は某J1クラブのサポーターだったんです。サッカーは見るだけで、いろんな人の感情をかきたてるスポーツ。サッカーと出会ってから、お金はサッカーのために使うようになりましたし、サッカーのためにスケジューリングするようになりました。サッカーのために泣いて笑う。すべてサッカーのための生活をしていました。さらに全国にお友達もできました。趣味ってたくさんあるとは思いますが、同じ気持ちを何千人・何万人と共有できるものはなかなかないと思っています。自分はそんな喜びを味わったからこそ、今度は自分がお手伝いをしたいと思い、今までの経験を生かして何かできることがあるんじゃないかと思い、サッカークラブで働こうと思ようになったんです。そしたら、水戸で「営業職」の募集をしていたのも見つけたんです。スポーツクラブの社員がどういう仕事をしているのかは分からなかったのですが、思い切って応募してみました。1回目の面接の時、『営業はできないけど、自分にできることがあるかもしれない』という話をしたら、『やれることはあると思う』という返答をいただきました。さらに、私は面接していただいた方に『なんでこの仕事をしているんですか?』って逆質問しちゃったんです。そしたら、その2人とも『この仕事が好きだし、すごく楽しい』と言ってくれたんです。この方々と一緒に働きたいと思ったところ、入社させていただくこととなりました」

Q.某テレビ局から地方のJ2クラブのフロントスタッフになることに抵抗はなかったのですか?
青木「水戸に来てから、スタッフだけでなく、選手からも『なんで?』って言われるんです。逆に『なぜ、なんでって思われるんだろうな?』と思っています。テレビにどういうイメージを持たれるか分かりませんが、私は今が一番楽しいですし、後悔はないです。逆に、なんでですか?」

Q.待遇面や将来のことを考えてもテレビ局の方が好条件のように思います。
青木「記者時代は一人で仕事をすることが多かったんです。どっちかというと、私はみんなで力を合わせて作り上げるのが好きなんです。今とても幸せです」

【写真 米村優子】

【写真 米村優子】

「水戸はみんなで力を合わせて作り上げようとしている」(土屋)「水戸の選手とフロントスタッフの距離の近さに驚いた」(青木)

Q.水戸に来ての印象は?
土屋「雰囲気がいい。とても前向きですね。私も以前は一人で仕事をすることが多く、誰かと一緒に仕事をしたいと思っていたんです。水戸ではみんなで一緒に働けるところがいいです。みんな、人の話をしっかり聞いてくれるし、力を合わせて作り上げようとしている。そこがいいです」
青木「みんなの距離が近い。そこはツッチー(土屋さん)が作ってくれた土壌だと思いますが、選手との距離の近さにも驚いています」

Q.実は今まで水戸ホーリーホックには女性社員は1人しかいませんでした。男性が多いことに抵抗はありませんか?
土屋「私はたくましいタイプなので、問題ないです(笑)」
青木「逆に気を遣わせているところがあるかも(笑)」
土屋「私たちは気にしていないのに、向こうが気にしているみたいなことは結構あるかも。私は少年団のサッカーチームに所属して、女子一人でやっていたこともありますし、今までも男性ばかりの職場で働いていたので、抵抗はありません」

Q.2人とも人との距離感の詰め方が上手ですよね。入社してすぐ選手と打ち解けてますよね。
土屋「私はコミュニケーション能力が低くて、会話するのが苦手なんです。選手と接するのは仕事ですし、暗い雰囲気をチームに持ち込まないよう笑顔で明るくいようとは心掛けています。あと、なよなよせずはっきり話をしようと決めています。でも、水戸の選手はみんな優しいです」
青木「前職では毎日名刺を200枚ぐらい持って動いていました。いろんなタイプの方と接して、『いい人だな』と思ったらメモをしていました。記者は取材対象者に心を開いてもらわないといい記事を書くことはできません。まずは相手から親しみを持ってもらわないといけないと思って水戸でも行動しています。まずは知ってもらうことからはじめています。ツッチーにはもう見せるところがないぐらい見せていますが(笑)。あと、選手のことをよく知ることが大事ですよね。たとえば、選手がインタビューの際にうまく話ができていない時、こっちからサポートしてあげられるかもしれない。そういうことは記者をやってきた強みだとも思っています。ツッチーはすでにそれができているので、私から見たら神です(笑)」
土屋「選手がインタビューを受ける際、あまり対応の差をつけすぎず、普段のテイストを出せるようにしてあげたいと思っています。そもそもサッカー選手って、選ばれた人たちですから、その背景も含めて素敵な部分が多いんです。なので、そのままを出すだけでいいんですよ。その素敵な部分を出したいし、見てもらいたいので、普段の距離感を保ちながら取材を受けられるようにしてあげたいと思っています。普段と取材の時で、態度をあまり変えないようにしています」

※後編に続く

【取材・構成 佐藤拓也】
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著者プロフィール

Jリーグ所属の水戸ホーリーホックの公式アカウントです。 1994年にサッカークラブFC水戸として発足。1997年にプリマハムFC土浦と合併し、チーム名を水戸ホーリーホックと改称。2000年にJリーグ入会を果たした。ホーリーホックとは、英語で「葵」を意味。徳川御三家の一つである水戸藩の家紋(葵)から引用したもので、誰からも愛され親しまれ、そして強固な意志を持ったチームになることを目標にしている。

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