【日本野球連盟公式サポ通信】黒獅子旗のゆくえ(王子編)

チーム・協会

【提供:王子硬式野球部】

日本野球連盟公式サポーターの田中優美です。
社会人野球のちょっと裏側をお伝えする「日本野球連盟公式サポーター通信」
今回は、都市対抗野球の黒獅子旗企画として、王子(2004年都市対抗優勝当時は「王子製紙」)野球部の黒獅子旗と当時のエピソードに追っていきます!

ふたつのチームがひとつになった2004年

2000年に北海道の王子製紙苫小牧硬式野球部を統合してから、4年後の2004年に都市対抗初優勝を果たしている王子野球部。黒獅子旗はJABA大会の優勝トロフィーと共にスタッフのミーティングルームに大切に飾られています。

2004年黒獅子旗とJABA大会のトロフィー 【2004年黒獅子旗とJABA大会のトロフィー】

当時の様子を現・王子野球部監督で2004年優勝時にはチームのマネージャーをしていた稲場勇樹氏に伺ってきました。

2004年は 王子製紙苫小牧野球部と王子製紙春日井硬式野球部(現・王子硬式野球部の統合時前のチーム名)の2つのチームがようやく一つにまとまってきた年で、その年のスローガンは“日本一”
それでもサヨナラホームランで優勝が決まった時は、「俺たち優勝していいの?」と、優勝の喜びよりも、現実味が無かったというのが本当の感想だったといいます。
稲場監督は「スローガンは“日本一”としていましたが、現実を考えると周りが強いです。都市対抗の組み合わせ抽選会が終わった後には、棚橋監督(当時の王子野球部監督)と“1つは勝てたら良いよね、なんとか上を目指したいけどね。”なんて話していたくらいです」と、まず一勝することを考える戦力だったそうです。

決して圧倒的な戦力があるチームではなくとも、棚橋監督がよく選手を見て周りが予想できないような采配をしていたことと、監督に応えるようにベンチ入りした25人の選手が適材適所で自分の持っているものを全部出し切ったことで優勝できたチームだったと教えてくれました。
稲場監督が特に印象的だったのは、予選もほとんど出てなく、普段は代走などが多かった谷口恵史選手を、準々決勝からスタメンに起用した棚橋監督の采配だったそう。谷口選手は決勝戦ではタイムリーを放つなど、見事に棚橋監督の期待に応えました。
「棚橋監督はレギュラーの選手じゃなくても東京ドームなどの大きい大会でポンと使うことも多かったので、それが選手に競争心をつけたと思います。当時は凡退すると本気で悔しがるようなガツガツした選手が多かったですね。」と話してくださいました。

選手27人で過去を超えていく

今年のコロナの影響で練習ができないときに、選手・スタッフ含めた全員が優勝した2004年の全5試合のビデオを見た。
稲場監督は「今のチームには優勝、準優勝を経験している選手が一人もいないので、1回戦から決勝までを見せることで、このチームがどう優勝までたどり着いたかを感じてほしいです。王子は選手の人数が多くない。今年の選手の人数は27人なので、1人の怪我人も許されません。まずは全員で2015年のベスト4を超えてきたい」と2004年と同様に全員が力を出し切る野球で上を目指します。


(本取材は6月上旬にすべてお電話にて取材を行いました)

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著者プロフィール

1949年に設立した社会人野球を統轄する(公財)日本野球連盟の公式アカウントです。全国の企業、クラブチームが所属し、中学硬式や女子野球の団体も加盟しています。1993年から刊行している社会人野球オフィシャル・ガイド『グランドスラム』の編集部と連携し、都市対抗野球大会をはじめ、社会人野球の魅力や様々な情報を、毎週金曜日に更新する『週刊グランドスラム』などでお届けします。

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