【新日本プロレス】「どこかでヒロムを認めたくない部分もある」BUSHIに直撃!

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【新日本プロレスリング株式会社/BUSHI選手】

メキシコから帰国した内藤哲也の“制御不能化”から約5年。ユニット結成から約4年半が経過したL・I・J。その怒涛のヒストリーを、チームの司令塔と言われる“オリジナルメンバー”BUSHIが振り返る特別インタビュー!

後編は、高橋ヒロムの加入からタッグ結成、さらに鷹木信悟の加入から、ヒロム復帰に至るまで、怒涛の変遷をL・I・Jのキーパーソンはどう見てきたのか?

プロフィール写真提供/BUSHI選手

※以下、BUSHI選手インタビュー(後編)の序盤をSportsnaviで無料公開!

ヒロムの、誰も目をつけてないところをフィーチャーする能力は凄いなって。いままでの新日本のレスラーにいなかったタイプなんじゃないかな

【新日本プロレスリング株式会社】

――前編に引き続き、BUSHI選手から見たL・I・Jヒストリーを伺っていきます。2016年の『WORLD TAG LEAGUE』の最終戦(12月10日/宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ)では、高橋ヒロム選手がL・I・Jに加入しました。長期海外遠征中だったヒロム選手が、自身の師匠である内藤選手の所属ユニットに入り、さらに勢力が増したというか。

BUSHI 俺、そもそも内藤がヒロムにプロレスを教えてたっていうのを知らなかったんですよ。それはヒロムのデビュー前の話みたいで。俺が2012年に新日本に上がるようになった頃のヒロムは、“いちヤングライオン”って感じでしたね。

――当時、ヒロム選手との接点は?

BUSHI あんまりなかったかな? でも、そのあとに俺がメキシコに遊びで行ったときに、現地で修行中だったヒロムには何度か会ってるんですよ。一緒にメシも食ったし、いろいろ話してみて「たくましくなったな、いい経験してるんだな」って思いましたね。

――凱旋して以降、ヒロム選手は実力とその独特な世界観ですぐに頭角を表しましたが、何かその片鱗を感じさせるものはありましたか?

BUSHI 具体的にどうっていうのは言えないんですけど、何かしらあったんでしょうね。ヒロムはL・I・Jの控え室で俺とか内藤にイジられてますけど、若手の頃も先輩たちにそういう扱いだった気はするし。そういう本人が持ってる要素が表現力になって、いまの姿があるのかなって。

――内藤選手はヒロム選手の一挙手一投足を楽しみつつ、脅威に感じる部分もあるようです。

BUSHI たしかにヒロムの、誰も目をつけてないところをフィーチャーする能力は凄いなって思います。いままでの新日本のレスラーにいなかったタイプなんじゃないかな。

ヒロムがジュニアの中心にいて当然っていうふうには思いたくはないし、「その状態を受け入れたら、レスラーとして終わりじゃない?」って。

【新日本プロレスリング株式会社】

――ヒロム選手は凱旋直後の1.4東京ドームでIWGPジュニアヘビーを獲得し、その後もアピール力で唯一無二の存在感を放っています。 “L・I・Jの潤滑油”と言われるBUSHI選手は、同じジュニアであるヒロム選手に対し、どこか一歩引いたスタンスのようにも見えます。後輩を押し出そうとしているというか。

BUSHI ああ、なるほど……。一つ言えるとするならば、俺は凱旋してからのヒロムとは、まだシングルでは一度も闘ってないですからね。仲間として彼を頼もしく感じますけど、どこかで認めたくない部分もありますよ。

――あ、そうですか。

BUSHI ヒロムがジュニアの中心にいて当然っていうふうには思いたくはないし、「その状態を受け入れたら、レスラーとして終わりじゃない?」って。
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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