【新日本プロレス】“32年ぶりのオールスター戦”『ALL TOGETHER』!

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【新日本プロレスリング株式会社】

ここ数年で劇的な“V字回復”を遂げたことで知られている現在の新日本プロレス。しかし、その“復活”に至る道程には、いったい何が推進力となり、どんな選手が活躍したのか?

その過程を最前線で随時見届けてきた“GK”金沢克彦氏が2010年代からの生まれ変わった“シン・新日本プロレス”に至る歴史を紐解く集中連載!

文/金沢克彦

※以下、金沢克彦氏「シン・新日本プロレスが生まれた時代」第8回の序盤をSportsnaviで無料公開!

いまプロレスにできること。ある意味、プロレス業界は一丸となっていたのだ。それが早くもカタチとなった。

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2011年3月11日、東北地方を中心として日本を襲った東日本大震災。自然災害により死者、行方不明者が1万人を超える未曾有の大震災の発生は世界中に大きな衝撃を与えた。

あらゆるエンターテインメントが自粛を迫られているなか、新日本プロレスはその2日後から興行を開催する決断をした。

新日本以外の団体も興行を再開し、各団体は会場で東日本大震災の被害に対する義援金募金活動を選手たちが先頭に立って行なった。

それが、いまプロレスにできること。ある意味、プロレス業界は一丸となっていたのだ。それが早くもカタチとなった。

4月18日、東京・日本武道館で開かれた会見で、新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリングNOAH(以下、ノア)のメジャー3団体が中心となって行なう、東日本大震災復興支援チャリティープロレス『ALL TOGETHER』の開催が発表されたのだ。同大会は8月27日、日本武道館での開催が決定。

主催は東京スポーツ新聞社で、3団体を代表して新日本からは菅林直樹社長とIWGPヘビー王者の棚橋弘至、全日本プロレスからは武藤敬司社長と三冠ヘビー級王者の諏訪魔、ノアからは田上明社長とGHCヘビー級王者の杉浦貴が出席した。

思えば、4.3後楽園ホールで大激闘の末、永田裕志の挑戦を退けV2に成功した棚橋は、試合後の共同インタビューで男泣き。2.20仙台大会の奇跡の直後に起こった大惨事であっただけに、あのとき全力で自分と新日本を応援してくれた東北ファンのことを思うと、涙が止まらなかったのである。

あの涙から15日後、棚橋はオールスター戦へ向けて、こう抱負を語った。

「被災地のことはいつも応援しています。応援する側はより元気がなきゃいけないと思います。日本全国を元気にするようなものにして、被災地にエネルギーを送りたいと思います。チャリティー大会もプロレス界をあげて応援していくという行為も、これから続いていくことなので、マッチメイクにしても次につながるようなカードを期待します」

大会開催は約4ヵ月後となるから、もちろん棚橋にはそれ以前にもやるべきことは山ほどあった。IWGP王者として、5.3福岡国際センターで中邑真輔を相手に3度目の防衛戦が決まっていたし、8月1日~14日まで真夏の祭典『G1 CLIMAX21』が待ち受けている。

5月に新日本プロレス・棚橋弘至宛に手紙が送られてきた。その内容は生々しくもあり、心にズシリと響いてくるものだった。

そんな最中、5月に新日本プロレス・棚橋弘至宛に手紙が送られてきた。手紙の送り主は宮城県岩沼市在住の大泉和彦さん。2.20仙台サンプラザホール大会のメインイベント終了後、超満員の観客の大声援に応え、棚橋がリングサイドを1周したとき、棚橋の頬にキスをしてくれた女の子、真菜ちゃん(当時・7歳)のお父さんからだった。

ちなみに、岩沼市は田口隆祐の出身地でもある。その内容は生々しくもあり、心にズシリと響いてくるものだった。

以下の手紙は、のちに『ALL TOGETHER』テレ朝版DVDの特典映像の中で明らかにされたものである。

「3月11日……私たちの住んでおります岩沼市も東側は津波の被害により200人近い人の命が奪われ、中部の我が家まで押し寄せあと500mという所で津波から運よく逃れることができました。家族は無事でしたが、妻の実家は津波によって流されました。震災当初は停電、断水、道路の地割れなどによる各ライフラインの寸断、衣食住の各物資の不足等、一言では表せない“生きるため”の生活が続きました。

震災から3週間後、家族4人、深夜のリアルタイムで目にした映像の中に、勝利者インタビューに泣きながら答える棚橋選手に声援送る私と娘たち、そして退場花道で棚橋選手のほっぺたにキスをする次女が映し出されました。私たちはその瞬間、感動と興奮、言葉にできない喜びで涙が止まりませんでした……。

それからも番組内で棚橋選手が被災地、被災者ファンへの応援メッセージを語る際に娘の姿が流れ、棚橋選手の思いが心に響き、涙が流れてしまいます。私たち家族にとりまして『新日本プロレス』が唯一無二の娯楽であり、生きがいであり、切り離すことのできない生活の一部であり、本当に生きる希望であります」


大泉さんは、棚橋宛に感謝の手紙を送ったのと同時に、テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で2.20仙台のメインを実況した吉野真治アナウンサー宛にも近況報告と感謝の手紙を送っている。

それに目を通して、同じく心を打たれたのが、当時『ワールドプロレスリング』のプロデューサーだった篠原弘光さん。篠原プロデューサーが棚橋に会って、この手紙の話を振ってみたとき棚橋はこう答えている。

「プロレスを心の支えに頑張っていらっしゃるわけですね。会いに行きたいですね。まだオレ、被災地に行けてないんですよ。会いに行きたい。会ったら、オレもパワーもらえると思います」
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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