<国内男子ゴルフ>武藤俊憲の「全英への道」
【武藤俊憲が歩く全英への道 ©JGTOimages】
42歳のベテラン、武藤俊憲の耳に、今もリンクスコースから聞こえてくるのはギャラリーの大歓声だ。
初出場は、プロ6年目の2006年。同年の「マンシングウェアオープンKSBカップ」でツアー初優勝を飾り、日本予選ランキング上位の資格で、”聖地”に乗り込んだ。
初優勝と初メジャー挑戦は2006年。まだ初々しいころ 【©JGTO】
会場はロイヤルリバプール。初メジャーの舞台で、今も心に残る風景は、大会初日のスタートホールだ。
武藤の打順は最後の3番目だった。
最初の打者は、刻んでバンカーに入れた。
2番手はラフへ。
そして、武藤の番。
「緊張しながらドライバーを握ってフェアウェイのど真ん中」。
大観衆がドっと沸いた。早々の歓待に「鳥肌が立ちました」。惜しみのない賞賛に、当時28歳は震えた。
「ポッと出の選手にも、『おまえやるじゃないか』と。誰に対してとかではなく、良いプレーをした選手にも、こんなに拍手をしてもらえる。今まで頑張ってきたことが、評価してもらえた気がして感激したことを、いまも覚えています」。
スコットランドはゴルフ発祥の”聖地”と言われ、海沿いに広がる平地を利用したゴルフ場をリンクスコースと呼ぶ。
ゴルフの原風景に、人の心を動かすプレーをした者なら誰でも尊ぶ懐の深さを感じた。
聖地で自身初の決勝進出は、3度目の出場。ロイヤルリザムセントアンズで行われた2012年だ。最終日を英国のリー・ウェストウッドと回った。互いにグリーンを外した2番ホール。
先に打ったウェストウッドがアプローチをチップイン。
武藤も負けていなかった。外からの第3打を入れ返した。
倍以上の大歓声が武藤を包んだ。
ウェストウッドは母国出身の英雄だが「”後から入れたオマエのほうこそスゲエな”と。拍手に込められた気持ちがすごく伝わってきた」。
どれも、1993年から「ミズノオープン」で始まった”日本予選”を通過して得た貴重な経験である。
「何度でも味わいたい」。
同大会の上位者のほかに、日本予選ランキングによる出場資格もあり、誰にでも一発勝負の大チャンスがあることが、選手たちを奮い立たせる理由だ。
2014年からミズノ勢に仲間入り 【ミズノ提供】
今年こそ4枚目の切符をかけて、主催試合に挑むつもりだったが中止に。
「大会を通じて貴重な経験をさせていただける機会が1年でも減ってしまうのは、非常に残念。でも、これは誰が悪いわけでもないので…」。
緊急事態の宣言中には同社でも、クラブのメンテナンスなどの作業も休止せざるをえず、プロらに不便をかけることを詫びる連絡が来た。
「初めて全英オープンに出た時、僕はまだ別メーカーを使っていたのですが、会場にはミズノのサービスカーが常駐していて、使用クラブを問わずにメンテナンスをしてもらえた。あの時もすごくよくしていただいた」。
いつも変わらぬ対応に、改めて感謝が増した。
試合がない今は、庭先で縄跳びなどの「自重運動」を取り入れるなど、工夫しながら試合再開の時を待ちわびる。
息抜きは1日1回、家族恒例のマリオカート大会。
「カメの甲羅を投げて、やったな、やられた、と熱い戦いを繰り広げている。普段はできなかった家族との暇つぶし。こういう時間もあとで必要だったと思えるように。なんとかこの危機を乗り越え、『よし、また頑張ろう』と思えるようなシーズンが早く来て欲しい」。
昨年は、41歳にして「パナソニックオープン」で、ツアー通算7勝目を飾った。「遼と、ジャズと、周吾をいっぺんにやっつけることもできた。頑張っていれば、またそんなチャンスも来ると思って頑張りたい」。
再び、聖地に戻って大歓声を浴びるプレーを。
どんな災禍に見舞われても、熱い思いを失わない。
昨年のパナソニックオープンは今平、石川、ジャズを退けV7。まだまだ若手に負けない! 【©JGTOimages】
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