【新日本プロレス】「生まれ育ったリングでブーイングを浴び続けた男・棚橋弘至」

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ここ数年で劇的な“V字回復”を遂げたことで知られている現在の新日本プロレス。しかし、その“復活”に至る道程には、いったい何が推進力となり、どんな選手が活躍したのか?

その過程を最前線で随時見届けてきた“GK”金沢克彦氏が2010年代からの生まれ変わった“シン・新日本プロレス”に至る歴史を紐解く、注目の集中連載・第4回! 

文/金沢克彦

※以下、金沢克彦氏「シン・新日本プロレスが生まれた時代」第4回の序盤をSportsnaviで無料公開!

継続は力なり――。その言葉をもっとも端的に実践してきたレスラーが棚橋なのかもしれない。

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2006年7月、棚橋時代到来の予感……。 ただし、まだまだ試練はつづく。今度は王者となってからの試練だった。トップに立った男に向けられる新日本ファンの目は、挑戦者時代より厳しくなってきた。

8月の『G1』はリーグ戦で敗退。優勝したのは天山、これで3度目の『G1』制覇となった。しかも優勝戦カードは天山vs小島聡(当時・全日本プロレス)だった。第三世代はまだまだ健在であることを証明した格好である。

このころから棚橋はドラゴンスープレックスと並行してハイフライフローをフィニッシャーとして使いはじめた。いまでは棚橋の代名詞といえる大技。ただ、もとはといえばダイビングボディプレス。決してファンのウケがよかったわけではない。

それも、「愛してまーす!」同様に継続していくことで、やがてファンに認められる。継続は力なり――。その言葉をもっとも端的に実践してきたレスラーが棚橋なのかもしれない。

IWGP王者として、棚橋は4度の防衛に成功した。天山(10.9両国)、中邑(12.10愛知)、太陽ケア(2007年1.4東京ドーム)、金本浩二(2.18両国)というメンバーの挑戦を退けている。

中邑は約7ヵ月のロス修行から帰国し、115kg前後までウェートアップした分厚い肉体を作ってきた。また帰国と同時に、蝶野率いるブラックニュージャパンに合流。明らかに棚橋の反目にまわるためのヒールターンだった。

また、技に関しても、ランドスライドやリバース・パワースラムなどパワフルな投げ技を多用するようになった。ただし、愛知で敗れたことにより棚橋に2連敗。IWGP戦線で棚橋に遅れをとる結果となる。

そこへ、また壁が立ちふさがる。ファンの圧倒的支持を受けて永田裕志が挑戦者に浮上してきた。

一方、王者・棚橋に対するファンの反応は厳しいもの。まだまだ認めないという空気が充満していた。

それでいて、棚橋の試合内容は目に見えて充実していた。1.4東京ドームではメインから外されたIWGPヘビー級選手権であったが、関係者、ファンの想像を覆すような好勝負を全日本所属のケアとやってのけた。

そこへ、また壁が立ちふさがる。ファンの圧倒的支持を受けて永田裕志が挑戦者に浮上してきた。4.13大阪府立体育会館。客席は「ナガタ応援ボード」と「ナガタコール」で、永田カラー一色に染まった。棚橋にとっては、まるでアウェイの会場、アウェイのリング。

入場時にはブーイングも受けた。

ただし、試合は1年2カ月前とは違っていた。まさに真っ向勝負。互いの持てるすべてを出し尽くした末に、永田がバックドロップホールドで4年ぶりに最高峰の座に返り咲いた。館内は「シンニッポン」コールに包まれた。

永田カラーが会場を染めたタイトルマッチ。観客からすれば、これがハッピーエンド。その一方で、棚橋の成長をだれよりも肌で感じ取っていたのが永田である。

「新日本がちょっと上向いてきたのは、チャンピオン・棚橋弘至のおかげです。棚橋が熱を取り戻してくれた功績は大きい。以前は当たって砕けろだったけど、緻密さが増して以前の棚橋じゃなかった。間違いなくボクよりも将来性のある選手だと思いました」

永田にこう言わしめたのだから、価値ある敗戦だった。永田が初めて棚橋を認めるようになったのが、この一戦からである。

中邑の左肩にはいまでもポコンとした突起が見られる。これがそのとき永田にやられた爪痕なのである。

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そして迎えた2007年の『G1』で棚橋につづいて、中邑が永田の洗礼を浴びることになる。同ブロックにエントリーした棚橋と中邑の公式戦は30分闘いぬいてのドローに終わった。

優勝決定トーナメントの組み合わせは、中邑vs永田、棚橋vs真壁と決まった。8.12両国の最終戦。まず棚橋が真壁を前方回転エビ固め(フォール・イン・ラブ)に丸め込んでファイナル進出を決めた。

続く中邑vs永田の準決勝。打撃、グランドでのサブミッション、スープレックスの応酬と一歩も退かない両者。15分過ぎ、永田が雪崩式エクスプロイダーで豪快に中邑を投げ切った。この一発で中邑の動きがストップ。左肩口を押えて苦悶の表情。

それでも戦闘態勢をとって粘る中邑に腕十字固めを決めたところで、ドクターがストップ。永田のTKO勝ちに終わった。左肩鎖関節脱臼および靭帯断裂という重傷だった。

中邑の左肩にはいまでもポコンとした突起が見られる。これがそのとき永田にやられた爪痕なのである。半年間で15kgほどもウエートアップして闘いつづけてきたツケがこのアクシデントにつながったのかもしれない。

いまから考えれば信じられないことだが、笑顔なき『G1』優勝。優勝旗を手にした棚橋の表情は厳しいまま。

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優勝戦のカードは、棚橋vs永田戦となった。前IWGP王者の棚橋にとっては期せずしてリターンマッチの様相も呈してきた。

やはり館内の声援は永田に向けられている。そんななか、中邑をリタイアに追い込んだ雪崩式エクスプロイダーをふたたび爆発させた永田。非情すぎる永田の攻撃に対して、棚橋コールを起こった。棚橋がラッシュをかける。

ダルマ式ジャーマン、ドラゴンスープレックス、ハイフライフローの3連打でついに3カウント奪取。悲願の『G1』初制覇を成し遂げた。いまから考えれば信じられないことだが、笑顔なき優勝。優勝旗を手にした棚橋の表情は厳しいまま。

「オレみたいなクソ野郎に応援してくれて、どうもありがとうございました。かならずオレたちの世代でもう一度、プロレスを爆発させます!」

ハッピーエンドに終わらなかった『G1』というのは極めて珍しい。
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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