ロッテ福田秀平が心に刻む言葉。忘れられない父との思い出

千葉ロッテマリーンズ
チーム・協会

【マリーンズにFAで加入した福田秀平外野手】

 今年ホークスからマリーンズにFA移籍した福田秀平外野手が心に刻んでいる言葉がある。「野球ができることに感謝」。それは小さい頃に父・徹さんから言われ続けてきた事だ。

 「やりたくても出来ない人は沢山いる。好きな野球が出来ることに感謝しなさいと小さい時から教えられてきた」
 
 父・徹さんは大学途中まで野球をプレーしておりサードや外野を守っていた。そんな父の影響を受けて福田秀も物心ついた時から野球を始めた。今でも思い出されるのは多摩大聖ヶ丘高校1年夏に野球を辞めたいと父に相談をした時の事だ。

 「その頃はプロなんて全然、思い描いていない頃。一般入試で高校に入って、自分よりも上手い人が沢山いて、自分はなかなか上手くならなくて・・・」

 気持ちが切れそうになっていた息子を父はドライブに誘ってくれた。湘南海岸を走り、江ノ島、鎌倉に行った。とりとめのない時間が過ぎた。帰り際、父が言葉を発した。

 「野球、もうちょっと頑張ってみないか」。

 涙する息子に父は語り掛けた。優しく背中を押してくれた。今でもその時、車の中から見えた夕日はハッキリと覚えている。あの時、父の言葉があったから野球を続けた。そして今がある。「大きな存在でした。お父さん子でしたね」と振り返る。

 そんな父は福田秀が19歳の時、ホークスに入団をした2年目の08年6月に心筋梗塞により他界した。5月6日のウエスタンリーグ・タイガース戦(鳴尾浜)で守備中に腓骨を痛め骨折と診断され、リハビリ中の出来事。リハビリを終え寮に戻ると携帯に家族から無数の着信が入っていた。嫌な予感がした。突然の悲報に悲しみに暮れた。

 「すごく辛かった。チームに合流してからもなかなか身が入らなかった」。励ましてくれたのは先輩選手たちであり現マリーンズヘッドコーチで当時、ホークスで二軍指導をしていた鳥越裕介コーチだった。その頃のホークス二軍が使用をしていた雁ノ巣球場で特守のノックを受けた後、三塁側選手ロッカーに呼ばれた。
 
「鬼軍曹ですから。気持ちが入っていない事をめちゃくちゃ怒られると思った」。
 
 怒声は飛んでこなかった。優しく励まし発破をかけてくれた。福田秀が大好きだった父を亡くした一カ月後の7月に鳥越コーチは乳がんで最愛の妻を亡くしている。同じ境遇にある中で気丈に振る舞い続け必死に励まし野球に向き合せようとしてくれた。周囲の支えの中、若者は前を向く決意を固めた。そして父の言葉を思い返した。「野球ができることに感謝」。そこから、どんな時も野球と真正面から向き合い続けた。そしてプロ14年目のシーズンを新天地で迎えた。

 マリーンズ入団を機に本拠地で打席に入る際の登場曲を5人組ポップロックバンド「wacci(ワッチ)」書き下ろしの曲「歌にするから」を使用することになった。福田秀のためにと作ってくれた曲には「あなたの言葉で沸いてきた勇気がある」という詞があった。思わずドライブをしながら父の横で涙した遠い昔を思い返した。水平線に落ちる綺麗な夕日が脳裏に蘇った。

 「初めて聞かせていただいた時に真っ先に父の顔が浮かびました。大事な人たちをこの曲を聞いて思い浮かべる」
 
 2020年シーズンは4月になった今も始まっていない。新型コロナウィルス感染予防の観点からチーム練習も休止の状態が続いている。それでも福田秀は気持ちを切らさず来るべき新たなシーズンに備えている。いつ始まってもいいように出来る準備を怠らず備える日々を送っている。いざ開幕の時、新しい舞台で新しい登場曲から後押しを受けて躍動する。今年はまた例年以上に野球が出来ることに感謝をする一年となる。

文 千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章
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