【新日本プロレス】「日本でプロレスがしたかった」ザック・セイバーJr.が激白!

チーム・協会

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

イギリス生まれ〜日本育ち。世界に誇る“唯一無二のサブミッションファイター”ザック・セイバーJr.。

ノア道場入門のため来日した下積み時代、鈴木軍への合流、さらにジョン・モクスリーとの対戦など、自身のライフストーリーをたっぷり語った超ロングインタビュー(後編)!

撮影/タイコウクニヨシ

※以下、ザック・セイバーJr.選手インタビュー(後編)の序盤を無料公開!

日本のドージョーで学ぶことは、ずっと自分の目標だった。俺は、レスラーとしてのすべてを日本に注ぎたいと思っていた。

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

――前回も伺いましたが、プロレスリング・ノアがヨーロッパを巡業していた時、ザック選手はKENTA選手や石森太二選手とシングルで闘いましたね。そして現在、その3人は不思議なことに新日本マットで闘っています。

ザック フフフ。キャリアを通してずっと一つの団体や場所に居続けるレスラーって本当に少ないよな。でも、それがプロレスのおもしろいところじゃないか。

――ザック選手もいろんな団体や地域を転々としてきましたね。

ザック そうだな。時々、あるレスラーに会わないことが何年も続くんだけど、突然いままでと全然違う場所で再会することもある。KENTAにはアメリカで会ったこともあったな。

――2016年のKENTA選手がまだWWEに所属していた時、WWEのクルーザー級クラシックのトーナメント戦にザック選手は出場しましたよね?

ザック そうだ。そして数年後、アイツはあとから新日本にやって来たんだ。

――ノアのヨーロッパ巡業がキッカケとなってザック選手はノアの道場に入門するかたちになります。ヨーロッパ巡業の流れで入門したんですか?

ザック あの巡業は5月にあって、俺がノアの道場に入ったのは7月だ。ノアから声をかけられたのは巡業のすぐ後のことなんだ。

――ノアの道場でトレーニングを積んだ経験は、やはりザック選手にとって重要なものですか?

ザック もちろんだ。日本のドージョーで学ぶことは、ずっと自分の目標だった。俺は、よくいるようなちょこちょこ巡業に参加するだけの外国人レスラーにはなりたくなかった。日本のライフスタイルにもっとガッチリ入り込みたかった。レスラーとしてすべてを日本に注ぎたいと思っていた。
 
――でも、同時にイギリスでのプロレスの経験もザック選手にとってかけがえのないものじゃないですか。

ザック そうだな。もちろんイギリスのハンマーロックで学べたことにも感謝してる。あのタイミングで、ああいうファイトスタイルを学べた俺は本当にラッキーだった。プロレスは、ずっと学び続けていなきゃいけないモノなんだ。ドンドン学んでドンドン新しいことを取り入れていかないと。

――そして、日本の道場でもたくさんのことを学んでいったと。

ザック ああ。俺は、新日本プロレスがどの団体よりも一番好きだったけど、当時のノアは「世界で一番評判の良い団体」だったからな。だから、日本でプロレスがしたかった俺にとって、ノアのドージョーに入門することは得難いチャンスだった。

俺は昔から「日本に住みたい」と思っていたし、日本に住んだことのあるレスラーたちにもいろいろ話を聞いていた。

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

――ノアの道場でファイトスタイルを学ぶために、今までやっていたことを忘れようとしましたか? 新日本に来ていたLA道場のゲイブリエル・キッド選手はザック選手と似たような経験をしてまして、彼はイギリスで数年間プロレスをしてからLA道場に来ました。

ザック いや、ドージョーに入門する前にキャリアを積んできたかという点では、アイツとは一緒にしてほしくないな。だって俺は、ノアのトップレスラーたちと闘った後に入門したんだから。

――たしかに珍しいケースですよね。

ザック そうだ。とくに俺の場合、同時に2種類のファイトスタイルを築き上げていっていた。常にベストなスタイルを選び取っていくんだ。ノアスタイルのトレーニングを受けたけど、実際にどうプロレスをするかは、自分自身が決めていくことだ。
 
――先ほどドイツやアメリカでも短い期間巡業に行ったと仰っていましたが、日本に住んで試合をするということで、何かカルチャーショックはありましたか?

ザック そんなにはなかったな。俺は昔から「日本に住みたい」と思っていたし、日本に住んだことのあるレスラーたちにもいろいろ話を聞いていた。インディ団体育ちの俺からすると、日本に住むことより、日本中を巡業する団体でプロレスをするという変化の方がカルチャーショックが大きかった。
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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