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東京オリンピック20km競歩内定!池田向希、藤井菜々子/全日本競歩能美大会

日本陸上競技連盟

第44回全日本競歩能美大会が3月15日、東京オリンピック男女20km競歩の選考競技会を兼ねて、石川県能美市において行われました。

主要国際大会の仕様に準じて、今年から会場を根上総合文化会館前に移し、新たに設けた1周1kmの周回コースで実施すべく準備されてきた今大会ですが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、例年、併催の形で実施されているアジア選手権が中止に。さらに高校・中学年代の部門も中止して大会規模を大幅に縮小し、日本学生選手権を兼ねての全日本男女20kmの部のみを行うこととなりました。また、ワールドアスレティックス(WA)の公認対象とするために必要な国際競歩審判の人員数に満たないため、今回は日本陸連の公認レースのみの位置づけ(日本記録の対象にはなるが、国際大会の参加標準記録やワールドランキング、世界記録が公認される対象レースからは外れる)での実施を余儀なくされています。

大幅な導線変更等を講じて、関係者の感染予防・拡散防止のための対策をとるとともに、沿道観戦自粛の協力を求めるなど、異例の態勢をとったなかでのレースとなりましたが、男子は、池田向希選手(東洋大)が1時間18分22秒で、女子は藤井菜々子選手(エディオン、ダイヤモンドアスリート修了生)が1時間33分20秒で、それぞれ初優勝。すでに日本陸連が定める派遣設定記録(男子:1時間20分00 秒、女子:1時間30分00秒)を突破している2人は、必要な条件を満たしたことにより、東京オリンピック20km競歩の日本代表選手に内定しました。


池田、日本選手権の反省を生かした展開
同期の川野に続き、東洋大2人目の代表入り!

前日までの段階では、天候が下り坂に向かうという予報も出ていたこともあり、気象コンディションが不安視されていましたが、当日の能美市は、やや風はあったものの、朝から青空が広がる晴れ模様となりました。午前8時の段階では6.5℃だった気温が少しずつ上がっていくなか、午前8時50分に男子20kmがスタート。午前9時の気象状況が、天候晴れ、気温8.5℃、湿度46%、南東の風1.2mという、まずまずのコンディション下でレースは進められました。

スタートしてすぐに、男子20kmの世界記録(1時間16分36秒)保持者で、昨年のドーハ世界選手権男子50km競歩を制して50kmでの東京オリンピック代表に内定している鈴木雄介選手(富士通)が先頭に立ち、池田向希選手(東洋大)、高橋英輝選手(富士通)、藤澤勇選手(ALSOK)、古賀友太選手(明治大)、及川文隆選手(福井県スポーツ協会)、村山裕太郎選手(順天堂大)の7選手による集団が形成されました。先頭集団は、最初の1kmを3分58秒で入ると、3分59秒、3分57秒、3分56秒と少しずつペースを上げて4〜5kmでは3分55秒のラップを出し、5kmを19分45秒で通過。6km目の周回に入ったところで、後方にいた及川選手と村山選手が後れ、トップグループは5名となりました。

その後も鈴木選手が3分55秒前後のペースでリードして10kmは39分21秒で通過。10kmを過ぎた地点でいったん鈴木選手が後方に下がり、池田選手と藤澤選手が前に出る様相を見せましたが、ペースの低下(10〜11kmは3分58秒)を感じた鈴木選手が、再び先頭へ。さらに、「あそこで上げたら後半もたないというのはわかっていたが、私がペースを上げないとレースが動かないと思った。また、富士通のチームとしては高橋英輝に代表権を取ってほしいという思いもあったので、集団を絞るため、また、誰に余裕があって、誰が後半行けるかの様子をみようと思った」とレース後に振り返った鈴木選手が、11〜12kmの1kmを一気に3分48秒へとペースアップ。「1周だけでもよかったのだが、藤澤が少し離れ気味で、古賀も少しきつそうだったので、自分もきつかったが我慢して2周上げてみた」と次の1kmも3分51秒で刻んだことで、藤澤選手がここで上位争いから後退します。

13〜14kmは3分57秒にペースが落ち、14kmを通過したところで鈴木選手が集団の後方へ位置を移すと、自然と池田選手が前に出る形となり、高橋選手、古賀選手が続く並びとなりました。しかし、次の1kmは初めて4分台に落ち込む4分03秒に。15kmは4人がほぼ一団となったまま同タイムの58分59秒で通過していきました。ここでずっと各選手の様子をうかがっていた鈴木選手が、15kmを過ぎたところで再び先頭に立ってペースアップ。この1kmを3分52秒に戻したところで、周回の終盤で高橋・池田両選手が並んで先頭に立ち、鈴木選手、古賀選手が続いて16kmを通過していく展開となりました。次の1kmは、前を行く池田選手にぴたりと高橋選手がつく形で、再び3分52秒のラップを刻んで17kmを通過。鈴木選手に加えて古賀選手も後れ、池田選手と高橋選手の一騎打ちとなりました。

2人は、「前を行く池田、後ろにつく高橋」の状態のまま18kmを1時間10分36秒(3分53秒)、19kmを1時間14分29秒(3分53秒)で通過して勝負は最後の周回へ。ここで「2人になってからは、“気持ちで絶対に負けない”と思っていた」という池田選手が、「一気に行ききるだけの力はなかったが、少しずつ少しずつペースアップするイメージ」という歩きで、次第に高橋選手との差を開いていきました。池田選手は、最後の1kmも3分53秒でカバーして、1時間18分22秒で優勝。昨年のドーハ世界選手権金メダリストの山西利和選手(愛知製鋼)に続く、2人目のオリンピック代表に内定するとともに、併催の日本学生選手権のタイトルも獲得しました(池田選手のコメントは、別記ご参照ください)。

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2位は高橋。代表入りをほぼ確実に
4位の古賀は学生歴代5位の1時間18分42秒をマーク

高橋選手は7秒差となる1時間18分29秒でフィニッシュ。即時内定を得ることはできませんでしたが、この結果によって、3人目の代表入りがほぼ確実となりました。池田選手とのマッチレースになってからは「2人のペースが下がらないように、3分50秒前後で押し切ることを意識して歩いた」という高橋選手は、レース後の会見で、残り500mを切ったあたりの「池田選手を追いかける場面で、注意(イエローパドル)が出た」ことにより、「最後は自分の歩型の様子を見ながら、2番目にゴールすることを選んだ」と振り返りました。

確実な代表入りを優先させるために、最大の武器でもあるラストスパートを封印したことに「複雑な思いもある」と明かす一方で、「思い通りのレースをして勝ちきることができないのは、自分の歩型やレースの流れに問題点があるから。そこも含めての自分の実力。目をそらさないようにして、これから取り組まなければ」と話しました。また、「今の時点でのオリンピックへの思いを」という質問に対しては、「1回出場しているし、27歳だし、本当なら、もう自分は引っ張らなければいけない立場。オリンピック代表になれるから喜ぶというよりも、なれなかった選手のぶんまで精いっぱい…歩きの結果もそうだし、そこまでの取り組みも…自覚と責任感を持って取り組まないといけない。それが自分の役割」と述べたうえで、「選ばれることを信じて調整したい」と答えました。

1時間18分36秒をマークして3位でフィニッシュしたのは鈴木選手。もともとは、4月の日本選手権50km競歩と併催される全日本競歩で10kmに出場する計画でしたが、新型コロナウイルスの影響で種目がなくなったことにより、2週間前、急きょ、この大会へスライドして迎えたレースでした。動きそのものは、「まだまだ全然噛み合っていない。本来だったら、あのくらいのペースだったら、力を使わずに軽く歩けるのだが、それがやはりなかった」と万全には遠かったようですが、「準備不足のなかだったが、ある程度、手応えを感じるレースができた。自分が引っ張るレースになるというのはわかっていたので、逆にそれをうまく利用して、自分の歩きたいペースをつくっていった。ゴールタイムも予想以上だったし、中盤(11〜13km)、ペースを上げられたことも今後に生かせる」と結果自体はまずまずといった様子。また、オリンピックに向けて、「しっかりと地力を上げて、もう1回つくり直せれば、金メダルに近づけると確信できた」と、今後はレースに出場せず、トレーニングに専念していく意向も示しました。

このレースでは、4位でフィニッシュした古賀選手の健闘も目を引きました。序盤から先頭集団でレースを進め、17kmで引き離されはしたもののよく粘り、学生歴代5位となる1時間18分42秒をマーク。派遣設定記録(1時間20分00秒)を突破するとともに、昨年のこの大会で出した1時間20分24秒の自己記録を、1時間19分台を飛び越しての更新で、トップ選手の仲間入りを果たしたのです。2月の日本選手権では、好調が伝えられながら、最初から第2集団でのレースを選択して8位(1時間20分47秒)の結果に。その反省から、今回は「積極的に先頭集団について、ラスト2kmくらいで仕掛けられれば」と、トップ集団に食らいつきました。

1999年生まれの古賀選手は、昨年のユニバーシアード男子20km競歩に出場して銅メダルを獲得。1学年上の池田選手、川野将虎選手(東洋大)とともに日本勢のメダル独占を達成している選手です。今回は、中止となったアジア選手権で、初めてシニアでの日本代表に選出され、本当であれば、ナショナルチームのユニフォームを身にまとってのレースとなるはずでした。

レース後は、「大幅に自己ベストを更新できたので、そこは嬉しいが、最後、目の前で(オリンピック代表内定を)決められてしまったので、悔しい気持ちのほうが大きいというのが正直なところ」とコメント。「途中のペースの上げ下げには、今まで以上に対応できたが、そこまでに体力を使ってしまい、最後のところ(17km)は切り替える余裕が残っていなかった」と振り返る一方で、「今まで以上にトップとの差も小さく抑えることができたし、“勝負できるんだ”と感じて、自信にもなった」と声を弾ませました。さらに、「(学生では)池田さん、川野さんが東京オリンピックに内定したが、勝ちたいという思いはずっとある。その気持ちを忘れずに持っていきたい」と話し、「パリオリンピックもそうだし、世界チーム競歩選手権や、世界陸上(出場)も、チャンスはあると思っている。そこで今回以上に、よりよい結果を残して、シニアで戦えるようにしたい」と意欲をみせました。

なお、男子では、5位の藤澤選手(1時間20分24秒)に続いて、6位には学生の村山選手がオリンピック参加標準記録(1時間21分00秒)を突破する1時間20分49秒でフィニッシュ。前回のこの大会でマークした自己記録(1時間21分30秒)を大きく更新して学生選手権3位の成績を残しています。

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女子はダイヤモンドアスリート修了生の藤井が代表に内定!
2位・3位には、渕瀬・河添が続く

女子20kmは、男子のレース終了後の午前10時35分にスタート。気温は少し上がったものの風が強まり、さらに風向きがやや変わったことによって、最初に折り返してから次の折り返しまでの500mは、3〜4m近い向かい風を真正面から受けるなかでのレースとなりました。
 スタート直後は、18名前後の大集団。最初の1kmを4分55秒で入ると、その後も4分56秒、4分57秒と、さらにペースが遅くなります。次の2kmは少し上がって、それぞれ4分52秒のラップを刻み、5kmは24分33秒で、14名が大きなかたまりとなって通過していきました。ここで、自身のリズムが崩れることを避けようと、藤井菜々子選手(エディオン)が先頭に立ってペースアップ。次の1kmを4分42秒に引き上げたことで、集団が縦長になるとともに8名へと数を減らします。藤井選手は、そこから4分41秒、4分37秒、4分38秒、4分35秒と、徐々にペースを上げてレースを進めていき47分47秒で中間点(10km)を通過。このペースにつけない選手が次々と後れていき、10km通過時点でトップグループは、藤井選手、藪田みのり選手(県西宮高)、河添香織選手(自衛隊体育学校)、渕瀬真寿美選手(建装工業)の4名に絞られました。

インターハイチャンピオンで、今回が20km初挑戦の藪田選手が12km過ぎにいったん先頭に立つ場面もありましたが、すぐに藤井選手が逆転。13〜14kmの周回で藪田選手が完全に後れて3人になったトップグループは、1km3分33〜34秒で推移するなか、14km過ぎで今度は渕瀬選手が前に出て、藤井選手、河添選手がつく展開となり、15kmは1時間10分39秒で通過していきました。15kmで1秒の差ができていた河添選手が、この周回で完全に後れ、勝負は渕瀬選手と藤井選手の争いに。渕瀬選手は14〜15km、15〜16kmをともに3分34秒で刻みましたが、17km直前で藤井選手がすっと前に出ると、ここで完全にギアチェンジ。17〜18kmで4分27秒の最速ラップを刻んで渕瀬選手を突き放しました。

藤井選手は「最後の5kmは向かい風がすごくて、なかなか前に進まず、けっこう力を使ってしまった」というなか、19kmで渕瀬選手との差を12秒に広げると、最後の1kmは4分36秒でカバーして1時間33分20秒でフィニッシュ。この大会初優勝を果たすとともに、内定の条件を満たして、この種目で岡田久美子選手(ビックカメラ)に続く東京オリンピックの日本代表に内定しました。1999年5月生まれの藤井選手は現在20歳。陸上競技における東京オリンピック代表内定選手では最年少。日本陸連が認定するダイヤモンドアスリート修了生としても、最初の内定者となりました(藤井選手のコメントは、別記ご参照ください)。

2位は、1時間33分41秒でフィニッシュした渕瀬選手。昨年、岡田選手に更新されるまでの日本記録保持者(1時間28分03秒、2009年)で、2009年ベルリン世界選手権では日本女子競歩史上初となる6位入賞(大会後、上位選手のドーピングにより7位から繰り上がる)を果たし、2102年ロンドンオリンピックでもセカンドベストの1時間28分41秒をマークして10位(大会後、上位選手のドーピングにより11位から繰り上がる)の結果を残すなど、女子競歩界のエースとして活躍してきた選手です。長らく故障などで苦しむ時期を経て、昨年は日本選手権50kmで4時間19分56秒の日本新記録を樹立して優勝。この種目で、4大会ぶり4回目の世界選手権出場を果たし、11位(4時間41分02秒)の成績を残しています。

今回は、「記録を出しても(WAの)公認にならないということで、最低でも2番に入ることを意識してレースに臨んだ」という渕瀬選手は、「5月に世界チーム競歩があると聞いていたので、今回は、その代表になって、そこで(参加標準記録の)1時間31分00秒を切って代表を決めたい」という想定でのレースでした。新型コロナウイルスの影響で世界チーム競歩選手権も延期されることになったため、今後の計画の見直しは必要ですが、日本選手権2位の河添選手に先着したことで、残り1枠となった代表入りに向けて、可能性を残す結果となりました。

1時間34分28秒・3位で続いたのは、その河添選手。前述した男子の古賀選手と同様に、当初アジア選手権の日本代表として出場するはずでした。「アジア選手権の代表として出ると決まっていたときは、(オリンピック参加標準記録の1時間)31分というところを目標に歩いていこうと思っていた」そうですが、国際的には認められないレースとなったことで確実に順位を狙っていく戦略に変更。「12〜13kmくらいから一気に脚が重くなってしまって、先頭のペースが上がったというよりは、自分のペースが落ちてしまうレースになってしまった」点を反省しつつも、代表入りに向けては、望みをつなぐ成績を残しました。

併催された日本学生選手権は、全日本の部を5位でフィニッシュした林奈海選手(順天堂大)が1時間36分54秒で優勝しました。林選手は、2月の日本選手権で1時間35分10秒の自己ベストをマークして3位に入賞している選手。トラックレースでは、昨年の日本学生個人選手権(10000m競歩)で優勝経験を持ちますが、20kmでは初めての学生タイトル獲得となりました。

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世界への先駆者、山崎が引退

男子は21歳、女子は20歳の若手が東京オリンピック代表内定を決める一方で、日本競歩界を世界レベルへと引き上げた功労者がこの大会で現役最後のレースに臨み、長い競技人生の幕を引きました。

このレースを最後に引退したのは、山崎勇喜選手(富山陸協)。富山商業高で競歩を始め、2年時には世界ジュニア選手権(現U20世界選手権)に出場。翌2001年度には5000m競歩で19分35秒79の高校記録(当時)を樹立したほか、20km競歩では日本選手権で、当時の世界ジュニア歴代3位となる1時間20分43秒のU20日本新記録をマークして優勝し、関係者をあっといわせた選手です。以降、順天堂大を経て、長谷川体育施設(2006年度から)、自衛隊体育学校(2011年度から)の所属でトップウォーカーとして活躍。オリンピックは20kmと50kmの2種目で出場した2004年アテネ大会から3大会連続で出場して、2008年北京大会では50kmで日本競歩史上初の7位入賞を達成。世界選手権でも8位に入賞した2005年ヘルシンキ大会以降3大会連続で出場したほか、2010年のワールドカップ競歩50kmでは日本人初の6位入賞を果たすなど、日本の競歩レベルを、ワールドクラスへと引き上げました。2009年には50kmで3時間40分12秒の日本記録を樹立。昨年の日本選手権で鈴木雄介選手に塗り替えられるまでの10年間、日本記録保持者の肩書きを保持していました。

若手の台頭や、自身の度重なる故障などもあって、近年は思うような結果を出すことができず、2018年の冬からは一般の自衛隊員の扱いとなり通常の職務に就くことに。それでも「1%でも可能性があるのなら」と東京オリンピックを目指し、仕事を終えてから練習に取り組み、富山陸協の所属でレースに臨んできました。しかし、昨年1月に痛みが出た右臀部の故障が悪化して、6月以降は治療に専念せざるを得ず、「思うような練習ができなくて、体力が落ちるのと同時に、徐々にモチベーションも低下していった」と言います。今年の1月下旬に、ようやく練習が再開できるようになったものの、「そのころには、ひと区切りをどこかでつけなくてはと、思うようになっていた」と引退レースを決断。4月の輪島は、仕事との兼ね合いで難しい状況であったために、この大会を最後の試合に選びました。

ほとんど練習ができていない状態での出場だったこともあり、スタート直後から上位集団からは大きく後れ、先頭集団には何度か抜かれるレースとなりました。しかし、打ち切りとなる制限時間の前に最後の周回へ。「山崎、ありがとう」「山崎、あと少し」「山ちゃん、頑張れ!」と沿道から声援が飛ぶなか、山崎選手は、懸命に歩を進めていきます。そして、女子20kmがスタートして少し経った午前10時36分過ぎに、53位・1時間46分18秒でフィニッシュ。笑顔でその瞬間を迎えた山崎選手に、温かい拍手と労いの言葉が寄せられました。

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レース後に行われたセレモニーで、同時期に世界大会で活躍した女子20km競歩の川崎真裕美さん(現姓:喜多)から花束を受け取った山崎選手は、「“思い通りに行かなかったな”というのが正直なところ。また、“世界大会でメダル”というのが夢だったので、悔いも残る。でも、つらいことの多かった競技人生のなかで、たくさんの人に支えてもらって、本当に幸せな人生だった。そういう意味では、僕はすごく恵まれている。幸せでした」と挨拶しました。

その後、行われた記者会見では、最も印象に残るレースを尋ねられると、「僕と言ったら“あの事件”かな」と、入賞ラインをかけたレースを展開していたなか競技役員の誘導ミスによって周回不足のままでフィニッシュし、これにより途中棄権の扱いとなった2007年大阪世界選手権を挙げ、「自己紹介するときには、必ずその話をするので」と続けて、会場を笑わせる場面も。また、活躍する後輩たちに対する思いを問われたときは、「日本の競歩界は、世界でもトップにいて、次の東京オリンピックでの金メダルも期待できると思う」と応じ、「そういうシーンをぜひ見てみたいですね、歴史の変わる瞬間を」と、やわらかな笑顔でエールを送りました。

引退後は、「陸上自衛隊員としての仕事がメインになってくるので、いったん競技からは離れることになる」とのこと。一方で、「競技に携わっていきたいという思いはある」と、将来的に競歩界へ戻ってきたい気持ちがあることも示しました。



※本文中、1kmごとのラップは大会時に速報としてアナウンスされた計時を記載。なお、5kmごとのスプリットは公式発表の記録である。

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【東京オリンピック20km競歩日本代表内定者コメント】

◎池田向希(東洋大学)
優勝 1時間18分22秒

東京オリンピックの最後の選考レースということで、内定(の獲得)を一番の目標にしていた。こうして優勝して、オリンピック内定を獲得することができ、本当によかった。今回は、自分からレースをつくるというよりは、「先輩方の力を借りつつやっていこう、リラックスして落ち着いてレースに臨もう」という意識で挑んだ。その結果、終盤になるまで気持ちの面、身体の面で余裕をもってレースを展開することができたと思う。

12kmあたりでペースが上がったけれど、そこでも瞬時に対応することができ、また、レースがラスト4kmのところで(高橋)英輝さんと2人で横並びになる状況になったときも、「あとは気持ちの勝負。気持ちで絶対に負けない」という思いで最後まで行くことができた。そして、ラスト1kmでは、少しずつ少しずつペースアップするイメージを持っていくことができ、最後で(引き)離すことができた。勝てると思えたのは、本当にラスト150mくらい。最後の折り返しを回ったところで、後ろの英輝さんとの差を見て離れていることがわかったので、そこでやっと確信することができた。

(高橋選手とのマッチレースになってからは)英輝さんがずっと後ろについていて、気配はもちろん感じていたし、どこで英輝さんが出るのかに対しても準備していかなければいけないと思っていた。英輝さんがどこで行く(スパートする)のかは恐怖に感じていて、でも、そのときには絶対に負けない、食らいつくんだという思いでいた。最後は、半分は(スパートされたときの)準備、半分は(リードを奪った状態で)このままで行くという感じで、どちらでも対応できるようにしていた。自分が(スパートを仕掛けて)一気に行ききるだけの力はなかったが、今回、最後までしっかり対応しつつ、準備しつつ、一気ではないけれど少しずつペースアップしていけたことで、今までやってきたことが出せたかなと思っている。

入学当初は、自分は力がなく、マネジャー兼務という形での入部だった。東洋大学の競歩は、オリンピック、世界選手権などの世界に挑戦していこうとする高い意識と伝統のある大学。自分もそういったところに挑戦したいという思いで入学して、そういう強い先輩方がいたから、こうやって少しずつ自分も力を上げられたのかなというのがある。また、毎日のようにコーチに指導していただいたことによって、どんどん成長できたということも実感している。これで(2012年)ロンドンの西塔拓己選手、(2016年)リオデジャネイロの松永大介選手、そして今回の東京と、男子20km競歩において3大会連続で東洋大学現役として代表入りすることになった。自分がその伝統を受け継ぐことができて本当によかったと思うし、また、そのことは、入学当初から同級生の川野将虎(男子50km競歩日本記録、20km学生記録保持者。昨年10月に50kmで、すでに代表に内定)と2人で目標にしていたことでもあった。川野が50kmで先に決めてくれて、自分もそのあとに続くことができ、2人とも決めることができて、本当によかったなと思っている。

(2018年の)世界競歩チーム選手権で優勝したことは、より世界選手権やオリンピックに出たいという思いが強く持てたという意味では本当にプラスになる、いいきっかけだったが、そこで勝ったことによって、ある意味「勝ちパターン」を自分のなかでつくり上げてしまったところは逆に弱点になってしまったようにも思う。そのパターンにはまらなかったら勝てないというレースが続いていて、(6位になったドーハ)世界選手権や日本選手権では敗戦した。しかし、その負けがあったからこそ、今回は、それを生かしたレースができたのかなとも思う。

東京オリンピックに向けては、まだ自分の実力では、先日の日本選手権を優勝した世界選手権金メダリストの山西(利和)さんとの差はあると感じていて、今の状況で「金メダルが目標」とは、正直なところ言いきれないと思っている。これからその差を埋めていき、東京オリンピックを迎えるまでには「目標は金メダル」と言えるように準備していきたい。

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◎藤井菜々子(エディオン)
優勝 1時間33分20秒

今日は、とにかく東京オリンピックの代表内定をつかむことを一番に優先するレースをした。最初の5kmはすごいスローペースで、みんなが牽制している感じがあったけれど、自分にとってはペースが遅くてリズムが崩れてしまったので、次の5kmから(ペースを)10秒ほど上げて、そこからは(1km)4分30秒前後でレースを進めていった。最後の5kmは向かい風がすごくて、なかなか前に進まず、けっこう力を使ってしまったが、前半のスローペースを考えると、後半はしっかりペースを上げることができた。ケガをしていた期間があったことも考えると、まずまずの歩きができたのではないかと思っている。

1月頭にケガ(右脚の大転子滑液包炎)をしてから(この大会を迎えるまで)の2カ月は、私のなかではものすごく苦しい期間となった。競歩に転向してから(ずっと)順調に来ていて、このようなケガをしたのは初めてだったし、戸惑いと焦りが日々(心の中で)飛び交う状態のなか、日本選手権も欠場することになったので、「本当に、自分が東京オリンピックに出られるのか」というところまで考えたときもあった。しかし、本当にたくさんの方々のサポートのおかげで、今日のスタートラインに立つことができ、そして、東京オリピックの内定を取ることができた。私の力だけでは、取ることはできなかったと思う。

私が競歩に取り組み始めたのは高校2年のとき。高校では長距離との両立だったが、それを機に、インターハイ優勝、国体でのU20日本記録更新など、競歩のほうでどんどん結果が出て、日本陸連のダイヤモンドアスリートに選んでいただいたり、第一人者の岡田さん(久美子、ビックカメラ)と大会でご一緒したり、合宿でも一緒に練習させていただくようになった。(そういう意味で)高校2〜3年生のときに、自分の気持ちが「競歩をやりたい、競歩で、世界で戦いたい」というほうへ向かったところが、大きな変換点になったと思う。

ダイヤモンドアスリート(として受けたプログラム)では、たくさんのトップアスリートとセッションする機会が多く、また、メディアへの対応の仕方や国際人としての教育など、たくさんの経験をさせていただいた。そういうものがトータルで、私にとって今、プラスとなっていて、自分を選んでいただいたことに感謝している。また、岡田さんは、高校のときから憧れの存在で、本当にいつもお世話になっている大先輩。一緒に出場することができた(ドーハ)世界陸上では、6位(岡田)・7位(藤井)という結果を出すことができて本当に嬉しかったので、東京オリンピックにも一緒に出たいという思いを強く持っていた。練習も一緒にさせていただいていて、世界陸上と同様に「一緒に戦っていきたい、女子競歩をもっと盛り上げていきたい」という思いがあるので、今回、内定が取れたことで、岡田さんと(オリンピックに)出場できることを、とても嬉しく思う。

東京オリンピックが決まったので、これからは、(女子20km競歩が行われる)8月7日9時30分のスタートに向けて、確実にレベルアップをしていきたい。メダル獲得というところを目標にしていきたいが、まだまだ未熟なので「目標」というよりは「挑戦」というところ。もっと練習を頑張っていきたいと思う。



文、写真:児玉育美(JAAFメディアチーム)
写真提供:フォート・キシモト

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