小笠原道大コーチは北海道を離れている間にどんなキャリアを積んでいた?

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 4年ぶりの頂点を目指す北海道日本ハム。かつてチームを代表する主砲だった小笠原道大氏が昨秋、ヘッドコーチ兼打撃コーチに就任した。

 小笠原コーチが北海道日本ハムのユニフォームに袖を通すのは14年ぶりのこと。北の大地を離れてから、どのような球歴を歩んできたのかを紹介しよう。

ヒゲを剃り落として巨人へ……リーグ3連覇に貢献

 2006年、北海道日本ハムの日本一に貢献し、パ・リーグMVPを獲得すると、シーズン後にFA宣言。巨人への移籍を決断。新天地にかける並々ならぬ思いは、トレードマークのヒゲを剃り落としたことからも感じられた。

 巨人での初年度の2007年、主に「3番・三塁手」を任されたが、「巨人第73代」4番にも起用される。最終的には142試合、177安打、31本塁打、88打点、打率.313の好成績をおさめ、チームのリーグ優勝に貢献。NPB史上2人目になるセ・パ両リーグで2年連続のシーズンMVPを獲得した。

 2008年には東京ヤクルトからアレックス・ラミレス氏(現横浜DeNA監督)がチームに加入。3番に小笠原氏、4番にラミレス氏が並ぶ強力打線を形成し、2人で81本塁打221打点をたたき出した。この「オガラミ」打線の勢いが止まらず、巨人は2007年からリーグ3連覇。2009年の日本シリーズでは古巣・北海道日本ハムを破って日本一に輝いている。

 2011年に通算2000安打を達成したが、その一方で故障や打撃不振に悩まされていった。

 2012年はプロ1年目以来、15年ぶりの本塁打なし。2013年はプロ入り最少になる22試合の出場にとどまり、チームのリーグ優勝に貢献したとは言い難い状況だった。この年のオフ、小笠原氏は40歳にして自身2度目のFA権を行使して中日ドラゴンズへ移籍する。

中日二軍監督として阿部寿樹、根尾昂を根気強く起用

 中日では代打の切り札として存在感を発揮。移籍初年度に代打で6打数連続安打(日本記録は7打数連続安打)を記録している。現役最後の年になった2015年も打率.294と意地を見せた。

 引退直後の2016年シーズンから中日の二軍監督に就任し、指導者としてのキャリアが始まった。就任1年目はウエスタン・リーグ2位、翌年からは4位が2度、昨季は3位だった。二軍監督に求められる選手育成の面では、阿部寿樹選手が一軍レギュラーへ成長。大型新人として入団した根尾昂選手を根気強く起用し続け、根尾選手と同期の石橋康太選手は一軍デビューを飾った。

「ガッツ2世」の育成に期待大!

 昨年10月のコーチ就任会見で「経験してきたことを北海道で恩返ししたい」と抱負を述べた小笠原コーチ。北海道日本ハムには清宮幸太郎選手、今井順之助選手、万波中正選手といった、強振とバットコントロールを兼ね備えた「ミスターフルスイング」候補はそろっている。特にプロ入り初の一軍キャンプスタートである今井選手と万波選手をどのように指導していくのか。小笠原コーチの指導ぶりが、名護キャンプの見どころの一つになりそうだ。

文・菊地綾子
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