ロッテ井口監督が大学後輩たちに伝えたかった事
【後輩たちにメッセージを送る小久保裕紀氏と井口監督】
多忙の合間を縫って指揮官が向かった先は青山学院大学相模原キャンパスだった。母校の野球部グラウンドで12月6日、井口資仁監督と同じく同大OBで現野球評論家の小久保裕紀氏のプロ2000本安打プレート除幕式が盛大に行われていた。
スピーチを求められると偉大なOB2人は言葉こそ違えど、同じような趣旨の発言をした。まずは井口監督の3歳年上となる小久保氏が後輩にアドバイスをする形で口を開いた。
「一日15分でいいから自分のための時間を作ってください。それが1年間、積み重なると凄い時間になる。2年、3年となるとさらに重なる。まったくそういう時間を作っていない人とでは大きな差が生まれる」
大先輩の分かりやすいアドバイスを後輩たちは背筋を伸ばしながら聞いた。井口監督も頷きながら聞き入った。続いて発言した。
「大学では自由な時間が沢山ありました。やらされる練習はまったくなかった。それだけ自分で考えて練習をする必要がありましたが、その時間が自分にとって大きかった。自分が将来どうなりたいのかという目標設定をしっかりと持って練習に取り組んで欲しい」
日米通算2000本安打の偉業を成し遂げ、千葉ロッテマリーンズの監督として活躍する男は懐かしそうに大学時代を振り返っているようだった。
当時はまだこの場所にはグラウンドはなく、横浜の綱島にあった。グラウンドに併設される形で体育会の寮があり野球部は寮生活。ただ練習時間は当時の大学野球部としては異例の短さで午前10時に始まり、2時間ほどで終えた。そこからは自由。練習するか否かは個人に委ねられていた。
「遊びに流されるような人はレギュラーになれなかった。能力があるのに努力をせずに消えて行った人は沢山見てきた」
大学時代の貴重な4年間。遊ぶのも野球に没頭するのも自由。井口監督は当時、プロで活躍する姿を夢見て様々な練習に取り組んだ。1年春のリーグ戦では3割あった打率が2年春に1割まで落ちると筋トレに取り組むようになった。身体は一回り大きくなり、打球に力強さが生まれた。イッキに調子を上げドラフトの目玉選手に上り詰めた。そして今がある。
「小久保さんなどいい先輩に恵まれた。練習をする姿勢を見て、自分もと思った。若い時の時間の使い方は本当に大事。戻らないからね。だから、それを後輩に伝えたかった」
青山学院大学は現在、東都の2部と苦戦を強いられている。偉大な先輩たちは1部昇格を願い後輩たちに助言した。それは青春の限られた時間との向き合い方。時間は平等にあるが、容赦なく流れる。それをどう使うかで人生は変わるということだった。
文 千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章
スピーチを求められると偉大なOB2人は言葉こそ違えど、同じような趣旨の発言をした。まずは井口監督の3歳年上となる小久保氏が後輩にアドバイスをする形で口を開いた。
「一日15分でいいから自分のための時間を作ってください。それが1年間、積み重なると凄い時間になる。2年、3年となるとさらに重なる。まったくそういう時間を作っていない人とでは大きな差が生まれる」
大先輩の分かりやすいアドバイスを後輩たちは背筋を伸ばしながら聞いた。井口監督も頷きながら聞き入った。続いて発言した。
「大学では自由な時間が沢山ありました。やらされる練習はまったくなかった。それだけ自分で考えて練習をする必要がありましたが、その時間が自分にとって大きかった。自分が将来どうなりたいのかという目標設定をしっかりと持って練習に取り組んで欲しい」
日米通算2000本安打の偉業を成し遂げ、千葉ロッテマリーンズの監督として活躍する男は懐かしそうに大学時代を振り返っているようだった。
当時はまだこの場所にはグラウンドはなく、横浜の綱島にあった。グラウンドに併設される形で体育会の寮があり野球部は寮生活。ただ練習時間は当時の大学野球部としては異例の短さで午前10時に始まり、2時間ほどで終えた。そこからは自由。練習するか否かは個人に委ねられていた。
「遊びに流されるような人はレギュラーになれなかった。能力があるのに努力をせずに消えて行った人は沢山見てきた」
大学時代の貴重な4年間。遊ぶのも野球に没頭するのも自由。井口監督は当時、プロで活躍する姿を夢見て様々な練習に取り組んだ。1年春のリーグ戦では3割あった打率が2年春に1割まで落ちると筋トレに取り組むようになった。身体は一回り大きくなり、打球に力強さが生まれた。イッキに調子を上げドラフトの目玉選手に上り詰めた。そして今がある。
「小久保さんなどいい先輩に恵まれた。練習をする姿勢を見て、自分もと思った。若い時の時間の使い方は本当に大事。戻らないからね。だから、それを後輩に伝えたかった」
青山学院大学は現在、東都の2部と苦戦を強いられている。偉大な先輩たちは1部昇格を願い後輩たちに助言した。それは青春の限られた時間との向き合い方。時間は平等にあるが、容赦なく流れる。それをどう使うかで人生は変わるということだった。
文 千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章
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