東京2020注目株・パラ陸上100m井谷俊介、“スピード勝負”に魅せられて

チーム・協会

【(C) Hiroaki Yoda】

陸上競技用義足で本格的な練習を初めてわずか10ヵ月ーー昨年10月のインドネシア2018アジアパラで、予選で佐藤圭太の持つアジア記録(11秒77)を上回る11秒70の記録を叩き出し、決勝でもトップでゴールラインを駆け抜けた。その後も記録を続々と更新。陸上競技の井谷俊介は今、パラスポーツ界でもっとも注目を集める存在といっていい。そんな井谷にはどんな可能性があるのか。東京2020パラリンピックに向けて期待を背負う注目株に聞いた。

異色の陸上選手が誕生するまで

目覚ましい活躍を見せているにも関わらず、井谷が本格的にパラ陸上に取り組むようになったのは2017年11月のこと。高校時代は野球部に所属していたものの、大学に入ってからはカーレースに夢中になっていたというから、その競技歴もかなり特異だ。

井谷俊介(以下、井谷) 実家が三重県の鈴鹿サーキットに近いこともあって、子どもの頃からレーサーは憧れの存在でした。F1があるときは金曜日のフリー走行から見に行っていたほど。その頃、大活躍していたミハエル・シューマッハ選手のサインが欲しくて、宿泊しているホテルの前で待ち構えていたこともありました。F1など大きなレースだけでなく、アマチュアレースなども観に行っていましたね。とはいえ、カーレースはお金がかかるので、なかなか本格的に取り組むのは難しく、高校生の頃まではたまにレンタルカートに乗るくらいで、野球部に所属していました。大学生になって、もうプロのレーサーになるのは難しいなと思って、それでもレースの世界に関わる仕事がしたいなと考えてサーキットでアルバイトを始めたら、やはり自分で走りたくなってしまって。カートのレースを始め、トヨタ「ヴィッツ」でもレース活動をしていました。

そんな中、突然の悲劇が井谷を襲った。

井谷 バイク事故に遭ってしまったんです。4日間意識が戻らないような状態でした。意識が戻ったときは、まだ右脚はあったのですが、壊死が進んでいて、結局事故から10日後に切断しました。

右脚の切断手術から1ヵ月後に義足を装着。2週間のリハビリを経て退院したその足でレンタルカートに乗りに行ったというほど、カーレースに夢中だった。そんな井谷はこれまで経験のない陸上競技でパラスポーツ最高峰の舞台を目指すことになるーー。

井谷  入院中からカーレースに復帰したくて仕方なかったので、すぐに乗りに行って翌週にはレーシングカートもドライブしていました。義足になった右脚でのアクセル操作はやっぱりシビアだなとか考えていたのですが、そこに母親が大和鉄脚走行会という義足で走っている人たちのチームがあるので見に行かないかと誘ってくれたんです。走らなくてもいいから「義足で生活する上での知識とかを勉強しに行こう」と。見学に行ったのは事故に遭った2ヵ月後くらいでしたね。

子どもから年配の人まで、いろいろな年齢の人たちが集まる練習会。走るつもりは全然なかったという井谷だが、笑顔で走る人たちを見ているうちに「僕も走りたい」と気持ちが動いた。

井谷 小さな板バネがついたジョギング用の義足で走ったら、風を切る感じや音が本当に気持ちよくて、ただ走ることがこんなに楽しかったのか! と。当時は何となく不安になったり、モヤモヤした暗い気持ちになることもあったのですが、それがスーッと消えていくようでした。そして、何より始めは走ることに不安そうだった母が1日の終わりには「楽しかったね、よかったね」とすごい笑顔で言ってくれたんです。事故の後、たくさんの人を悲しませたり笑顔を奪ってしまったことに責任を感じていたので、自分が走ることでみんなの笑顔を取り戻せるならとパラ陸上をやってみようと思いました。ただ走っただけでも母が笑顔になってくれたんだから、これでパラリンピックに出たら、みんなが喜んでくれるんじゃないか、自慢してもらえるんじゃないかと。小学生が「プロ野球選手になりたい」というような軽い気持ちでしたが、パラリンピックに出たいと思うようになりました。

始めたころは陸上競技用義足の「つま先で立つような感覚が難しかった」という 【(C) Hiroaki Yoda】

競技経験ゼロからのスタート

軽い気持ちで始めたという陸上競技だが、その後の活躍は冒頭に記した通り。それまで陸上競技に取り組んだ経験がなかったにも関わらず、ここまで結果を出せているひとつの要因は“幸運な出会い”があったことだ。

井谷  野球をやっていた頃から、足は速いほうでした。野球用のスパイクを履けば11秒7とかでは走れていましたね。初めて競技用の義足を履いたのは2017年の11月でしたが、その頃はまだ14秒台でした。僕にとって憧れのレーサーだった脇阪寿一さんの紹介でトレーナーの仲田健さんと出会って、本格的な練習を始めたのが2018年の1月から。記録が伸び始めたのは、それからです。仲田さんは(日本を代表するスプリンターである)山縣亮太選手や福島千里選手の指導もしている人なので、一緒に練習することもできて最高の環境ですね。

振り返ると、全く競技経験がなくて、始めてから間もない変なクセや固定観念がない状態で最高のトレーナーに出会えたことが、その後の結果につながったのだと思います。競技経験があるとトレーナーに指摘されても、自分の今までやってきた方法に固執してしまうこともありますが、僕にはそれが全くないので。あと、フィジカルトレーナーとランニングコーチが別の人だとお互いに目指す方向がズレてしまうことも考えられますが、僕の場合は仲田さんが全て見てくれるので、それもよかったのだと思います。

とはいえ、経験のなさは取り組む課題が多いことも意味する。厳しい練習やトレーニングを重ね、そうした課題を克服してきたからこその活躍だろう。これまでの、そしてこれからの課題はどんなことなのか。

井谷  ジョギング用から競技用に義足を履き替えたとき「速く走れる」という感覚はありました。クルマでいうと乗用車からレーシングカーに変わったような(笑)。

でも、それを扱い切れないというのが最初の壁でした。競技用の義足は反発が大きく、それを活かして速く走るのですが、踏み潰してたわませないとその力を活かせません。その感覚を養うのと、踏み潰す筋力を得るためのフィジカルトレーニングを重ねて、何とか今のレベルまで来られました。

今も義足を操る技術を高めることは課題のひとつですが、もう1つ強化しているのがスタートの加速です。短距離走は前傾姿勢の1次加速と、体を起こしてトップスピードに乗る2次加速に分けられますが、スタートしてから30mくらいまでの1次加速を強化しています。世界トップクラスのフェリックス・シュトレング(ドイツ)と一緒に走っても、トップスピードはそんなに大きな差はない。でも、彼らはそのスピードに乗るまでの加速が速いんです。そのため、トップスピードで走れる距離が長くなる。僕はそこがまだまだなので、その点に取り組んでいます。具体的にはやはり下半身を中心としたフィジカルの強化ですね。

井谷  今は週に3日がランで、2日がフィジカルトレーニングですが、どちらもレベルが高くなってきているのでキツいですね。始めた頃は、陸上の練習は2〜3時間で終わるので、朝から晩までやっている野球に比べたら楽だなとか思っていたのですが(笑)。短距離の選手は走っても最大10本くらいですから。1本走ったらしっかり回復させないとタイムを縮めることはできない。でも、その1本1本を全力で走るので、レベルが高くなって来ると本当にキツい。レースと同じように集中を高めて走らないといけないので、気持ちの面でも疲れますね。

100mも200mもアジア記録保持者になり、重圧も背負いながら走る 【(C) Hiroaki Yoda】

モータースポーツとの共通点も

当初は陸上競技とカーレースの二足のわらじで進みたいと思っていたというが、今は陸上競技に専念しようと考えているという井谷。一方で、義足という道具を使うパラ陸上に、モータースポーツとの共通点も感じているようだ。

井谷  レーサーも、義足のランナーも1人ではなくて多くの人の力があってスタートラインに立てるという点が似ていると思います。個人スポーツと思われがちですが、パラ陸上は義肢装具士の人がいて、義足メーカーの人がいて、そこにトレーナーさんやコーチもいて、みんなで意見を出し合ってやっている。メカニックやタイヤメーカーの人など、多くの人で1台のクルマを速くしようとしているモータースポーツと共通すると感じています。

道具を使うスポーツで、ただ速い道具を使えばいいのではなく、それをいかに自分に合わせてセッティングするかが重要という部分も同じですね。今の義足は松本義肢で橋場さんという人に作ってもらっていますが、ちょうど作り変えるタイミングなので、この間も三重に行って走っては調整を繰り返すという作業を橋場さんと一緒にやってきました。そうやって多くの人に力をもらって、気持ちを背負ってスタートラインに立つ分、緊張感も大きいですが、タイムが出たときの気持ちよさは最高ですね。それもカーレースと同じだと思います。

大会を控えると、1週間くらい前から「タイムが出なかった」という夢を見るほど緊張するというが、最近はその緊張感も含めて楽しめるようになってきたという。

井谷  大会前は「これで大丈夫かな?」とどんどん不安になって、大会に入るとすごい緊張します。でも、その緊張感が高まった状態からヨーイドンで走って、ゴールした瞬間にバンッと弾けるような感覚がたまらないですね。それでいいタイムが出たときの達成感は最高です。最近はレース前の不安感や緊張感があるからこそ、あの感覚が味わえるのだと思えるようになってきました。

東京パラリンピックでは「金メダルという最高の結果で、お世話になった人たちに恩返ししたい」と話す井谷には、ぜひ会ってみたい選手がいる。ハンドサイクルの選手としてロンドンとリオで金メダルを獲得している、イタリアのアレッサンドロ・ザナルディだ。実は、右足を切断した2日後、友人に教えてもらったザナルディの記事に大きな希望をもらったのだ。

井谷  レース中にクラッシュして両足を切断したザナルディは、最後のレースが終わっていなかった。それで残りの周回を走らないかと打診された際に、奥さんは反対したけれど、「残りのレースを走り切ることで妻も本当の笑顔になれるんだ」と言って走った。自分もみんなの笑顔を取り戻したいと思って今、走っています。そして、彼に僕が勇気をもらったように、多くの人に勇気や笑顔を与えられる存在になれたらと思います。

みんなの笑顔が原動力。さわやかに語るその笑顔の奥に、隠された強さがあった。

text by TEAM A
photo by Hiroaki Yoda

※本記事は2019年7月に「パラサポWEB」に掲載されたものです。
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