Day2【ドーハ世界選手権】デイリーハイライト&選手コメント

日本陸上競技連盟
チーム・協会

【フォート・キシモト】

深夜の一人旅! 男子50km競歩で鈴木が日本競歩史上初の金メダルを獲得!
男子走幅跳の橋岡は、世界選手権日本勢初の8位に入賞



大会2日目の9月28日、日本選手団は、世界選手権通算5個目となる金メダルを獲得しました!

1日目の女子マラソン同様、深夜のレースとなった男子50km競歩で、20km(1時間16分36秒=世界記録)と50km(3時間39分07秒)の2種目で日本記録を持つ鈴木雄介選手(富士通)が、4時間04分20秒で初優勝。競歩種目ではオリンピック・世界選手権を通じて史上初、世界選手権では史上5人目の金メダリストとなったのです。また、鈴木選手は、この大会でメダルを獲得した日本人最上位者という日本陸連が定めた規定を満たしたことで、東京オリンピック同種目の日本代表にも内定しました。

レースは、女子50kmとともに、同日23時30分にスタート。女子マラソン同様、ドーハの海岸沿いに1周2kmの折り返しコースが設けられ、ここを25周する形でレースは行われました。スタート時の気象状況は気温31℃、湿度74%。先日の女子マラソンより気温が1℃低く、レース終了時には気温・湿度ともに少しだけ下がる条件下でのレースです。

この大会に向けて、事前から具体的なペースを設定せず、自分が50kmを歩ききることができるという感覚に従ってレースを進めていくと公言していた鈴木選手ですが、最初の1kmを4分57秒で入った段階で先頭に立ち、その後、最後まで一度も首位を譲らずにフィニッシュを迎える展開となりました。15kmまでの各1kmを4分51〜59秒のラップを刻み、5kmを24分32秒、10kmを49分11秒、15kmは1時間13分40秒で通過。9km過ぎで世界記録保持者のYohann Diniz選手(フランス)から2位グループから抜け出し、1kmほど鈴木選手の後ろにつきましたが、10kmすぎで離れて(Diniz選手は16km過ぎで途中棄権)からは、鈴木選手の完全な“一人旅”となりました。16km以降は、1km4分40秒台のラップを刻み、22〜23kmでは4分38秒までラップを引き上げ、後続との差をどんどん広げていきます。20kmを1時間37分35秒、25kmを2時間01分07秒で通過。30km手前でトイレに入った影響で、30kmは2時間25分55秒の通過となりましたが、35kmは2時間49分31秒、40kmは3時間13分21秒で通過。この間も1km4分50秒を切るペースでレースを進めました。しかし、レース後の鈴木選手のコメントによると、実は30km付近から徐々に脚に重さを感じるようになり、34km付近からは最後まで歩ききれるのかという不安と戦っていたとのこと。さらに胃が疲労のために働きが悪くなっていたことから確実に水分を補給するために、残りの10kmでは2kmごとの水分補給時にゆっくり歩く、あるいは立ち止まるなどして給水を飲み、再びレースペースに戻す手段を取り入れました。これにより、42km以降は、5分25〜30秒台のラップに落ち込む区間も出て、後続との差は徐々に縮まることとなりましたが、中盤までに稼いだ“貯金”が功を奏し、2位でフィニッシュしたJoão VIEIRA選手(ポルトガル)に39秒の差をつけての完全勝利となりました。

鈴木選手とともに出場していた勝木隼人選手(自衛隊体育学校)は大会前から体調不良に苦しむなかでの出場に。中盤では大きくペースを落として40位台まで後退する場面もありましたが、終盤で持ち直して徐々に順位を上げ、4時間46分10秒で完歩。27位でのフィニッシュとなりました。また、序盤は鈴木選手を追う第2集団でレースを進めていた野田明宏選手(自衛隊体育学校)は、13kmを過ぎたあたりで急にペースダウン。体調が戻らず、そのまま途中棄権という結果になりました。

女子50km競歩には、4月の日本選手権を4時間19分56秒の日本新記録で制した渕瀬真寿美選手(建装工業)が出場。渕瀬選手は、今年6月に岡田久美子選手(ビックカメラ)に更新されるまでの10年間、20kmでも日本記録(1時間28分03秒)保持し、世界選手権には2007年から4大会連続で出場、2009年ベルリン大会では日本女子競歩初の7位入賞も果たしている選手。種目は異なるものの3大会ぶりに世界選手権に戻ってきました。
序盤を16〜17位でスタートした渕瀬選手は、10kmを56分22秒で通過すると、15km地点までに8位集団に追いつき、1時間24分23秒で通過。その後も入賞が視野に入る位置でレースを進めていきました。しかし、腹痛が起きた影響もあって、2時間20分47秒で通過した25km地点では、8位と38秒差に開きましたが、30kmまでで再び8位集団に追いつきます。4人の8位集団を形成して35kmは3時間16分01・9位で通過しましたが、40kkm以降は11位で前を追う展開に。その後は順位を上げることができず、4時間41分02秒・11位でのフィニッシュとなりました。

一方、ハリーファスタジアムで行われたトラック&フィールド競技は、17時30分からスタートした男子棒高跳予選が最初の種目となりました。日本からは、今年の日本選手権の制した江島雅紀選手(日本大学、ダイヤモンドアスリート修了生)、世界選手権では2013年モスクワ大会でこの種目の史上最高成績となる6位入賞を果たしている山本聖途選手(トヨタ自動車)、そして棒高跳日本記録保持者(5m83)で2016年リオデジャネイロオリンピック7位入賞の澤野大地選手(富士通)の3名がエントリー。予選通過記録は5m75で、3人揃っての決勝進出に期待が寄せられました。

A・B2組に分かれた予選では、A組に師弟でもある澤野選手と江島選手が、B組には山本選手が入って競技はスタート。江島選手と山本選手は5m30から試技を始め、澤野選手はこの高さをパスして5m45から試技を開始させました。5m30は、まず山本選手が1回でクリア。江島選手は2回目に成功させて、バーは5m45に。A組では澤野選手と江島選手は2回失敗したのちに3回目の試技に。一方、やや進行が遅れていたB組では1回目を失敗した山本選手が2回目の試技を迎えていました。ここでちょうど3選手の跳躍順番が重なるタイミングに。まずA組で澤野選手が5m45をクリアすると、続いてB組のピットで山本選手がクリア。そしてA組では江島選手もこの高さを成功させました。

バーの高さは5m60に上がり、B組の山本選手がこの高さを2回目にクリア。A組では澤野選手が1回目の試技の際、助走の途中でふくらはぎのけいれんを起こし、ポールを突っ込んだものの身体を持ち上げることができず赤旗が上がります。結局、澤野選手と江島選手はこの高さを攻略することができず。5m45を1回で跳んだ澤野選手が組13位、江島選手は同14位という結果に。この時点で両選手の決勝進出は絶望的となりました。
B組の山本選手は、次の高さの5m70に挑戦しましたが、クリアすることは叶わず、組12位の5m60で競技を終了。この組では6m16の世界記録を持つルノー・ラビレニ選手(フランス)が5m70を越えられず5m60で終える波乱もあるなか、最終的に、5m75をクリアした8選手と、5m70を1回で成功した4選手までが決勝進出となるはハイレベルな結果となりました。

男子棒高跳予選が進行するなか、トラックでは、日本勢が全員駒を進めることとなった男子400mHと男子100mの準決勝が行われました。3組2着+2の決勝進出条件で行われた男子400mH準決勝では、2組目に豊田将樹選手(法政大学)が出場しましたが、得意の終盤で順位を上げることができず、8着(50秒30)で競技を終了。一方、3組目に入った安部孝駿選手(ヤマダ電機)は、46秒台の自己記録を持つRai Benjamin選手(アメリカ)とAbderrahman Samba選手(カタール)がいる非常に条件の厳しい組となったなか、48秒97をマークして3着でフィニッシュ。プラス2での進出を狙いましたが、この段階でプラスの2番目にいた1組目3着の記録48秒93にわずか0.04秒届かず全体9位での敗退に。2005年ヘルシンキ大会で為末大選手(APF)以来となるこの種目4回目の決勝進出はかないませんでした。

男子100mの準決勝も3組2着+2の決勝進出条件で行われ、1組目にサニブラウン・アブデルハキーム選手(フロリダ大学)、2組目に小池祐貴選手(住友電工)、3組目に桐生祥秀選手(日本生命)が、それぞれ出場しました。1組目のサニブラウン選手は、スタートの出発音が小さくて聞こえないというアクシデントに見舞われて大きく出遅れたことが影響し、10秒15(-0.3)で5着。小池選手は、隣の選手の動きを気配で感じた影響で思いきったスタートができず不完全燃焼の走りとなってしまい10秒28(-0.1)で7着。桐生選手も序盤は先頭争いを繰り広げたものの、終盤で後れて10秒16(+0.8)・6着でのフィニッシュとなり、3選手ともに無念の準決勝敗退となりました。

続いて行われたのは、男女混合4×400mRの予選です。世界リレーでこの世界選手権の出場権を獲得した日本は、東京オリンピック出場権が与えられる8位入賞を狙って出場。2組目に入った日本は、男子・女子・女子・男子と配置することがセオリーとなりつつあるなか、“奇襲作戦”という位置づけで、1走に女子の青山聖佳選手(大阪成蹊AC)が入り、2走・3走を男子の若林康太選手(駿河台大学)と田村朋也選手(住友電工)がつなぎ、アンカーに女子の高島咲季選手(相洋高校)を起用するというオーダーで挑みました。自分以外の全員が男子選手となった青山選手は最下位でのバトンパスとなりましたが、2走の若林選手で6位に浮上すると3走の田村選手がバックストレートで首位に立って、日本選手団唯一の高校生である高島選手へバトンパス。7人の男子選手から猛追を受ける形となった高島選手は、懸命に逃げましたが、さすがに逃げきることはできず、全選手にかわされて8着でフィニッシュ。3分18秒77の日本新記録をマークしましたが、決勝に駒を進めることができず、東京オリンピックの出場権獲得はお預けとなりました。

トラックの最終種目となったのは、女子10000m決勝。この種目には、引退と復帰を経て6年ぶりの世界選手権出場となった新谷仁美選手(NIKE TOKYO TC)と、山ノ内 みなみ選手(京セラ)が出場しました。スタート直後は、新谷選手は4番手、山ノ内選手は中盤の位置でレースを進めていきましたが、3200mを過ぎたところでアフリカ勢を中心とする7選手が一気にペースアップしたことで、新谷選手は8番手で単独走となることに。6000mを過ぎたところで、後退してきた選手をかわして7位に浮上し、入賞が見える位置で粘りのレースを展開しましたが、8800mあたりから後続集団がペースアップしてきて残り1000mで逆転され、31分12秒99・11位でのフィニッシュとなりました。また、山ノ内選手のほうは、序盤は集団の中段でレースを進めたものの、次第に後退する苦しいレースとなり、32分53秒46で19位という結果でした。

跳躍最初の決勝種目となったのは男子走幅跳。日本勢は、前日の予選を突破した橋岡優輝選手(日本大学、ダイヤモンドアスリート修了生)と城山正太郎選手(ゼンリン)の2名が出場しました。第4跳躍者としてピットに立った城山選手は、1回目で7m77(+0.2)をマークしましたが、2回目(-0.3)・3回目(+0.5)はともに7m61で記録を伸ばすことができず11位で前半を終了。ベスト8に駒を進めることはかないませんでした。
一方、予選では向かい風のなか8m07を跳んでいた橋岡選手も、決勝は苦戦する展開となりました。1回目を7m88(-0.1)でスタートすると、2回目は7m89(+0.2)と思うように記録を伸ばしていくことができません。3回目の試技で、自身の跳躍の直前にThobias Montler選手(スウェーデン)が7m96(±0)をマークして8番手に浮上。9位に後退した橋岡選手は、「あとがない」状態で3回目の試技に挑むことになりました。

ここで橋岡選手は、持ち前の勝負強さを見せつけます。Montler選手を1cm上回る7m97(-0.2)を跳んで再逆転して8位に返り咲くと、その順位をキープして前半を終了。この時点で8位入賞を確定させたのです。4回目は7m82(-0.1)、5回目はファウル、6回目は7m70(+0.2)と、後半で記録を伸ばすことはできませんでしたが、指導を受ける前日本記録保持者の森長正樹コーチが1997年アテネ世界選手権で達成したこの種目の日本勢最高順位となる9位を上回り、日本選手初の入賞を果たしました。

【フォート・キシモト】

【決勝結果&コメント】

◎橋岡 優輝(日本大学)
男子走幅跳 決勝 8位 7m97(-0.2) =入賞

本当に悔しさでいっぱい。(ベスト8入りを決めた)3回目の跳躍は、「あとがないぞ」と思ったので、自分の今できる限りの助走から跳躍を、全部やろうと思って臨んだ。ただ、自分としては全然(やりたいことが)出せていなくて、「あまりよくなかったな」という感想で終わるような跳躍だったので、力のなさを痛感した。

(ウォーミング)アップの段階では、身体の調子はすごくよくて、「今日、うまく助走がハマれば記録が出てくるのかな」と感じていた。しかし、世界の決勝という舞台を初めて経験するということと、もともとまだ力のない選手なので、若干の緊張があった。自分のなかで敵をつくりだしてしまったような感じ。そういう理由で、うまく自分の力を出しきることができなかったように感じている。

3本目(で8位となる記録)を跳んだあとは、森長正樹コーチからは「もう、祈るしかないな」と言われた。僕も祈ろうかなと思ったが、「祈っていちゃ、負けかな」と思ったので(笑)、本当に強い気持ちで「4本目は自分が跳ぶんだ」と思いながら準備をしていた。また、4本目以降では、足先ばかりに意識がとらわれてしまい、自分の助走を見失っていたので、森長先生から「腰や太もものほうから大きく動いていないのでそこを修正しろ」というアドバイスをもらった。その部分は、ファウルではあったものの5本目あたりから腰の乗りがよくなって、自分の助走に戻り始めたかなというくらいには修正することができたが、修正できてきたのが、若干遅かったようにも思う。

“恩師超え”(森長コーチが1997年アテネ大会で残した9位を上回るこの大会での日本人最高成績)ができたことはよかったが、僕のなかでは全然満足していない。これからもっと精進していかなければならない。実際に、世界のトップジャンパーの跳躍を見て、「まだ遠いな」という感想を持った。8m32の自己ベストは持っているものの、アベレージでいえば8m10くらい。これではまだ全然世界とは戦っていけない。今後は、こうした舞台で力をどうやって出すかというところを考えつつ、うまくやっていければいいなと思っている。

また、今回入賞できたし、8m32という自己ベストも持っていて、ポイントランキングも高いので、今後はどんどんダイヤモンドリーグなどにも出ていって、世界の強豪と戦っていく機会を増やし、その雰囲気に慣れていくことも大事になるかなと感じている。

(世界の決勝で6本を跳んだということへの感想は? の問いに)オリンピック前年というこの時期に、この舞台を経験できたことはすごく大きな自信になってくると思っている。「来年こそは東京オリンピックで自分が表彰台に立つ」という思いで、これからの1年で何をすべきなのかということを考えて、常に頭をフル回転させていきたい。

【フォート・キシモト】

◎城山 正太郎(ゼンリン)
男子走幅跳 決勝 11位 7m77(+0.2)

決勝まで進出したのに、しっかりコンディションを合わせることができなかった。滅多にないチャンスだったので、しっかり跳びたかったなと、悔しい思いがある。

昨日の予選が終わったあとに、疲労がすごく来ていた。今年4月のアジア選手権のときは大丈夫だったのに、今回は(予選を)3本跳んだ影響もあったのか、踏切脚のふくらはぎが張っていて、踏み込むことができず、助走のリズムをつくるのが難しくなっていた。僕は走れないと跳べないタイプ。そこが行かないと、記録を狙っていくのは厳しい。

1本目で(7m)77を跳んだときは、もう少し行けるかと思っていたが、やはり出だしのところで踏ん張りがきいていなかった。2本目、3本目も同じ感じで、助走が組み立てができないまま終わってしまった。

決勝には進めたが、そこで戦えないと予選を通過しても意味がないということを実感した。次にこういうチャンスがきたときは、決勝までをしっかり見据えたうえで調整していくようにしたいと思った。

今シーズンは、8m40を跳んで東京オリンピックの参加標準記録を切ることができた。今後は、8m40をどんな条件でも跳んでいけるようになることを目指して挑戦していきたい。

【フォート・キシモト】

◎新谷 仁美(NIKE TOKYO TC)
女子10000m 決勝 11位 31分12秒99

(途中から単独で走ることになったが)正直、タイムのほうは全く見ていなくて、前を行くケニア、エチオピアの集団につかなきゃ、ということしか考えていなかった。

この結果に対しては、ただただ日本の恥だな、と思った。「頑張る姿」は自分が決めることじゃないし、他者が認めて、思って初めて「頑張った」という言葉になるだけのこと。私は、この大会は、参加して意味ある大会ではなく、各国の超人たちが集まって、欲望をぶつけ合って、それで結果を誰が取るかという場所だと思っている。だからこそ、私には結果を出すことが必要だった。

今回、この大会の10000mは、どちらかというと中距離を得意とする人たちが集まっていたように感じていて、このためペースの切り替えは(10000mに強い選手以上に)えげつなくなるのかなと思っていた。スローペースで進んで、いきなり切り替えるという展開は、私には無理。具体的にどういうペースで進めていくかは特に決めてはいなかったが、序盤がスローペースになるようだったら、自分が出ていこうと考えていた。しかし、私と同じように捨て身で前のほうで(レースを)展開していってくださる方もいたので、それが逆に助かったなという部分はある。序盤はそこについて、前のほうにはいて、いつでも前に出られるようにしていた。

3000mを過ぎてからアフリカ勢がペースを上げたときは、反応したのだがつききれなかった。やはり「どこかで離されるのかな」というメンタルの弱い部分もあったのなと思う。

(入賞ラインの7位から最後で順位を落としたが)正直なところ、私には7番も11番も変わらない。ただ、1つでも順位を上げるということは選手として必要なことで、それがラスト2周で抜かれた弱い部分だったのかなと思う。

私はすぐにくさってしまうので、次の目標に向けて、くさらずにやっていきたい。来年の東京オリンピックに向けてはスピードを強化したい。幸い私のチームには中距離の強い選手がたくさんいるので、一緒に練習して高めていこうと思う。大変なことかもしれないが、やらなきゃいけない。やれないという言葉は私にはない。

【フォート・キシモト】

◎山ノ内 みなみ(京セラ)
女子10000m 決勝 19位 32分53秒46 

普段からあまり計画を立てるほうではないのだが、今回は、1周74〜75秒で入って、そのまま行ければと考えていて、誰かがそのペースで行ったら、ずっとそれについていって、できれば真ん中より前のほうで走り、あわよくば入賞を狙おうと考えていた。しかし、3000mを越えてからは、イーブンペースでいくのがきつくなってしまった。

原因はよくわからないのだが、3カ月ほど前から身体全体に全く力が入らないという症状に見舞われていた。徐々に回復して、レース前の最後の刺激として1週間前に日体大記録会に出たときには持ち直していたので、「これは行ける」と思っていたのだが、また調子が落ちてしまった。こういうふうに結果が出ないのは、気持ちの面にも原因があるのかなとも思っている。

ドーハの暑さは、もうこれ以上のものはないだろうと思うほどきつかった。朝練習でも熱中症のような状態になってしまって、ドーハに来てからも走れず、とても過酷な環境で、でも、それでも走るのが世界のレースなんだなと感じた。

【フォート・キシモト】

◎鈴木 雄介(富士通)
男子50kmW 決勝 優勝 4時間04分20秒 =金メダル

金メダルの気持ちは、まだ実感がわいていない。ゴールするのに必死だったので、ゴールできてよかったなという安堵感が、今は一番ある。

ここまで来るのに、3年間近く(故障の影響で)競技がなにもできない状況があった。そして、自暴自棄になっていた時期もあったなかで、いろいろな治療を受けてきたそのすべての人たちが尽力してくださったこと、「(復活)できるよ」と声をかけてくれて、自分以上に自分を信じてくれる人たちがいたからこそ、ここに戻ってこられたと思う。

レース中は、ペースのことは全然考えていなかった。自分が50kmをこれで歩ききれるだろうという感覚で、前半から中盤はレースを進めた。中盤の30kmに行くか行かないかくらいの「いつもだったらこの感覚で行けるのに」というところで脚が重くなってきたので、「ちょっと危ないな」とは思いつつ自分を信じて歩いていたのだが、ラスト16kmくらいからはもう、「この動かない脚で、50kmもつのかな」「後ろに追いつかれずに金メダルを取れるのかな」という不安とずっと戦いながらのレースとなった。これは、ペースの問題というよりは、暑さによるもの。こういう暑いなかで50kmを歩ききるということが初体験なので、自分がどれだけ行けるか計算できなかった。前半・中盤は余裕を持って行っていたが、暑さというのは予想以上にダメージが蓄積するのだなと思った。もうちょっと余裕をもって前半を行っていれば、後半の落ち幅はもう少し抑えられたかもしれないが、一方で最後は脱水のような症状に陥っていたので、前半抑えめに行っていたとして後半で脱水になったかもしれない。逆にいえば、前半で貯金をつくれたのがよかったのかもしれない。

終盤では、胃がかなり疲れていて、給水を採るのもきつい状態になっていた。ただ、脱水になっているのはわかっていたので、ここで飲まなければいけないということで、戦略的ペースダウンというか、いったん止まるくらいの状態で給水をしっかり飲んで、またスタートするという方法を採った。ラスト5周くらいだったので、2kmのインターバルをやっているイメージ。最後の最後はかなり(後続に)追いつかれたが、中盤までの貯金があったから、それをうまく使って思いきって休むことができたのかなと思う。

レースの途中は、「自分が50kmを歩ききるぞ」ということに注力していて、特に前半は「これは練習だ」と自分に言い聞かせ、ほかの選手のことを意識するのではなく、フォームの形を整えて練習のつもりで落ち着いていくことを考えて歩いていた。東京オリンピックの内定を取ろうとか、金メダルを取ろうという気持ちは、ラスト5周くらいで(実現が)見えてきたので意識するようになったが、最低限銅メダルを取れれば内定を得られる状況だったので、正直言うとラスト5周のところでは「銅メダルでもいいかな」という思いも頭をよぎったほど。そのくらいきつかったし、ある意味、それがあったからこそ、思いきり休むことができたともいえる。

今回のレースは、本当に「無欲」と「何も考えずにとにかく歩ききる」という、(事前の)会見でも言ったことをしっかりやり遂げられたことが結果につながったといえる。

この結果で、東京オリンピックの50km競歩代表に内定となった。オリンピックに向けては、今日1日はゆっくりして、東京オリンピックに向けて始動していきたい。ただ、やることは今までと大きく変わるものではない。50kmに特化してやるのではなく、20kmの練習もしっかりやって、両種目で代表権を得られるようにすることを目指したい。まずは、神戸(日本選手権20km競歩)に向けてしっかりとスピードを上げていって、神戸で勝てる実力を20kmでつけたいと思っている。

日本競歩界初の金メダル獲得は、すごく嬉しい。自分は、「自分が日本競歩界のパイオニアだ」と勝手に思っていて(笑)、でも、谷井さんが取り、荒井が取り…と、“初メダル”を奪われてしまった悔しさがあった。それだけに、初の金メダルを自分が取れたということを本当に嬉しく思う。

ただ、だからといって、おごりたくはない。自分の持ち味は、どれだけ高い目標を勝ち取ったとしても次に向かえる活力があること。さすがに今回は、1〜2カ月くらいはかかるかもしれないが(笑)、でも、この金メダルのことは忘れると思う。それで次の金メダルを目指したいし、自分で言うのは恥ずかしいが、競歩界の世界的なレジェンドになりたいというのが今の一番高い目標。現在、20kmの世界記録を持っているが、これで終わりではないし、来年か再来年には50kmの世界記録を目指したい。金メダルももちろん取りに行きたいし、50kmでも20kmでも金メダルを取りたい。そういう意味では、暑いなか50kmを歩ききれるかという恐怖心があるので。東京オリンピックはどうしようか正直迷っている。まずは神戸で20kmの代表権を得て、その上でどうするかを改めて考えるという“贅沢な選択”をしたい。

【フォート・キシモト】

◎勝木 隼人(自衛隊体育学校)
男子50kmW 決勝 27位 4時間46分10秒

まず、単純にコンディションを整えられなかったことがダメだったというところに尽きると思う。特に、3日前くらいからは、食べ物を何も受け付けない状態が続いていた。「ゴールができないかも」ということがスタート前から頭にあった。

この高温多湿と夜間のレースということで、ちょっと考えすぎてしまった面がある。いろいろ試しながら取り組んでいたのだが、そのなかで身体のほうがおかしくなっていったという状況だった。今回の失敗はそこにつきるかなと思う。

体調不良というのは、内臓だけでなく全体的なダメージ。原因を特定するのはなかなか難しいのだが、昼夜逆転の生活というのは難しかった。夜間寝ないようすることはできたとしても、日中に寝るという習慣がもともとないので、そこで寝られなかったことが1日中ずっと起きているという状況につながっていった。

レース中は、「どうしたらゴールできるか」ということを考えながら、少しでもコンディションを良くなるように工夫した。だいたい1km5分くらいのペースを想定していて、後半で1km4秒分50秒というのが適性ペース。たぶんそのペースに持っていけるのは、日本のトップ選手や海外ではトス選手くらいしかいないと思っていたので、最初5分10秒くらいから入って、4分50秒くらいで上がれれば、優勝はできるかなというプランは立てていたのだが、そこに持っていくコンディションが全然できていなかった。自分の駄目なところが出てしまった。

まずは身体をリセットしなければならないが、東京オリンピックへの道が全くないわけではない。来月の高畠競歩で1枠内定が出ることになるが、日本選手権という最後のチャンスがあるので、この冬場に基礎的なところから積み上げ直して、輪島での日本選手権に備えたい。
◎野田 明宏(自衛隊体育学校)
男子50kmW 決勝 途中棄権

※レース後、救護室に向かったため、ミックスゾーン対応なし

【フォート・キシモト】

◎渕瀬 真寿美(建装工業)
女子50kmW 決勝 11位 4時間41分02秒

レースを終えて、悔しいというのが一番の感想。気象条件も含めて、もしかしたら入賞に届くのではないかなというのも頭にあったので、そこに届かなくて悔しい気持ちがある。

前半から腹痛の症状が出ていて、その影響で、後半は(入賞のラインから)離れてしまった。大腿骨頭の故障があって、大会に向けた練習が十分にできていたとはいえず、もう少し練習ができていれば、先頭集団にもつけたのかなということは感じていた。それだけに、20kmで4回連続出場を果たした2013年以来3大会ぶりに、この世界選手権の舞台に戻れたことが、すごく嬉しくて、その喜びを噛みしめながら歩いていた。おなかが痛くなければ…という気持ちはあったけれど、外国人選手たちと接戦するのはとても楽しかった。
東京オリンピックは、20kmで出場を目指す。今日は、腹痛以外は、脚も最後まで止まることがなかった。久しぶりに止まることなく最後まで歩けたことはいい収穫となったので、ここから、20kmにつなげていきたい。

【フォート・キシモト】

【予選・準決勝結果&コメント】

◎豊田 将樹(法政大学)
男子400mH 準決勝 2組8着 50秒30

前半から思いきり行こうと思っていて、自分では行っているつもりだったが、周りの選手においていかれてしまった。そこで自分の持ち味でもある後半で巻き返そうと思ったのだが、うまくレース運びができず、結果的に失敗レースに終わってしまった。

タイムは自分の体感では49秒台が出ている感触だったのだが、実際には50秒30というタイム。なんか世界大会になると、自分の感覚と実際のタイムとのずれというのがどうしてもあるのかなと思う。

レースに対しては、昨日(の予選)に比べたらずっとリラックスして臨めていたと思う。(コーチである)苅部(俊二)先生にも、「準決勝は、雰囲気ががらっと変わる」と言われていたが、僕は鈍感だからかもしれないが(笑)、それはあまりわからなかった。

前半から置いていかれすぎているので、根本的なところである純粋な走力をいうのをつける必要があるなと感じた。また、僕はラストが得意だと思っていたのだが、世界大会に出ると通用しない。予選のレースを見た感じだと、腕振りとか上半身のぶれが気になったので、今後、もっと上半身のトレーニングをやっていったほうがいいと思った。

【フォート・キシモト】

◎安部 孝駿(ヤマダ電機)
男子400mH 準決勝 3組3着 48秒97

(0.04秒差で決勝進出ならず。決勝に進む)8番の選手と自分のどこが違うのかなと、今、考えている。本当にチャンスだったので、すごく悔しい気持ちがある。

気持ちも入っていたし、そのなかで「行きたい自分」を抑えながら、前に2人いたがそんなに気にせず、自分の世界でレースは運べたかなと思う。最後、直線に入ってから、3番手以降で競るなと思っていたので、最終ハードルを越えてからしっかり、思いきり走ってフィニッシュしたが、ちょっと届かなかった。

1着でゴールした選手のタイムを見て、自分は少し離れていたので(プラスでの通過は)厳しいかなと思って、その時点で無理だろうなと感じていた。

(先着した)ベンジャミン選手とサンバ選手の2人とはタイム差があり、実力的にも勝つのは難しいと思っていたため、プラスで(の決勝進出を)狙っていて、そのため1組、2組の3着の記録を見ていた。レベルも低くはなかったので、自己ベスト(48秒68)くらいのタイムは必要かなと思っていた。

(準決勝進出を果たした)2年前のロンドンの(世界選手権)の記憶もあるが、その後、ダイヤモンドリーグに出場したり海外のコーチの指導を受けたりという、いろいろな経験が自分の成長になっていて、特にメンタルの部分に成長を感じている。大きな試合や強い選手が周りにいるなかでも、しっかりと自分のやるべきことに集中できるようになってきたなと思う。

世界と戦うための準備をしてきたつもりではあったが、やっぱり何が足りなかったかなと今、反省している。そう甘くはないなと思った。

【フォート・キシモト】

◎サニブラウン・アブデルハキーム(フロリダ大学)
男子100m 準決勝 1組5着 10秒15(-0.3)

走り自体は良かったが、「セット」の声は聞こえたものの、そのあとのスタートの音が全然聞こえず、「鳴ったかな?」と一瞬考えてしまうほど。隣の選手が動いたのでスタートしたような感じだった。そこを身体として、反応できていれば問題なかったと思うのだが、引けを取ってしまったことで、後半、差がついたのかなと思う。

やる気は満々だった。スタートは遅れたけれど、そこからしっかり持ち直して、いいところまで持っていくことができた。やはり、そのスタートのところの差が、もったいなかったのかなと思う。

スタートにうまく反応できなかったとはいえ、中盤から後半にかけて追い上げられたので、その部分の走りについては、今日のレースでより自信になった。こういう舞台でも最初の部分でしっかり組み立てていければ、戦えるレベルに来ていると思う。これからまた戻って(自分の力を)磨いていければと思う。

2年前のロンドン大会の100m準決勝で敗退したときは自分でも悔しかったが、今年に関しては自分でもよくわからない状況なのでなんともいえないところ。でも、精神的には成長したのかなと思う。ここで(気持ちを)切り替えられなかったら4継(4×100mR)もダメになる。気負わず、でもしっかりと、5日後の4継につなげていきたい。

個人種目はこれが今季最終戦。今年は山あり谷ありの1年だった。結果的には、こういう形で終わったが、でも、自己ベストを100m・200mともに出せたし、日本記録も出せた。まずまずそこに感謝して、これからも頑張っていきたい。

【フォート・キシモト】

◎小池 祐貴(住友電工)
男子100m 準決勝 2組7着 10秒28(-0.1)

フォールススタート(フライング)だと思って、思いきり出なかったので、なんとも言えない。「ああっ」と思ったが、そのまま行って(スタートして)しまって…。“走ったんだか、走ってないんだか”という感じのレースになってしまった。

(やりきれない気持ちがある? の問いに)そうですね、思いきり走れなかったので。まあでも、周り(の選手の動き)を気にしていたこと(自体)がよくなかった。次からは、(そういうことが)ないようにするしかない。

走る前の段階では、昨日(の予選)よりいいイメージができていたので、イメージ通りに走ろうという感じだった。初めての世界選手権での準決勝の舞台ながら、ほどよく緊張ができていて、いつもよりちょっと速いメンバーだなという感覚で行けた。そこは(ダイヤモンドリーグをはじめとする)転戦の経験がよかったと思う。

精神的にもいい状態で、身体も(予選を)1本走って、しっかり刺激が入って動いていたので、パフォーマンスは出せるだろうなという準備ができていた。(初めての世界選手権に臨んでみて)「出さなきゃいけないときに出さないと意味ないな」と思った。

【フォート・キシモト】

◎桐生 祥秀(日本生命)
男子100m 準決勝 3組6着 10秒16(+0.8)

走る前からワクワクした気持ちでスタートラインに立てたので、緊張というよりは、「1位を取ってやろうと考えてスタートラインに立った。でも、結果的にタイムと順位とで決勝に上がることができなかった。次の(目標となる大きな)試合は2020(東京オリンピック)になるので、今回のことを踏まえて、そこに向けていきたい。

今回、自分のやりたい走りができた部分と、まだまだ未熟な部分があったが、それでもスタートラインに立ったときに、「負ける気がしない」と言ったら変だが、「絶対に1着で決勝に臨んでやろう」という気持ちは変わらなかった。

予選はちょっとまだピッチが足りなかったので、準決勝で中盤からの(スピードが)上がるタイミングのときに、ピッチを出して、加速につなげることを心がけた。

まだ映像を見てはいないが、自分では前半から中盤の加速は良かったと思うので、その中盤の加速が5m分でも上がれば、その5mの間に着順とかで争える。そこを強化していきたい。

レースは、集中していた感じはある。ゴールしたとき、あまり着順もわからなかったので、タイムが出る(表示される)までずっと(トラック上)にいた。

自分のやりたい動きができた部分もあるし、これは強がりになってしまうかもしれないが、敢えて言うなら、世界のファイナルに行くということは、全然遠く感じなかった。そこはもう自信を持って、来季に臨めるかなと思う。

(次は4×100mR)予選までに1週間あるので、それまでに2走と4走の仲間とバトンとつないで、また予選をしっかり走って、決勝でしっかり勝負したい。

【フォート・キシモト】

◎山本 聖途(トヨタ自動車)
男子棒高跳 予選B組 12位 5m60

レベルが高くなることは想定していたし、自分も(5m)70以上跳ばないと予選は通過できないと思っていた。その気持ちでしっかり臨んではいた。身体の状態はよかった。ただ、試合のなかで修正はできなかった。

良くなかったのは助走。自分の理想とちょっと違った助走をしてしまったので、跳躍が崩れてしまった。本来の持ち味が助走なので、その助走を頭の中でしっかりイメージをつくって、5m60に臨んだ。

(クリアできた5m)60の2回目では、それがうまく行ったので、その状態で行こうと5m70に臨んだ。1本目はちょっとリズムが崩れて走り抜けてしまい、2本目もリズムが乗れなくて、3本目はばっちり来たのだが、そのときにはちょっと遅かった。

2週間前に、踏み切り足の左アキレス腱にケガをしていて、ジョグできるようになったのが1週間前。本当は、全日本実業団にも出たかったのだが、その影響で欠場していた。(世界選手権には)何がなんでも出るつもりではいたけれど、そういうなかでここまでもってこられたので、僕の中では、間に合って、試合にも出られてよかったなという思いがある。

今季は、自己ベストは出なかったが、海外の試合を多くするというのが目的だったので、ダイヤモンドリーグを転戦できたことは、けっこう大きな収穫になっている。東京(オリンピック)まで、もう1年もない。やれることを全力でやりたい。

【フォート・キシモト】

◎澤野 大地(富士通)
男子棒高跳 予選A組 13位 5m45

(久しぶりの世界選手権)楽しかった。こういう場に自分が、この年(39歳)で戻ってこられている。それから教え子(江島雅紀選手)と一緒に戻ってこられている。そして日本人が(フル出場となる)3人で戦えている。こんなに楽しいことはないなと思う。そして、こういった場に立たせてもらえたこと…富士通、日本大学、いろいろな先生方、トレーナーさん、そして今日、応援に来てくれている家族…に、すごく感謝している。

予選は通過できなかったが、予選の前のアップで、5m70をスパンと跳べる、すごくいい跳躍ができていた。「こういった跳躍が、ここの場で出せるんだな」と、すごく自信を持てたし、調整は間違っていなかったなと思ったし、やっていることは間違っていない。(東京五輪参加標準記録である)5m80(のクリア)というのも見えたな、と思った。

(最初の高さとなった5m)45の1本目からすでに(脚が)おかしくて、(5m)45を跳んだときも軽く攣った状態で跳んでいた。そして、5m60の1本目で思いきり攣って、両ふくらはぎが動かなくなってしまった。(けいれんが起きたのは)脚の反応が良くなりすぎていたから。ドーハに入ってから身体の状態がとても良くて、脚も反応・反射がすごく速い感じになっていた。調子はいいと自分でもわかっていたので、どれだけ抑えていけるかを意識して、ウォーミングアップでも省エネで行くことができたので大丈夫かと思っていたのだが…。こういった状態を、大事な場で起こさないためにどうするかということは、きちんと検証して、しっかり対策を練り直していく必要があると考えている。

(久しぶりに世界大会に出場して)世界のレベルが上がっていると思った。ただ、昨日の女子の予選も17人が通過していたので、競技場の条件がいいのだろうなとも思っていた。実際に、自分がここで動いてみて跳びやすかったので、(通過のラインは)5m70になるだろうなと思っていた。

普段、一緒に練習したり、(大学で教壇に立つ)授業にいたりする(教え子の)江島が、一緒の舞台で戦っているのは、なんか不思議な感じだった。しかし、僕が初めて世界選手権に出た(2003年)ときに、小林史明さんと一緒で、そのときの精神的な楽さがあったからこそ、その先につなげることができたていたので、今回の江島の経験というのはすごく大きかったと思うし、そばにいて、いろいろ言えたことはすごくよかった。

(身体の状態がいいのは)今までやってきたことの歯車が噛み合っているから。「継続していくことが一番大事だな」と、この年になって噛みしめているので、今後もしっかり継続して、来年まで(競技者として)やっていけたらいいと思う。

【フォート・キシモト】

◎江島 雅紀(日本大学)
男子棒高跳 予選A組 14位 5m45

悔しいが、こんなに楽しい気持ちは久しぶり。大学1年のときに5m65を跳んだとき以来くらい。世界大会で自分の跳躍ができかというと、難しいところなのだが、(子どものころから)憧れの選手(だった澤野大地コーチ)と、十数年の時を経て、一緒の舞台に立てたということは、僕には嬉しさしかなかった。

記録は悪いし、もちろん決勝にも行きたかった。でも、僕のなかでは、今回、記録よりも、記憶に残った試合になったので、この反省点を生かして、今後、逆に跳べるという自信がついた大会となった。

今シーズンの最初までは、“踏み切れない病”とかがあって、すごく苦戦したが、ただ、この世界の舞台に立って、ちゃんと2本目でも踏み切ることができたし、跳躍も、上の高さになるにつれて、やっと自分の跳躍ができた。(5m)60の3本目が本当に惜しくて、やっと自分の跳躍ができたので、あの跳躍を練習の段階でつくることができていたら、もっといい結果になっていたのかなと思う。ただ、そこは経験もまだないし、自分のまだまだ甘いところもあるのかなと思った。そこが反省点ともいえる。

条件もよかったし、修正も5m30以降、徐々に修正できていたが、どうしてもバーばかりを見てしまって、自分の跳んでいる高さに集中しきれていない面があった。加藤(弘一)先生や澤野さんにアドバイスをいただいて、高さに集中して、前だけに入ることに意識して、それが出せるようになったのが(5m)45の3本目。本当は、それを練習跳躍の段階でちゃんとできておかないといけないなと実感した。

(師でもある)澤野選手と話したのは、今回、世界記録保持者(のラビレニ選手)でも予選落ちしたように、世界選手権というのは何が起きるかわからない、ということ。「こういうのは慣れだよ」と教えてもらった。7回も出場している選手からそう言ってもらえて、初出場したのが20歳でよかったと思ったし、澤野さんの年まであと19年くらいある(笑)ので、何回も出られると元気をもらえた。あとは澤野さんを通して、ケンドリクス選手など、いろいろな選手と話す機会を得られたので、こういう舞台に立って、初めて少しは一人前になれたかなと思った。

【フォート・キシモト】

◎日本(青山聖佳、若林康太、田村朋也、高島咲季)
混合4×400mR 予選 2組8着 3分18秒77 =日本新記録

・1走・青山 聖佳(大阪成蹊AC)

(1走を走るのは)私以外は男子というのはわかっていて、100mもしないうちに抜かれるということは想定していたが、バックストレートの男子の伸びは想像以上に速いなと思った。そのなかでも最後まで自分のレースができたのでそこは良かったと思う。しかし、やっぱり2走の若林選手にバトンを渡すまでに(前の走者との)距離が開きすぎてしまったことがちょっと悔しい。

ミックスリレーは、世界リレーのときにも走っていて、そのときの走順は男子・女子・女子・男子。そのパターンで今回も行くのかなと思っていたが、その真逆が来てしまったので、正直最初はびっくりしたが「選んでいただいたからにはやるしかない」と、ある意味、開き直って走った。自分自身の調子は(今季日本最高をマークした)全日本実業団のあともよく、ドーハに来てからの練習でもすごく動けていたので、そこは自信を持って臨むことができた。

【フォート・キシモト】

・2走・若林 康太(駿河台大学 )

2・3走が男子という走順の作戦のなかで、2走の役割がけっこう大事だったのだが、そこを任せていただいて、その期待にどれだけ応えられたかというところで、少し自分の走りに不満が残る。出しきれていない部分があるように感じている。理想は、僕が完全に追いついて、集団の前のほうに食い込むくらいで(バトンを)わたして、田村さんは(バトンを)もらってすぐトップをとれるような流れだったのだが、スピード感の違いにちょっと惑わされてしまった部分があった。自分のパフォーンスがそこまでよくなかったのではないかと考えている。

今後、男子マイル(4×400mR)で世界と戦っていくことを考えたときにも、また、ミックスでもっと日本が活躍していくためにも、44秒台のラップというののは必至だと思うし、もっともっと上を狙っていかなければならない。1回落ち着いて、冷静になって自分の走り、自分の感覚とか映像とかを見て、しっかりフォードバックして、次にまた同じチャンスがもらえたときに、次は悔いのない走りができるように取り組みたい。

【フォート・キシモト】

・3走・田村 朋也(住友電工)

結果としては最下位という非常に悔しい結果になった。日本記録であっても、これが結果。ただただ情けないと思う。個々の走力が世界とは差があるとわかった上で、“奇襲”という形でこういう走順を組んで臨んだが、全然力が及ばなかったので、今一度この経験を次に行かせるように、来年の東京オリンピックに向けてしっかり強化していきたい。個人の走りとしては、今まで経験のない形だったので、少し戸惑った面もあるが、どんな状況でも自分の力を出さなければいけなかったので、課題の残るレースだった。

【フォート・キシモト】

・4走・高島 咲季(相洋高校)

自分以外は全員男子選手という状態だったが、招集の時に、目の前の方がすごく大きくて、その前にいる方が見えないくらいだったので、招集所の時点で、「圧がすごいな」と思っていた。

自分の個人の感想としては、テーマが「日本チームに貢献すること」と、「前半から積極的に行く」ということだった。今日のアップの時点でけっこうスピードが出ていて、バトン練習のときも前半から行ける感じがしていた。今回は、最後が保たなくても、前半から挑戦するという気持ちで、けっこう自信を持ってスタートラインに立つことができた。しかし、(バトンを)もらってからは、思っていたようなレースができなくて、1番という位置でもってきてくださったのに、最後尾でゴールしてしまったので、そのところ悔しかった。
大会に関する情報は、世界選手権特設サイト( https://www.jaaf.or.jp/wch/doha2019/ )、日本陸連公式Twitterを、ご参照ください。

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文:児玉育美(JAAFメディアチーム)
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