【アジア王者を目指すキミたちへ】準々決勝敗退の悔しさが、今の活力に。「悔いのないプレーをして日本にタイトルを持ち帰ってほしい」(鬼塚祥慶)

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11歳でサッカーのプロ選手を目指すためにスペインに渡り、その後、14歳でフットサルと出会い、18歳まで世界最高峰のメソッドを学んだ。帰国後、名古屋オーシャンズサテライトに加入して、2016年11月に、追加招集でU-19日本代表合宿に参加。2017年の前回大会も、見事メンバー入りを勝ち取った。

ただそれは、欧州で豊富な経験がある彼のキャリアを考えると意外なようだが、鬼塚祥慶にとって、初めての国際大会という不慣れな環境でもあった。

結果、チームは志半ばの準々決勝でイラクに屈して敗退。悔しさだけが残った。

「今でも、イラクに負けた試合を思い出して『やってやろう!』と気持ちを高めることがある」

あれから2年。Fリーグ選抜を経て、今シーズンからオーシャンズのトップチームに名を連ねるまでになったが、時の流れとともに、彼にとってのあの大会は、大きな意味を持つものになっていた。

鬼塚は2年前、初めての大舞台で何を感じて、何を得たのか。当時のエピソードと、自分たちの代わりにアジア制覇を目指す後輩へのメッセージを聞いた。

※6月18日(火)にインタビューを実施

鈴木隆二監督は兄のような存在だった

──2016年にU-19日本代表に初めて選ばれたときの心境を覚えていますか?

(植松)晃都が体調不良で離脱した代わりで、当日に急遽、召集されました。そこからのスタートでしたね。その前の国際大会「タイランド5s」のときに、今のFリーグ選抜にいる松原(友博)や名古屋サテライトにいた選手が選ばれていて、「自分も食い込んでいけたら」と思ったことを覚えています。

──2年前のアジア選手権では名古屋から唯一、選ばれていました。

そうです。だからこそ「名古屋を代表して戦わないといけない」という気持ちもありました。正直、自分は出場時間を多く与えられていた選手ではなかったので、その意味では、少ない時間でも「自分のやるべきことをやろう」という考えを持ちながらタイへと向かいました。

──当時、鬼塚選手はスペインから帰国して、サテライトに加入して最初のシーズンでした。

そのときはサテライトのチームメイトと馴染めるように、自分とのプレーを合わせている段階での召集でした。全部がトントン拍子だったというか、自分としては日本のフットサルをあまり知らない状態で、いろいろな経験をできました。初めてのことばかりで緊張や戸惑いはありましたが、日の丸を背負って戦うので「気持ちでは絶対に負けてはいけない」という思いで、ちょっとずつ慣れながらプレーしていましたね。

──トントン拍子だったとはいえ、実際は苦労も多かった?

それまで、日本人と、しかも同年代の選手とフットサルをやる機会がなかったですからね。日本人とやるには、周りの雰囲気や性格なども理解しなければいけない。そこに戸惑いはありました。

──代表チームは「家族」のように仲が良かったようですね。

たしかに仲が良かったですね。キャプテンの清水和也や、周りの選手たちが仲良くしてくれました。僕は坂(桂輔)や(中村)充、岩永(汰紀)とは特に仲が良かったです。コミュニケーションに関しても全体的にうまくできていたのかなと思います。

──どんな性格の選手が多い印象でしたか?

みんな真面目ですけど、(プレー中は)1対1を仕掛ける選手が多いなという印象でした。

──プレーでは我が強い。

はい。そういう選手じゃなければ、代表には選ばれないのかなと思います。でも、自分のやりたいことを主張し合いながらやれていたと思います。

──2017年大会を振り返って一番印象に残っているエピソードはありますか?

充が決めた大会初ゴールは印象に残っています。あと、タジキスタン戦とインドネシア戦は、残り少ない時間に失点して引き分けてしまったんです。悪いムードで試合が終わったこともあって、(鈴木)隆二さんのミーティングで叱咤激励されたこともありました。そういうことがあって、「決勝トーナメントを戦うぞ!」という気持ちに徐々に持っていけたことは覚えています。

──鈴木監督の言葉で覚えていることは?

やはり「家族」がテーマだったので、自分の中では監督との距離が近いイメージがありました。スペインにいたときは、鈴木監督が別のチームのスタッフで面識もあったので話しやすかったです。なので「言葉」よりも「接し方」の方が印象に残っています。自分の意見も言いやすいですし、言えるからこそ、自分が理解しやすいように答えてくれました。そういう意味でも、すごくやりやすかったなと。

──監督というよりお兄さんのような存在?

そうですね。坂が隆二さんのモノマネをするんですよ(笑)。それを毎回ミーティングの前にやって、みんなを笑わせていました。それくらい距離が近い監督。でも切り替えて、気を引き締めてミーティングに入るという流れが恒例でしたね。

「自分が何をしないといけないか」を学べた大会

──鬼塚選手は、国際大会が初めてだったようですね。

そうです。試合を重ねるごとに出場時間が長くなって、少しずつ成長できたと思っています。ですが、自分としては全然ダメでした。他の国の選手を見るのも初めてでしたし。たとえば負けた試合ですけど、イラクの選手はフィジカルが強いし身長も高い。そういうやり辛さはあったので「慣れないといけない」と思いました。

──改めて、どんな大会でしたか?

初めてのことだらけのなかで、「自分が何をしないといけないか」を学べた大会。それがその後の成長につながりましたね。「自分はやってる。頑張ってる」と思っていたことでも、まだまだ物足りないと実感した大会でした。特にあのイラク戦の負けを今でも忘れていないですし、試合前にあのときの気持ちを思い出して「やってやろう!」と思うときもあります。それくらい悔しい気持ちになった大会だったので……。

──日の丸を背負うプレッシャーもありましたか?

オーシャンズのユニフォームを着て戦うことも誇らしいですけど、国を代表して日本代表ユニフォームを着て戦うこと自体が初めてでした。その責任感やプレッシャーはありました。それでも、活躍するためには、結果を残すためには何をしなければいけないかを、すごく考えさせられました。

──次は、A代表のユニフォームを目指すことになります。

そのためにはまず、オーシャンズで試合に出ないと選ばれません。メンバー争いに勝って、そこから代表で活躍できるように取り組んでいきたいです。

──昨シーズンは、Fリーグ選抜で再会した仲間もいますよね。

最初はすごく不思議な感じでした。でも、やっていくうちに違和感はなくなりました。逆に言えば、知っているメンバーだから気を遣うこともなくて、やりやすい部分の方が多かったと思います。

──今でも当時のメンバーとは仲がいいですか?

みんなと連絡は取り合いますし、充とは特に仲がいいですね。

──彼らも、これからクラブを引っ張る存在へと変わろうとしています。

みんなの活躍はすごく刺激になりますし、自分も「頑張らないといけない」と強く思います。早く追いつけるように頑張らないといけないですね。

──今大会は見ていますか?

1戦目を見ました。しっかり勝ち上がっていますし、勝負強さを感じますね。

──最後に、イランで戦っている“後輩”にエールをお願いします。

ラファ(田淵広史)もそうですし、今年の選抜の選手も何人かいます。身近な選手が戦っているので、その意味ではより一層、応援したくなりますよね。自分たち以上の結果を残してほしいです。一戦一戦やっていけば、優勝を狙えると思っています。「こうしておけばよかった。ああしておけばよかった」と思わないように、常に悔いのないプレーをして日本にタイトルを持ち帰ってきてほしいですね。
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