【アジア王者を目指すキミたちへ】“清水世代”のエースが贈るメッセージ。「悔いを残さないように1試合を全力で」(清水和也)

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2017年大会に臨んだU-20日本代表はまさに“清水世代”と言える。当時、弱冠二十歳の若者は“日本フットサル界の未来”として大きな期待を背負い、すでに日本代表としてプレーしていた。

そんな彼が中心となるU-20日本代表が発足。「自分がやらなければいけない」という強い気持ちを持って取り組み、迎えた本大会。「初代アジア王者に」を合言葉に自信を持って臨んだ大会だったが、アジアの壁は高くベスト8に終わった。

しかしその悔しさが清水を突き動かす。「あの悔しい気持ちを晴らすのはトップの舞台しかない」。その言葉を胸に今ではスペイン1部のエルポソ・ムルシアでプレーするなど、誰もが認めるエースへと成長を遂げようとしている。

そんな清水が自らの口で紡ぐ、当時の経験や思い。自分たちが成し遂げられなかったアジア王者を目指して戦う次の世代へのメッセージとは──。

ベスト8の責任、悔しさは今も残っている

──2017年大会前の自分を振り返るとどんな状況でしたか?

当時はU-20代表が発足し、A代表にも呼ばれていました。その中で、代表での活動とクラブチームでの活動の行き来が多く、個人的にも高いモチベーションでトレーニングできていましたね。チームの練習よりも、2つの代表の合宿に交互に行っていた印象が強く、激動の一年だったのでよく覚えています。

──極端に言うとクラブチームでの活動よりも代表での活動の方が長いような印象でしたよね?

本当に「何日間名古屋にいるんだろう」と思っていましたね(笑)。チームでの練習は本当に限られていて、その中でFリーグの試合に出場して、また代表合宿のために名古屋へ行く。A代表の合宿の次の週はU-20代表の合宿に行くような生活でした。

──それだけの経験を積んでいると、必然的にU-20代表ではエースとしての自覚もあったのでは?

U-20代表が発足すると聞いて、自分がそこに入れる世代ですし自分がやらなければいけないという気持ちはありました。むしろその気持ちだけでやっていた部分がありましたね。

──A代表では最年少として、U-20代表ではエースとして。それぞれ違った代表活動になったのではないですか?

(植松)晃都も同じようにA代表に呼ばれながらU-20代表でもプレーしていました。個人的にはA代表の良い雰囲気ややり方をU-20代表に落とし込んで行こうと思っていましたね。威張るとか極端なリーダーシップというよりも、みんなとコミュニケーションを取って、和気あいあいとやるスタンスを取り入れていました。

──エースとして臨んだ2017年大会ですが、チームとしてどういった意気込みで臨まれましたか?

優勝できるという自信はありました。過信ではなくて、自分たちが一番強いと思って挑んだ大会でした。

──その中で迎えた開幕戦はチャイニーズ・タイペイに4-0と大勝でした。ただ、初戦の難しさもあったのでは?

個人的には、想像以上に責任を背負ってしまいましたね。「自分が」と強く思い過ぎてしまった部分があったと思います。それでも中村充が先制点を獲ってくれたことで、チームも、自分も緊張がほぐれてきました。自分も2点獲れましたしね。ただ、初戦の難しさではないですが、自分たちから試合を難しくしてしまった印象はありました。

──続く第2戦のタジキスタン戦、第3戦のインドネシア戦は終盤に追いつかれての引き分けになりました。

その2試合は残り1分以内で同点にされる悲惨なゲームでした。自分たちもどうして良いかわからなくなった試合でしたね。そういう経験もなかったので、焦りがあったことを覚えています。

その2戦目と3戦目があの大会のターニングポイントですね。なぜあそこを守れなかったかと後悔もあります。自分たちに自信はあって、それはゴールを獲れるという部分での自信。ただ、獲られる経験はあまりなくて、2戦目も0-2から逆転してという展開でしたね。その中で、勝ち越した後の相手のパワープレーでちょっとした油断ではないですが、ハマってしまった印象です。(3戦目では)その教訓を生かせなかったという部分で、責任を感じました。

──崖っぷちで迎えたグループステージ最後のベトナム戦は3-1で勝利して決勝トーナメント進出を決めました。

ベトナム戦の前にA代表のブルーノ・ガルシア監督がロッカーで言った「仲間を信じて最後までやろう。自分一人で戦っているのではなく、みんなのために何ができるか」という言葉は今でも覚えていますね。僕らは勝たないと上に上がれない状況でなんとか勝つことができました。

──しかしベスト8とのイラク戦はチャンスがありながらも決めきれずに敗れて、初代アジア王者への挑戦は終わりました。

イラク戦は非常に悔しい負け方をしましたね。自分たちに取っては現実を突きつけられた敗戦でした。これが自分たちの現状なんだなと思った試合でした。組織としてしっかりとした目的、チームとしてやるべきことを全うした中でのゲームだったのですが、小さなところでのミスが響いたなと思います。

今しかできない代表活動を全力で

──優勝を目指して臨んだ大会で挫折を味わいましたが、それでもあの大会で多くのものを得たのではないですか?

大会の後、キャプテンとして一人一人に話をしました。みんなもそうですが、期待に応えられなかった責任や悔しい気持ちは強かったです。「初代チャンピオンになりたい」とこの大会に掛けていた分、その気持ちは大きかったです。でも「(負けた)僕らにできることは、ここからA代表を目指して、その借りを返すしかない」と話しました。

この負けからリスタートして、上の代表に絡み、自チームで結果を残すためにまた頑張ろうと。そうやってやることが大切だと話しました。

──実際に今のFリーグではあの大会を戦ったメンバーがチームの主力になりつつありますね。

あの大会があったからこそ、何かが変わった選手は多いでしょうし、個人的にもベスト8で終わってしまった責任、悔しさは今でも残っています。だから、なおさらですが今大会のメンバーには頑張ってもらいたいなと思います。

──そうやって自チームで結果を残して、最終的にはあのU-20代表のメンバーがA代表でともに戦うようになっていきたいですね。

(伊藤)圭汰だけでなく、リストに入っているメンバーには晃都や(内田)隼太などもいます。ただ、もっと絡んできてほしいですね。もっともっと突き抜ける存在にならなければいけないなと思います。

彼らとプレーしたいですし、逆にやらなければいけないです。あの悔しい気持ちをどこで晴らすかといえばトップの舞台しかないです。世界各国を見ても、U-20からA代表に入っている選手はいます。欧州のチームも若い力が出てきているので、どこを目指すかといえばそこ(A代表)です。僕ももっと突き抜けられるようにやりたいと思っています。

──そうした仲間たちとずっと一緒に過ごしたU-20の活動は素晴らしい経験になったのではないですか?

何もわからない、相手がどんな選手がいるかわからない。そして僕らも経験がない分、最悪の状況を想定できない状態でした。みんなでそれを乗り越えるしかないよねっていうマインドであの大会に臨めたことは良かった。あの年代は今のフットサル界に取っても大事なポジションだと思います。そういった彼らと一緒に戦えたことは財産になっていますね。

──ところで、チームメートからみる“清水和也”はどうだったのでしょうか?

変に立てられるわけじゃなく、いじられるというか(笑)。自分の中でもみんな同世代ですし、(U-20の活動期間中は)A代表とは違った一面が出ていたと思います。ピッチ内に入れば上下関係なくやっていましたが、ピッチ外ではそういう感じでしたね。
──いじられてたんですね(笑)。ちなみに誰にいじられてましたか?

坂(桂輔)や新田(駿)、松原(友博)ですかね(笑)。新田と松原はバックアップに回ってしまいましたが、ずっと一緒にやってきました。あとは晃都もいじってきましたね。基本的にみんな物静かな選手が多かったですね隼太、仁井(貴仁)とか。そういう意味では、(自分が)一番つついても何もなさそうな人間だったからですかね(笑)。

──清水選手たちの世代のムードメーカーといえばやはり……。

坂でしたね。あいつは本当に色々ありました(笑)。もちろん代表なので、それらしく振舞わなければいけないのですが、彼は怒られることもしばしばありましたね(笑)。寝坊事件の時も「目覚ましが鳴らなかった」って言い訳していましたから。(ムードメーカーが)いるからこその良さもありますが、あいつにはもっと頑張ってもらいたいですね。

──今でもそういったメンバーとは仲が良いのですか?

あの大会のメンバーとは今でも繋がっています。入れなかったメンバーとも連絡は取り合っていますね。今でも家族みたいな存在です。あの大会から各自のチームに戻ってポジションを勝ち取って、フットサル界の底上げになれば良いなって思います。

──大会期間中は常に一生に仲間たちと行動をしていたわけですが、何かエピソードなんかもあるんじゃないですか?

夕食が終わった後に、選手だけで集まるミーティングの時間を作っていました。そこで色々な話をしましたね。大会に臨む直前にバックアップメンバーは外れる時にも話をしました。軽いパーティーのような感じで、「お疲れ様」や「頑張ってくるね」のような。すごく仲間意識は高く「こいつらのために頑張ろう」っていう思いが強かったですね。全員が集まって色々やっていました。

──ピッチ外でもそういった素晴らしい経験をされてきたんですね。今戦っている世代もピッチ内外で色々な経験をしてきてもらいたいですね。

僕は何度か合宿に足を運んで練習を見させてもらいました。選手たちとも話をしましたが、その中で僕ができることは僕らの世代と彼らとの比較です。僕らは個々のスキルに任せている部分がありました。でも彼らはよりみんなでプレーをしようとする意識が強いと思います。

合宿の頻度もそんなにない中で、完成度は高いです。(鈴木)隆二さんとも話しましたが第一回大会があったからこそ、第二回大会によりよい準備ができているようです。その中で僕らが成し遂げられなかったことを成し遂げてもらいたい気持ちもありますが、今しかできない代表活動なので悔いを残さないように1試合を全力で戦ってもらいたいなと思っています。

──合宿を訪れて選手たちとコミュニケーションは取りましたか?

隆二さんが時間を作ってくれて、一室に選手を集めて僕たちだけの時間を作ってもらったので、僕の経験などの話をさせてもらいました。めちゃくちゃ食いついてくれましたね。僕らができなかったことを彼らはできると思います。完成度は本当に高いのでね。
──清水選手たちの時よりも多くの合宿期間を設けていますからね。

それは(自分たちの世代にとって)言い訳にはなりません。限られた時間の中で結果を残すのが代表活動です。そこで結果を出せるか出せないか。その中で、彼らは優勝できる可能性を持っています。

──今の世代には、清水選手たちと一緒に戦った山田慈英選手もいます。

彼が引っ張るタイプじゃないことは、皆さんもわかっていると思います。そこで慈英らしく頑張ってもらいたいですね。彼だけでなく、一人一人が良い子で、チームのためにと思ってプレーできる選手が揃っています。その良さを失わずに、ピッチで全員で立ち向かってもらいたいと思います。

──ちなみに初戦は見ましたか?

見ましたよ。結果は気になりますから。やっぱり優勝してほしいですよ。目標は優勝で、ただ、悔いを残さないでやりきってもらいたいと強く思います。
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