“日本代表の責任”が変えた仕事への意識〜車いすバスケ日本代表キャプテン・豊島 英

チーム・協会

【©?Keiichi Nitta(ota office)】

ギュッと手に力を込めてキュキュッとブレーキをかける。
正確なチェアワークで相手の動きを止める。
素早く流れを読み、ひとたびボールを奪うと、バスケットボールリングめがけて全力で車いすを漕ぐ。
スワーッと伸びた手からボールが放たれ、鮮やかなレイアップシュートが決まる!

車いすバスケットボール・宮城MAX 所属、豊島英。甘いマスクと爽やかな笑顔に、心を奪われる女性ファンも多い。

現在、車いすバスケットボール男子日本代表のキャプテンを務める豊島は、国際パラリンピック委員会(IPC)との共同プロジェクトで世界最高峰のパラアスリートたちに迫るドキュメンタリーシリーズを手掛けるWOWOWに所属する。
豊島が選んだのは、「アスリート雇用」という働き方。その決断を後押ししたもの、それは、車いすバスケットボールへの情熱だった。

日本代表としての責任が生んだ変化

高校を卒業し、2007年に社会人となった豊島は、車いすバスケットボールをやりながら、フルタイムで働くサラリーマン生活を送っていた。当時は現在のような「アスリート採用」という概念はなく、仕事をしながら競技をやるというのが普通の時代。ところが、2013年に東京2020オリンピック・パラリンピックの開催が決まると、その“普通”が変わっていく。
パラアスリートを採用する企業が増え始め、豊島のまわりのアスリートたちもひとり、またひとりと、アスリート採用で競技中心の生活を送るようになっていった。ロンドン2012パラリンピックに日本代表として初出場を果たした豊島もその道を検討したが、「自分は仕事をしながらバスケをやるんだ」という考えのもと、フルタイムの仕事にとどまった。

気持ちに変化が訪れたのは、2014年のことだった。
リオ2016パラリンピックを目指す日本代表の中で、豊島はチームの主力となりつつあった。
「ロンドンが終わってからリオまでの4年間は、スタート(先発メンバー)で使ってもらうことが多くなりました。スタートでやるようになって、自分に実力がないのを試合で感じ、このままではダメだと思うようになりました。スタートに立つべき人間はもっと自分にストイックで、“日本代表としての責任”を持って、チームのためにやらなければいけないと思いました」

日本代表の中で自分に求められる要求が高まるにつれ、仕事への意識も変わっていった。

【©?Rihe Chang】

「障がい者アスリート雇用」という選択

よりよい練習環境を求めて、本格的に転職に向けて動き出した豊島がまず行ったのが、障がい者アスリートの求人雇用サービスを行う会社への登録だった。
早速、数社を紹介され訪れたが、中には結果をもらう前に自ら辞退した企業もあった。職場の環境改善は採用した後にできたら…という企業に対して「障がい者アスリートを採用しているという、“時代に乗ろうとしている感”」を感じたからだ。

その頃、WOWOWでは障害者雇用促進法のもと、障がい者を対象にした採用活動を行っていた。しかし、就職希望者と企業側のニーズがなかなか合致せず、法定雇用率を達成できずにいた。
そこにある時、“アスリート”という切り口を加えたことで、歯車が回り出す。障がい者アスリート雇用サービス会社に求人情報を出し、ほどなく豊島と繋がるのである。年齢、ジャンル、可能性、会社とのフィーリング……すべてが、同社が求めるものにマッチするものだった。

リオパラリンピックを翌年に控え、豊島は面接のため、東京・赤坂の本社を訪れた。
人事担当者と話す中で、「車いすバスケットボールと仕事の両立ができるように職場環境を整える」という姿勢に好感を覚えた。
転職にあたり、豊島が希望していたことの一つが「引退した後も会社で働き続けたい」ということ。これは、「第一線で働いた人の精神力や考え方は、どこのジャンルでも生かせる」との考えから、採用する企業側としても望んでいたことだった。

そうして、両者の思惑が一致し、『障がい者アスリート雇用』第1号として採用が決まった。

人事総務局人事部長の奥野俊彦さんは採用の理由をこう語る。
「(主要放送ジャンルのひとつである)スポーツとの関連性が深いということもありますが、その先の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、『日本代表』の可能性のある方が入社することで、一緒に働く社員みんなが誇りに思います。その姿を見て自分たちも頑張ろうといった視点が欲しかったので、豊島さんに来てもらいたいと思いました」

本社オフィスにて 【©?Rihe Chang】

会社とともに培われた働き方

2015年4月、WOWOWに入社した豊島が最初に配属されたのは『スポーツ部』。
番組企画を考えたり、社内向け資料を作ったり、実現には至らなかったが「車いすバスケットボールと(当時、同社が放送していた)NBA で繋がりが作れないだろうか」と新たなビジネスチャンスを探したこともあった。そういった仕事は、豊島の現役アスリートという経験が生かされるものだった。

所属チーム・宮城MAXの活動拠点が宮城県仙台市であるということもあり、“出社”は月に一回程度。そのため、勤怠や決裁など、社内システムにアクセスできるよう、仙台にある自宅に専用線も引いた。
東京にある本社に出社したときには、同僚とランチを楽しむこともあるという。豊島が入社したことで、社員の障がい者に対する考えや、車いすユーザーへの理解も深まっている。

豊島は車いすバスケットボールやパラスポーツの普及のため、学校や地域での体験会や講演会に呼ばれることも多い。そのような普及活動や、ふだんの練習についても勤務として認められている。
“車いすバスケットボール”という言葉は知られていても、実際に試合を見たことがある人は少ないというのが実状。「東京パラリンピックではたくさんの人に会場に来てもらいたい」という思いから、練習など多忙なスケジュールの合間をぬって講演に訪れ、参加者にその魅力を直接伝えている。
パラリンピックという最高の舞台。
大観衆の中、大きな声援を受けてプレーしたいというのは、アスリートであれば誰もが望むことだ。

いつも中心にあるのは車いすバスケットボールに対する思いだ 【©?Rihe Chang】

“キャプテン”豊島英

2016年のリオパラリンピックで、車いすバスケットボール男子日本代表は9位という結果に終わった。
ロンドンに続き、日本代表として2度目のパラリンピックを経験した豊島は、海を渡りドイツの車いすバスケットボールリーグに参戦することを決意する。
「海外の選手と自分との差を比べたり、自分のプレーを見直したりして、成長したいという思いがありました。挑戦しに行きたかったんです」

2016年秋にドイツの『Köln 99ers』に所属すると、翌シーズンにはチームのキャプテンを任された。「英語はしゃべれないんですけどね(笑)」と謙遜するが、個性の強い選手が多くいる中で、気を配りながらチームをまとめたことは大きな経験となった。
宮城MAXのキャプテン、そして、リオパラリンピック後からは、車いすバスケットボール男子日本代表のキャプテンを任されている豊島は、実に3つのチームで同時にキャプテンを務めた。

チームのことを誰よりも考え、何かうまくいかないことがあれば、まず自分が動く、というのが豊島のスタイル。
先頭に立ってチームの結束力を図る一方で、地味な調整役も黙々とこなす。
それは、彼のプレーにもよく現れている。
歯をくいしばりながら、誰よりも速く、誰よりも全力で、コートを走り回る。
体を張って相手の動きを止め、チャンスを作る。コートの中でもベンチからも、人一倍大きな声でチームを鼓舞する。チームが苦しいときほど、その声はとても心強く響く。
「キャプテンを任されるのは、なるべく避けてきた」と話すが、献身的に働き仲間から厚い信頼を得るそのリーダーシップは、まぎれもない“才能”である。

日本代表キャプテンとしてチームを勝利へと導く 【©?Rihe Chang】

アスリートたちの競技環境

豊島のドイツリーグ挑戦を全面的に支えたのは会社だった。
豊島の意志を受け、新たな『就業規定』が設けられた。同社では取材やスポーツ中継などで海外に行く社員も多かったため、それと同じ“海外出張”とすることが決まり、仕事については毎月決められたテーマに基づく課題レポートを提出することとした。
そして、同社が設けている海外出張規定に基づき手当を支給し、(ドイツでの)所属チームからサポートを受けられない分の交通費は会社が補助することで、練習に没頭できる環境が整えられた。

アスリートにとって資金面での問題は切実である。
東京2020オリンピック・パラリンピック開催が決まったことで、競技団体のスポンサーが増え、以前に比べると連盟から競技力強化のための予算も下りるようになり、環境は改善されていった。
だが、それまでには、“日本代表”候補選手であっても、厳しい現状を突きつけられていたのを豊島は目の当たりにしていた。
「今では個人の負担額が減ってきてはいますが、数年前までは全額自己負担や一部自己負担というのがあったので、もちろん学生は大変ですし、社会人も苦しんでいましたね。選手はバスケがやりたいので努力はしますが、金銭面で限界がきたり、仕事が休めなかったりで、合宿に行けないという人も中にはいました。実力がある選手が辞退しなければならないのは、日本の車いすバスケットボール界や障がい者スポーツにとって、あまりよくないというのは感じましたね」

期待と責任

ドイツで2シーズンを過ごした豊島は、昨年7月に『広報部』へと異動になった。
東京パラリンピックに向けて、毎月のように行われる強化合宿や、日本代表として出場する国内外の国際大会、海外遠征など多忙を極めた。社内でのコミュニケーションを多く必要とする番組企画など、スポーツ部の業務は負担が大きいと判断し、会社と話し合ったうえで異動が決まった。
広報では、同社が IPC と共同制作しているパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ『WHO I AM』の普及活動の一環としてのイベント出演や、自身の公式SNS での発信、さらには社内向けのWEB広報サイトで「日本代表選手って何を食べているの?」「どういうトレーニングをしているの?」といった豊島ならではの切り口の記事を掲載している。
競技用車いすについている会社のロゴマークも、広報活動として大きな役割を担う。

広報マンとしてパラリンピックの魅力を伝えるのも大事な仕事だ 【©?Rihe Chang】

豊島の仕事でのモットーは『任されたものはしっかりやる』。
車いすバスケットボールも仕事である豊島にとって、競技に真摯に取り組むことが、会社や社員、ひいては社会に繋がるという思いがある。日本代表としての責任、そして、東京パラリンピックへの覚悟をもうかがえる言葉である。

そんな豊島に、上司である広報部長・岩島未央子さんも期待を寄せる。
「東京パラリンピックは、日本人が、障がい者であったり、障がい者スポーツを見る目が変わる大きなチャンスだと思いますし、社会が変わるターニングポイントだと思っています。そういう中で、豊島はそれを一緒に変えていく影響力を持ち得る人だと思うんです。彼の生活だけではなく、日本の社会が変わるということへの働きかけのいいチャンスなので、企業の枠にとらわれず、頑張ってほしいなと思います」

2020年のその先

パラアスリートの競技環境を大きく変えた『アスリート雇用』という働き方。
豊島は、表情を引き締めて語る。
「東京パラリンピックが決まって、アスリート採用をする企業が増えたのは、選手として本当にありがたいことです。これが終わってしまったら、自分たちが苦しんでいた時代と変わらず、これからパラリンピックを目指す選手にとってはダメージが大きいと思います。アスリート雇用によって改善されつつあることが、ふりだしに戻るのはあってはならないことだと思うので、2020年の後も続いてほしいと思います」

そして、こう続けた。
「引退したらそこで会社を辞めるという選手はたくさんいると思うんです。でも、自分はその間サポートしてもらった会社で、引退後も働くことが当たり前だと考えています。あとは、バスケをとったら、自分には何もないので、仕事を楽しくやりたいなっていうのはありますね」

2020年に向けて戦いの日々は続いていく 【©?Rihe Chang】

世界中を飛び回り、男子日本代表キャプテンとして駆け抜けた2018年。
日本で開催された国際大会で世界の強豪を倒して全勝優勝を果たし、8月にドイツで行われた世界選手権では、結果こそ9位に終わったものの、ヨーロッパチャンピオンのトルコを敗る大金星も挙げた。
本番の東京パラリンピックまで500日をきった今、「結果を出す日は決まっているので、楽しみです」と、なんとも頼もしく、現在の心境を語る豊島。
「私たちは9位のチームであり、9位の選手に過ぎません。東京パラリンピックでメダルを獲るためには一人一人のスキルアップが絶対に必要です。そのためにも、今年2019年は『成長できた』と実感できる1年にしなければなりません。日本代表の目指すバスケットボールは、それぞれの選手に染みついているので、それを精度高く遂行できるかがポイントになってきます。日々の過ごし方がとても重要になるので、私が今できることを見つけ、考え、行動していきたいです」

目指すは、東京パラリンピックでのメダル獲得。
会社という強力なパートナーとともに、その栄光の舞台へとまっすぐに突き進む。
大きな期待を背負い、責任を胸に、豊島は今日も全力でバスケットボールを追いかける。
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<プロフィール>
豊島 英(とよしま・あきら) 1989年2月16日 福島県出身 class:2.0
所属:株式会社WOWOW
車いすバスケットボール男子日本代表キャプテン。
ロンドン2012パラリンピック、リオ2016パラリンピック日本代表。

生後4ヵ月で髄膜炎を患い両脚が不自由になり車いす生活となる。中学2年生の時に車いすバスケットボールを始め、2009年から「宮城MAX」に所属。日本選手権(天皇杯)11連覇の立役者であり、個人としてもこれまで大会MVPに3度選ばれている。日本を代表する車いすバスケットボールプレーヤー。

<パラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ『WHO I AM』>
リオパラリンピック開催の2016年より東京パラリンピック開催の2020年まで5年にわたり世界最高峰のパラアスリートたちに迫る国際パラリンピック委員会(IPC)とWOWOWの共同プロジェクトによる大型ドキュメンタリーシリーズ。勝負の世界だけでなく、人生においても自信に満ちあふれる彼らが放つ「これが自分だ!(This is WHO I AM.)」という輝きを描く。2019年8月よりシーズン4の放送が開始される。

◆IPC & WOWOW パラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ 「WHO I AM」
シーズン1(全8回)、シーズン2(全8回)、シーズン3(全8回)全24番組
公式サイト&WOWOWメンバーズオンデマンドで絶賛無料配信中 ※WEB会員ID登録が必要となります(登録無料)

<最新情報はこちら>
公式サイト :wowow.bs/whoiam
公式Twitter & Instagram :@WOWOWParalympic #WhoIAm


※本記事は2019年5月に「パラサポWEB」に掲載されたものです。
text & photo by Rihe Chang
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著者プロフィール

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