ロッテ、最後のマウンドを託された益田の強い想い
【2019年、ストッパーの大任を任された益田投手】
指揮官への特別な想いを胸にマウンドに上がる益田
今シーズンの抑えを任されることになったのはチームでもっとも強い気持ちを持つ男だった。益田直也投手は3月16日のZOZOマリンスタジアムでのオープン戦の試合前練習の後に監督室に呼ばれ、大役を任された。昨年、抑えを務めた内竜也投手が故障で離脱。新しいストッパー候補として獲得した新外国人・レイビン投手も故障を抱え開幕には間に合わなかった。そこで、白羽の矢が当たった。
「後ろをやる。そのつもりでここまでやってきたつもり。その覚悟はありました」
指揮官から直々に試合を締める最後を任された男は表情一つ変えず、当たり前のごとく涼しい顔だった。「後ろでいくから。頼むぞ」。井口資仁監督の言葉に「やりたいです。お願いします。頑張ります」と大きな声で即答した。13年にはストッパーとしてセーブ王に輝いた。誰よりも最後のマウンドをこなす難しさとプレッシャーは知っている。しかし、それ以上に得られる充実感があることも分かっている。
「最後を投げた人にしか分からないでしょうね。厳しさも喜びも。あと3つのアウトを取れれば終わり。みんな、そう思って、願っているから雰囲気が違う。他の回で1イニング投げるのと変わらないという人もいるかもしれないけど、ボクの中では一緒ではない。成功した時はボク一人の喜びじゃないですしね。みんなの喜び。何万人の人が喜んでくれる。そんな事ってなかなかない」
ブルペンでは色々な事を考える。野球の事、試合の事、体調。そして出番に向けて少しずつテンションを上げていく。ピークに達するのはブルペンの電話がなり、出番を告げられた時。なんともいえない緊張感に包まれる。そしてリリーフカーに乗っている間に呼吸を整え、空を仰ぎ、スタンドのファンが自分の名前を呼ぶコールを聞きながら、気持ちを落ち着かせる。マウンドでは負けん気と強気。絶対に抑えるという気持ちで打者を攻める。
「もちろん、疲れます。でも、その分の充実感はある。みんなの想いがこもっていますからね。やっぱり勝たないと楽しくない。勝って、試合を終わりたい」
指揮官への特別な思いを胸に、託されたマウンドに上がる。2013年7月26日のイーグルス戦(当時Kスタ宮城)。この試合で現役だった井口監督は19号ソロを放ち、日米通算2000本安打の偉業を達成した。相手は当時、無敗での連勝記録を更新し続けていた田中将大(現ヤンキース)。1点リードのまま最終回を迎えた。敵の無敗エースを打ち砕いての偉業達成。これ以上ない最高のお膳立ては整っていた。しかし試合は、悪夢のような結果となった。益田が登板し2失点。一死しかとれず、サヨナラ負けを喫した。「大丈夫だよ。気にするな」。試合後、井口監督に頭を下げると、笑顔を取り作り、慰めてくれた。ただ、その時の懺悔の想いは簡単に消えることはない。後日、周囲から「井口さんに怒られたか?」と聞かれたことがあった。逆に優しく慰められたと伝えると「人格者だな。オレなら、ぶちキレる」と返された。益田自身も「そうだよなあ。普通はそう思うだろうな」と思うしかなかった。何度も自問自答を繰り返す日々だった。そして今もなお偉業達成の日の勝利を消してしまったことに関する心の傷は確かに存在する。
もう一つ、井口監督のターニングポイントでの思い出がある。17年の引退試合で益田は一軍ベンチ入りをしていない。この年は38試合に登板して防御率5・09でシーズン終盤は二軍暮らしを続けた。それでも大先輩の最後の雄姿を目に焼き付けたいとスタンドから観戦をした。最後に同点弾を放つ姿を目に焼き付けたが、グラウンドで一緒に喜びを分かち合えない一抹の寂しさがあった。それから月日が流れた。今、井口監督から直接、試合の最後を締める大任を言い渡された。開幕前からストッパー不在の窮地の中で信頼をして任された。応えないと男ではない。
「自分の中では井口監督への想いがある。監督のために勝って優勝したい。最後にウィニングボールを渡したい。今までターニングポイントでいい形を作れていないので、今年は監督のために頑張る」
3月29日のイーグルスとの開幕戦(ZOZOマリンスタジアム)。1点リードの最終回のマウンドに益田は上がった。最速151キロのストレートで押した。打者3人でゲームセット。チームメートたちと喜びを分かち合い指揮官にウィニングボールを手渡した。2019年。井口監督に一つでも多くの勝利球を渡したい。そして優勝の瞬間にマウンドへと上がり胴上げ投手となる。益田は夢を抱き、最後のマウンドに上がる。
文 千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章
「後ろをやる。そのつもりでここまでやってきたつもり。その覚悟はありました」
指揮官から直々に試合を締める最後を任された男は表情一つ変えず、当たり前のごとく涼しい顔だった。「後ろでいくから。頼むぞ」。井口資仁監督の言葉に「やりたいです。お願いします。頑張ります」と大きな声で即答した。13年にはストッパーとしてセーブ王に輝いた。誰よりも最後のマウンドをこなす難しさとプレッシャーは知っている。しかし、それ以上に得られる充実感があることも分かっている。
「最後を投げた人にしか分からないでしょうね。厳しさも喜びも。あと3つのアウトを取れれば終わり。みんな、そう思って、願っているから雰囲気が違う。他の回で1イニング投げるのと変わらないという人もいるかもしれないけど、ボクの中では一緒ではない。成功した時はボク一人の喜びじゃないですしね。みんなの喜び。何万人の人が喜んでくれる。そんな事ってなかなかない」
ブルペンでは色々な事を考える。野球の事、試合の事、体調。そして出番に向けて少しずつテンションを上げていく。ピークに達するのはブルペンの電話がなり、出番を告げられた時。なんともいえない緊張感に包まれる。そしてリリーフカーに乗っている間に呼吸を整え、空を仰ぎ、スタンドのファンが自分の名前を呼ぶコールを聞きながら、気持ちを落ち着かせる。マウンドでは負けん気と強気。絶対に抑えるという気持ちで打者を攻める。
「もちろん、疲れます。でも、その分の充実感はある。みんなの想いがこもっていますからね。やっぱり勝たないと楽しくない。勝って、試合を終わりたい」
指揮官への特別な思いを胸に、託されたマウンドに上がる。2013年7月26日のイーグルス戦(当時Kスタ宮城)。この試合で現役だった井口監督は19号ソロを放ち、日米通算2000本安打の偉業を達成した。相手は当時、無敗での連勝記録を更新し続けていた田中将大(現ヤンキース)。1点リードのまま最終回を迎えた。敵の無敗エースを打ち砕いての偉業達成。これ以上ない最高のお膳立ては整っていた。しかし試合は、悪夢のような結果となった。益田が登板し2失点。一死しかとれず、サヨナラ負けを喫した。「大丈夫だよ。気にするな」。試合後、井口監督に頭を下げると、笑顔を取り作り、慰めてくれた。ただ、その時の懺悔の想いは簡単に消えることはない。後日、周囲から「井口さんに怒られたか?」と聞かれたことがあった。逆に優しく慰められたと伝えると「人格者だな。オレなら、ぶちキレる」と返された。益田自身も「そうだよなあ。普通はそう思うだろうな」と思うしかなかった。何度も自問自答を繰り返す日々だった。そして今もなお偉業達成の日の勝利を消してしまったことに関する心の傷は確かに存在する。
もう一つ、井口監督のターニングポイントでの思い出がある。17年の引退試合で益田は一軍ベンチ入りをしていない。この年は38試合に登板して防御率5・09でシーズン終盤は二軍暮らしを続けた。それでも大先輩の最後の雄姿を目に焼き付けたいとスタンドから観戦をした。最後に同点弾を放つ姿を目に焼き付けたが、グラウンドで一緒に喜びを分かち合えない一抹の寂しさがあった。それから月日が流れた。今、井口監督から直接、試合の最後を締める大任を言い渡された。開幕前からストッパー不在の窮地の中で信頼をして任された。応えないと男ではない。
「自分の中では井口監督への想いがある。監督のために勝って優勝したい。最後にウィニングボールを渡したい。今までターニングポイントでいい形を作れていないので、今年は監督のために頑張る」
3月29日のイーグルスとの開幕戦(ZOZOマリンスタジアム)。1点リードの最終回のマウンドに益田は上がった。最速151キロのストレートで押した。打者3人でゲームセット。チームメートたちと喜びを分かち合い指揮官にウィニングボールを手渡した。2019年。井口監督に一つでも多くの勝利球を渡したい。そして優勝の瞬間にマウンドへと上がり胴上げ投手となる。益田は夢を抱き、最後のマウンドに上がる。
文 千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章
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