JFAメディアオフィサーが見た「もうひとつのW杯」
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1993年の「ドーハの悲劇」から、サッカー日本代表はいかにして世界と戦うチームへと変貌を遂げたのか。その舞台裏には、監督や選手だけではなく、チームとメディアの間に立ち続けたJFA(日本サッカー協会)のメディアオフィサーたちの存在があった。日本代表とともに試行錯誤を重ね、危機や混乱に向き合いながら「世界基準」を模索してきた人々の軌跡を追う連載。2026年ワールドカップ北中米大会の開幕に合わせて公開する(全10回)。
一覧
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サッカー日本代表に広報がいなかった時代 知られざるオフト・ジャパンの取材現場
スポーツナビ -
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サッカー日本代表と広報にとっての8度目のW杯 先人たちの試行錯誤は何をもたらしたか?
JFAメディアオフィサー
◆加藤秀樹(かとう・ひでき)
1967年6月1日生まれ、東京都出身。大手精密機器メーカーを経て1994年にJFA入り
担当した主な大会:1998年W杯フランス大会、2000年シドニー五輪、2002年W杯日韓大会、2014年W杯ブラジル大会
◆福士一郎太(ふくし・いちろうた)
1973年10月16日生まれ、東京都出身。PR会社を経て2002年にJFA入り
担当した主な大会:2006年W杯ドイツ大会、2008年北京五輪、2010年W杯南アフリカ大会
◆永松太(ながまつ・ふとし)
1968年8月10日生まれ、京都府出身。京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)を経て2004年にJFA入り
担当した主な大会:2004年アテネ五輪、2006年W杯ドイツ大会
◆西澤和剛(にしざわ・かずたけ)
1967年4月8日生まれ、静岡県出身。大手流通企業、清水エスパルスを経て、2008年にJFA入り
担当した主な大会:2008年北京五輪、2010年W杯南アフリカ大会、2014年W杯ブラジル大会
◆種蔵里美(たねくら・さとみ)
柏レイソル、外資系PR会社を経て、2010年にJFA入り(2023年に退職)
担当した主な大会:2011年女子W杯ドイツ大会、2012年ロンドン五輪、2015年女子W杯カナダ大会、2021年東京五輪