ロッテ一筋19年・唐川侑己、「私の監督人生を変えてくれた」高校恩師が語る愛された人柄

高木遊

今季限りで現役引退を表明した唐川侑己(37歳)。地元出身選手としてファンから愛された 【写真は共同】

「パチンッという音が聞こえた」

 10月3日、ロッテ一筋19年で通算82勝64ホールドと活躍した唐川侑己が引退試合をもって現役生活に別れを告げる。

 その才能とファンやチームメイトからも愛された人柄は、高校時代から傑出していた。そう証言するのは、千葉県成田高校で唐川を指導し、昨夏まで同校の硬式野球部監督を務めていた尾島治信(おじま・はるのぶ)さんだ。

 2005年春、高校生になったばかりの唐川に驚かされた。

 基本的にスカウティングはしない方針の尾島さんだが、その存在は日本大学時代の同期から「成田市選抜にすごい投手がいる」と聞いていた。実際に投球を間近で見たのは入学後。目だけでなく、耳にも衝撃が走った。

「こんな球、見たことないという衝撃でした。球速は120キロ台後半だったのですが、唸っていました。それに、リリースの時のパチンッという音が聞こえてきたんです。これを自分が聞いたのは大学時代に同期だった落合英二(元中日など)以来だったんです。それが、ついこの前まで中学生だった子から聞こえるんですから」

 球のキレだけではない。捕手が構えたミットがほとんど動かない制球力も持ち合わせていた。

 驚きは止まらない。次にブルペン入りした際には、なんと137キロを計測した。そこで練習試合に起用してみると、2回で6三振。ストレートとカーブしか投げないはずだったが「さっき教えてもらったんで」と3年生のエース投手から学んだばかりのスライダーも投じていた。その後の練習試合でも2番手以降や2本目の試合での起用を続けていくと、相手校の監督から「この投手をドラフト1位で行かせられなかったらお前の責任だ」とまで言われた。

「壊したら絶対にいけないと思いました。だけど、伸びしろがある段階なので楽はさせず、伸ばすために最大限のことはしなくてはいけない。ずっとそう思っていました」

 故障のリスクに十分気をつけながらも、しっかりと鍛えていくことを胸に誓っていた。

「叱る理由が見当たらなかった」

成田高校時代の唐川侑己 【写真は共同】

 才能を預かることにプレッシャーはあったが、手がかからない投手だった。ピリッとさせるために中心選手を叱るという策はよく取られているが、「手を抜かないので叱りたくても叱る理由が見当たらなかった」と笑う。また、私生活や学校生活でも先生や生徒からの苦情や悪口は3年間、一切聞かれることもなく、クラスにも溶け込んでいた。

 そうした人柄ゆえに「プロデビュー戦は成田高校の職員室から先生がいなくなった」という都市伝説まで囁かれている。「それは言い過ぎです」と笑って否定するが「でも、みんな観たり結果を気にしたりしていて、応援されていました」と目尻を下げる。

 2季連続で出場したセンバツでも堂々たる投球を披露した。甲子園デビューとなった徳島県の小松島高戦では5安打完封10奪三振の好投を見せ、その名を全国に轟かせると、3年時は初戦敗退となったが、広島県の広陵高を相手に12回2失点と好投。その頃には、中田翔(当時大阪桐蔭高)、佐藤由規(当時仙台育英高)と並び「高校生BIG3」と称されるまでになっていた。

 最後の夏は千葉大会4回戦で東海大浦安高と延長14回の激闘の末に0対1で敗戦。この夏唯一の失点だった。それでも唐川は「僕が点取られなければ負けませんでした」と誰も責めることなく、目に涙を浮かべていたという。

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著者プロフィール

1988年、東京都生まれ。幼い頃よりスポーツ観戦に勤しみ、東洋大学社会学部卒業後、スポーツライターとして活動を開始。侍ジャパンの全カテゴリー(U-12代表からトップチーム、女子)の取材から国内のアマチュア野球、女子野球と幅広く取材している。書籍では『東農大オホーツク流プロ野球選手の育て方〜氷点下20℃の北の最果てから16人がNPBへ〜』(樋越勉著)『レミたんのポジティブ思考"逃げられない"な"楽しめ"ばいい!』(土井レミイ杏利著)『野球で人生は変えられる〜明秀日立・金沢成奉監督の指導論(金沢成奉著)の構成を務めた。また、SOTメディア株式会社代表取締役社長としてセガサミー野球部などチーム・連盟の公式サイトのコンテンツ制作なども行う。

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