大観衆がどよめいた怪物涙の復活V 名物記者「万哲」の原点は競輪に

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提供:オッズパーク

花月園競輪最終日12レースA級決勝を逃げ切り優勝した根田空史 【写真:スポーツニッポン】

 知っている人には“再発見”を、知らない人には“はじめての面白さ”を。スポニチ記者の目を通して、競輪の魅力をちょっと違った角度からのぞいてみます。

 第1回は、競馬ファンには「万哲」の愛称でおなじみ、スポニチ・小田哲也記者。中央競馬を20年以上取材してきた小田記者だが、実は記者としての原点は「競輪」にあった。

競輪を知らなかった僕が、競輪記者になった

2010年3月31日に閉鎖された花月園競輪場の入り口付近の満開の桜 【写真:スポーツニッポン】

 入社30年余。中央競馬を長く担当してきましたが、僕の記者デビューは競輪でした。学生時代から競馬、ボートにはのめり込んで、青春18きっぷで日本各地を回っていたけれど、競輪は未知。埼玉の西武線沿線育ちで、社会見学?も兼ねて500バンク時代の西武園は何回か楽しみましたが、取材となると…。取材初日は今は廃止になった花月園。前夜は眠れず、先輩記者と待ち合わせ場所だった鶴見駅に1時間以上早く着いたのを覚えています。

 競輪の選手は「一国一城」の気概が心地良く、いい思い出ばかり。先輩の教え通り、前検日は自転車に貼る検車番号を頼りに「○○選手だな」と見当をつけて挨拶する。選手控室の大部屋は地区ごとに選手が大概集まっています。意を決してベテラン選手から突破口を切ると、心得た人は「☆☆(選手名)!記者さんが取材だぞ」と同県の後輩を呼んでくれて「笑っていいとも」のテレフォンショッキングのごとく、取材が進むことも多々ありました。

 その後、ボート担当1年。中央競馬は20年ちょっと。ビッグレースは別として、競輪の通常開催は翌日の番組が決まると、走り終えた選手に片っ端から聞きます。質(内容の濃さ)より、量(多くの選手に聞けたか?)になります。24時間後に結果が確定する速さと緊迫感は競輪独特の面白さ。3日間開催なら3日続けて基本走ります。1日見れば選手の状態も分かる。自分の「眼」が車券につながるのが楽しい。約1年半の競輪担当でしたが、東日本の競輪場の大半は行かせてもらいました。ドームになる前の小倉競輪場の競輪祭も。特別観覧席に設営された臨時記者席で食べ放題の「博多ラーメン」の屋台が出ていたのは驚きの思い出です。

万哲が今も忘れない、93年KEIRINグランプリ

千葉競輪開設65年記念滝澤正光杯千葉記念でトークショーを行う滝澤正光氏 【写真:スポーツニッポン】

 短い記者生活では93年KEIRINグランプリが記憶に残っています。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの吉岡稔真選手が断然人気。最後、猛然と中を割ったのは「怪物」でした。当時の映像を見ると、解説の中野浩一さんが「際どいですよ」と話す微妙な写真判定。でも当の滝澤正光選手はゴール直後にガッツポーズしていました。

 スポニチ紙面で先輩が書いた原稿の大見出しは「涙の復活V」。4万人近い立川競輪場の大観衆のどよめきと歓声は覚えています。実は滝澤選手が引き揚げる際、当時20代の僕が一瞬映り込んでいるのを最近知りました。感動を汚して申し訳ありません。脚力以上に闘志や知力など幾多の要素が絡むのも競輪の醍醐味。枠単5-2で5380円。幸運にも取りました。裏目千両。単なる自慢話です。
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著者プロフィール

1967年12月15日生まれ、58歳。埼玉県出身。92年スポニチ入社。93~94年まで競輪担当。競輪記者デビューは花月園。苦い思い出は、400メートル走路に改装直後の西武園競輪初日で全レース不的中。JRA全10場、ボートレース全24場は踏破済み。地方競馬で行っていないのは高知、佐賀の2場。競輪は廃止場を含めて27場で、記者時代好きだったのは取手と前橋。

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