甲子園優勝投手の栄光が「重荷」に変わった 佐賀商・峯謙介、「あるプロ野球選手」を見て悟った引き際
佐賀商で全国制覇、一躍「甲子園の星」に
1994年の夏以降、ある高校野球雑誌の編集部にいた私は、連日届く読者アンケートのハガキの山を前に、その人気の熱量に圧倒されていた。読者リクエストの欄を埋め尽くしていたのは、優しい笑顔が印象的な佐賀商の2年生エース「峯くん」。全6試合を1人で投げ抜いてつかんだ劇的な日本一のインパクトは、誌面の中だけに留まらず、高校野球界全体を「峯君フィーバー」に包み込んだ1年だった。
そんな峯くんは「峯さん」になり、49歳になった。現在は佐賀の「医療法人ひらまつ病院」の広報部長を務めている。落ち着いた大人の表情と話し方は変わらない。取材は何気ない雑談から始まった。
「今年の夏の甲子園、見てましたか」
「行ってたんですよ〜。母校(佐賀商)の応援に久しぶりに行きました」
弾むような声で話した。
「甲子園に行ったのは息子(大翔)が横浜高校の1年生として甲子園に出場したとき(2022年)以来でしたね。3塁側のアルプススタンドに入ったんですけど、やっぱりグラウンドから見るのとは景色が全然違うし、あの観客の地響きというか、メガホンが揺れるような独特の熱気は、何年経っても相変わらずすごかったです」
懐かしそうに聖地を語る峯くん。昨年、同じ2年生エースとして沖縄尚学を引っ張り、今年甲子園に帰ってきた末吉良丞投手の力投についても尋ねてみた。32年前、同じように「2年生エース」として全国の注目を集め、聖地を沸かせた峯さんだからこそ、通じ合える胸のうちがあるのではないか。
「2年生で日本一なって、周りの目はどうしても気になったと思います。でも、彼らはきちんと甲子園に戻ってきている。僕は新チームになって、3年の夏は県大会の決勝で龍谷に負けて戻れなかったですから。あの重いプレッシャーの中で、翌年もまた甲子園に帰ってくるなんて本当にすごい。僕はただただ、素晴らしいなと拍手を送りたいですね」
しみじみと語るその口調を聞いたとき、時計の針が一気に32年前、1994年8月21日にタイムスリップした。
708球を投げ抜いた少年を支えたもの
「体はもう全然動かなかったですね。試合前のピッチング練習でも、当然ボールは走らないし、連投の疲れで指先の感覚すらほとんどありませんでした」。
当時を振り返るインタビューでそう答えている。
さらにチームの躍進を陰で支えたのは、佐賀商のOBであり、のちに駒大苫小牧高校の監督として甲子園2連覇を達成する香田誉士史コーチ(現・駒澤大学監督)の存在だった。徹底したデータ分析と、当時の高校野球界では極めて先進的だった緻密な戦術。「ピンチをラッキーで切り抜けたように見えたシーンも、実はすべて事前に予測された行動でした。準備があったからこそ、私たちは迷いなくグラウンドに立ち続けることができたんです」と振り返る。
4-4の同点で迎えた9回表二死満塁、キャプテン西原正勝選手のバットが快音を残し、打球はレフトスタンドへ吸い込まれ、決勝戦史上初となる劇的な満塁ホームランとなった。その裏、峯くんは最後のバッターを三振に仕留め、佐賀県勢として悲願の初優勝を成し遂げた。テレビ画面を通して、そのあどけない笑顔と両手を高く突き上げる姿を見て私自身も興奮した。