野茂英雄が初の渡米時に交渉した3球団 決め手になったのは「僕を家族のように」
代理人生活34年を誇るパイオニアが集大成としてすべて明かす「今でも悔いが残るのが、ノーラン・ライアンの日本移籍を実現できなかったことだ。そんな嘘みたいな話があったのである――」
野球界の歴史を変えた異端の代理人、魂の回顧録
団野村著書「フィールドから契約へ エージェント人生34年 交渉の記録」から一部を抜粋して掲載します。
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交渉開始
「日本に野茂英雄というすごいピッチャーがいる。来年アメリカに来るかもしれない」
私はアメリカのいくつかの球団に対して、事前に情報を与えていた。マック鈴木がいたシアトル・マリナーズの幹部にも、サンフランシスコ・ジャイアンツのスタッフにも、そしてロサンゼルス・ドジャースにも。感触はどこもよかった。だが実際の契約交渉となるとまた話は別だ。
われわれはまず、マリナーズと接触した。その副代表が、任意引退選手がアメリカでプレーできるという確認を取ってくれた恩義を重んじてのことである。ところがマリナーズは「身体検査の結果、肩にけがをしているので、メジャー契約は結べないが、マイナー契約はどうだ」と言ってきた。
次にジャイアンツとの交渉にサンフランシスコに飛んだ。空港に到着すると、なんとそこには日本人初のメジャーリーガーであるマッシー村上(村上雅則)さんが、花束を持ってわれわれを待ってくれていたのである。球団が考えた「粋な演出」は、それほど野茂への関心が高いということを示していた。
ジャイアンツは、二年契約で契約金八〇万ドルから九〇万ドルを提示してきた。メジャー契約ではあるが、契約金は当初マリナーズが提示した一六〇万ドルを大きく下回り、とても納得できる条件ではなかった。
オマリー・パパ
ドジャースのGMだったフレッド・クレアから電話が入ったのは、私の事務所があるロサンゼルスでのことだった。私たちは次にヤンキースとの交渉でニューヨークに行く前に、ロスで小休止していた。
「うちのオーナーが会いたいと行っているのでぜひ来てくれ」
招待されたのはドジャースタジアムだった。そこにはドジャースの黄金時代を築いた、球界の盟主ともいえるピーター・オマリーが待っていた。
オマリーは初対面の野茂に、休みなしに一時間半ほど話し続けた。野球の話は一切しない。ロサンゼルスという町はどんなに素敵な町か。ドジャースファミリーがどれだけ友情に結ばれているか。そのプレー環境の素晴らしさを、情熱的にアピールし続けた。
「いろんな球団から声がかかっているだろうけれど、私は心から君に来てもらいたい」
そう言ってオマリーと野茂は握手を交わした。
「野村さん、僕、オマリー・パパが好きになりました」
その後、二人で夕食をとっているときに野茂が言った。
「あの人はビジネスじゃなく、僕を家族のように思って話してくれた。みんな契約金はいくらだといった話しかしないのに、奥さんは元気か? ロスは気に入ったか? と温かく迎え入れてくれました。だから僕は、オマリー・パパのところで野球がしたいと思います」