野茂英雄の近鉄残留もあった? 交渉で代理人が描いた2つの筋書き
代理人生活34年を誇るパイオニアが集大成としてすべて明かす「今でも悔いが残るのが、ノーラン・ライアンの日本移籍を実現できなかったことだ。そんな嘘みたいな話があったのである――」
野球界の歴史を変えた異端の代理人、魂の回顧録
団野村著書「フィールドから契約へ エージェント人生34年 交渉の記録」から一部を抜粋して掲載します。
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「夢」が「計画」に
「もっと高いレベルでプレーしてみたい」
そんな思いは徐々に熟成していった。球団への不信がさらにそれを加速させ、野茂のメジャーリーグへのあこがれは、「夢」から現実の「計画」となった。そのことはつまり、当時の日本のプロ野球に、野茂英雄という宝物をつなぎとめる魅力がなかったということでもある。
「このままでは選手生命が断たれてしまう。安心してプレーできる環境がほしい」
野茂の思いは切実なものだった。プロ入りから五年。彼はチームのために休みなく働き続けた。そのために疲労が蓄積し、肩を痛めてしまった。
「どれだけスーパーな働きをみせても、一年駄目だったらそれっきりですからね」
当時、日本球界には「複数年契約」というかたちはなかった。球団は保有権という強力な権限を持っている。これによって選手と独占的に契約を結び、チームにとどめられるのだ。選手は一年ごとに球団と契約を更新し、年俸が定められる。毎年、年末になると話題になる「契約更改」だが、ここで球団はいつでも「自由契約」、つまり「クビ」を言い渡すことができる。野茂が懸念したように、急に不調に陥ったり、けがをしたりしてプレー不能にでもなれば、それでもう終わりなのである。
二つのシナリオ
「メジャーに行きたい」
すでに野茂の腹は決まっていた。だが、球団にそのことを訴えても、どうにもならないことは分かっていた。野茂から相談を受けた私は、次のことをアドバイスした。
まず、こちらから複数年契約を提示すること。野茂がFA権、つまり他球団と自由に入団交渉ができる権利を手に入れるまで、少なくともあと五シーズンが必要だった。だからそれまでの期間を保証してもらいましょうというロジックだ。いかに前例がなくとも、正当な要求だといっていい。
そこからは、二つの筋書きが想定される。
一つ目はーーまずありえないことだがーー、球団が野茂の要求を受け入れ、複数年契約を認めた場合。私はその場合、年数や年俸次第では近鉄に残ってもいいのではないかと思っていた。
二つ目のシナリオは、球団が複数年契約を認めない場合だ。私はこの可能性がきわめて高いと考えていた。慣行をたてに要求を突っぱね、引っ込めなければ「日本で野球をできなくするぞ」と、任意引退を迫ってくるだろうと踏んだのである。こちらがアメリカ行きを模索していることなど、微塵も考えていないはずだから。今ではいささか気楽に、ロマンチックに語られる「メジャー挑戦」は当時、そんなトリッキーな作戦を練らないと、扉の錠すら開かなかった。