29歳で名門・東邦の監督に 選手のひと言で気づいた「自分の野球を示す」大切さ【東邦・山田祐輔監督】
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自信がなかった母校での指導
「コーチとして東邦に戻ってきた時から『いずれは監督に』とは言われていましたので、覚悟は決めていました」
山田は東邦の主将として2008年夏の甲子園に出場し、ホームランを放っている。卒業後に立教大学に進み、レギュラーとして活躍。一般企業で3年間勤務したのち、2016年にコーチとして母校に戻ってきた。
「当時、大阪勤務だったので、甲子園にも応援に行きました。藤嶋健人(中日ドラゴンズ)が1年生の時ですね。『やっぱり野球はいいな』と感じました。トレーナーや森田監督から勧誘を受け、東邦に戻ることに決めました」
学校職員として勤務しながらコーチをつとめた。2年かけて教員免許を取得したのちに教員になった。
「コーチになった時、指導することに自信がなかったんですよね。野球の世界から3年も離れていましたから。『(現役時代はキャッチャーだったことから)キャッチャーとバッティングの指導は自由にやっていい』と言われたんですけど、自分がやるのと人に教えるのは全然違うので」
山田がサンプルにしたのが東京六大学で対戦した選手たちだ。2学年上には斎藤佑樹(早稲田大学→北海道日本ハムファイターズ)、1学年上には野村祐輔(明治大学→広島東洋カープ)ら、ドラフト1位で指名を受けるスター選手がたくさんいた。
「東京六大学は本当にレベルが高く、プロでも活躍する選手たちがたくさんいました。伊藤隼太さん(慶應義塾大学→阪神タイガース)は、所属チームは違いましたけど、中学校の先輩です。あの時代の六大学でプレーできたことが今の指導にもつながっています」
「監督が何をしたいのかがわからなかった」
「だから、この生徒は伊藤さんに打ち方が似ているからここを変えよう――そういう修正しかできなかったですね」
コーチ1年生として、ゆっくりと歩み始めた。
「指導者としてはまだまだ。『今、できることは何か』と考えた時に、自分がやるべきことは、監督の目が行き届かないところをしっかり見ることだと思いました。会社勤めをして、挨拶をはじめとした礼儀、準備の大切さを学んだことが活きました」
それから4年で監督に就任した29歳。センバツで5度の優勝を誇る名門を率いる重責は、あまりに大きかった。
「東邦の監督として、勝つことは使命だと思っています。ただ、選手とどう向き合うか、選手と一緒にどうやって戦っていくかを考えていました」
監督就任1年目、その年の3年生の言葉が今も心に残っている。
「吉納翼(早稲田大学→東北楽天ゴールデンイーグルス)がいた学年なんですけど、夏の大会が終わったあと、ある選手に『監督が何をしたいのかがわからなかった』と言われました。グサッと刺さって、何も言えませんでした。監督としてのキャリアがなくても、『こういう野球をやる!』というものを示さないといけない。そこから自分の意見や方針を打ち出しました」
そして山田は「応援されるチームになる」という目標を掲げた。