フィールドから契約へ エージェント人生34年 交渉の記録

現・参議院議員の紹介で団野村と出会った野茂英雄 「アメリカでプレーしたい」裏に球団へ不信感

団野村

【写真は共同】

野茂英雄をはじめダルビッシュ有、前田健太らをMLBへ導いた代理人・団野村
代理人生活34年を誇るパイオニアが集大成としてすべて明かす「今でも悔いが残るのが、ノーラン・ライアンの日本移籍を実現できなかったことだ。そんな嘘みたいな話があったのである――」

野球界の歴史を変えた異端の代理人、魂の回顧録


団野村著書「フィールドから契約へ エージェント人生34年 交渉の記録」から一部を抜粋して掲載します。

任意引退

「やりました!」

 私の目の前に、野茂英雄が立っていた。

「任意引退です!」

 彼の素顔を知らない人には想像ができないであろう満面の笑みで、野茂はそう言った。

 ちょっと待って。野茂が引退? それが「やりました」? 任意引退とは、球団が許さない限り、日本のどのチームでもプレーできなくなるということだ。日米の野球における選手の契約について詳しくない人は、首を傾げるだろう。それを説明するために、少し時間を巻き戻そう。

 今ではその全盛期を知らない世代も増えていると思う。野茂英雄は当時の近鉄バファローズのエースピッチャー。「トルネード投法」と称された、体を大きく後ろにひねる独特のフォームから繰り出される、強烈なストレートとフォークボールが持ち味だった。デビューした一九九〇年、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率と投手四冠を独占したほか、ベストナイン、新人王、沢村賞、MVPも獲得。勝利数と奪三振数は、それから四年連続で一位だったのだから、そのすごさを分かってもらえるだろう。今のプロ野球界を見渡しても、当時の野茂に匹敵する投手はいない。

アメリカでプレーしたい

 私が野茂英雄に初めて会ったのは一九九四年、近鉄のキャンプ地である宮崎に向かう飛行機の中だった。当時の近鉄に石井浩郎という、今は参議院議員になっている選手がいて、以前からの知り合いだった。彼は乗り合わせた野茂を私に紹介した。

「どうも」

 野茂は言葉少なに挨拶した。

 次に会ったのは東京で、確かその年の四月だった。私と付き合いのあった近鉄の選手を介して、彼の方から接触してきたのだった。

「メジャーリーグのことを聞きたい」

 そう言っているという。私はその前年、マック鈴木というピッチャーをメジャーに送り込む手助けをしていた。それを知っていてのことだったのだろう。

 場所は東京・白金台にある都ホテル東京。私はメジャーリーグの契約システムや、選手の報酬について、そのほかプレーする環境についてあれこれ話した。

「アメリカの選手はなんでそんなにお金をもらえるんですか」

「なんでFAまでの期間が短いんですか」

「選手の肖像権はどうなっていますか」

 野茂は質問を重ね、熱心に話を聞いていた。メジャーリーグでは日本と違い、プレーヤーの組合である選手会が、本来あるべき力を持っており、さまざまな選手の権利が守られている。球団側が強大な権力を持ち、一方的に選手を縛り付けている日本とは根本的に違うのだと説明すると、彼は非常に驚いていた。そして最後にこう言った。

「僕、アメリカでプレーしたいんです。どうすれば行けますか?」

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