「ここから狂い始めました」戦力外から3年 ヤクルト・増田珠がつかんだ“9年目のブレイク”
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「9年間でいろいろありましたからねぇ……」
「お久しぶりです」
忘れられていなかった。その安堵で胸が満たされる。何しろ、増田と対面するのは9年ぶりである。膝を突き合わせてインタビューをさせてもらった過去があるとはいえ、増田が一介の中年ライターを忘れていても不思議ではなかった。
「うわぁ、なつかしいなぁ〜」
増田は、私が卓上に置いたローカルスポーツ雑誌を手に取った。横浜高校のヘルメットを被り、投手に向かって雄叫びを上げる増田が表紙を飾っている。増田は雑誌をパラパラとめくりながら、「この選手、まだ野球を続けているんですか?」などと私に尋ねてきた。9年前に増田の記事を書かせてもらったこの雑誌も、すでに休刊している。
増田の容貌も、9年の歳月を感じさせた。
丸刈りだった頭髪はセンター分けになり、襟足はしなやかに伸びている。たくましい体躯は高校時代よりひと回り、いやふた回りは大きくなっていた。
私は増田を前にして、まず懺悔の意味を込めて葛藤を打ち明けた。
「増田選手が一番苦しい時に取材に来なかったくせに、今さらノコノコ顔を出して……。厚かましくてすみません」
増田は「そんなことないですよ」と笑ってから、噛み締めるようにつぶやいた。
「9年間でいろいろありましたからねぇ……」
2026年、増田は野球人生の転機を迎えていた。ヤクルトの右翼レギュラーの座をつかみ、高打率をキープ。7月にはファン投票でオールスター戦に出場した。明るいキャラクターも浸透し、今や人気選手の仲間入りを果たしている。
だが、一度は戦力外通告を受け、絶望の淵に立たされた時期もあった。まずは時計の針を9年前に戻し、増田にプロ入りからの9年間を振り返ってもらうことにした。
「ここから狂い始めました」
「1年目はプロの壁を感じましたけど、2年目にはファーム(2軍)で打率.278、53打点(リーグ2位)とそれなりに結果を残せて。少しずついい兆しが見えていました」
暗転したのは、その直後だった。高校時代にも手術歴がある右手首に痛みを覚え、病院を受診。そこで、以前の手術で埋め込んだボルトが体内で折れていることがわかった。増田は右手首の再手術を受けることになった。
増田は「ここから狂い始めました」と振り返る。
タイミングが悪いことに、世間はコロナ禍に沈んでいた。サポートしてくれるトレーナーと接触できる時間が限られ、調整が思うように進まなかった。
増田は右手首の違和感と戦い続けていた。
「半年間ギプス生活を送っていたので可動域は左手よりずっと狭くなっていますし、バットにボールが当たる瞬間、とっさに(恐怖心から)反応してしまうところがありました。なかなかうまくいかない日々が続いていましたね」
気がつけば、「若手のホープ」の立場はほかの選手に取って代わられていた。増田は暗中模索の日々を過ごした。