ロッテ・石垣元気ら逸材を中学時代から評価 強豪校で培ったスカウティング術とは?【磐田東・赤堀佳敬監督】
近年、有望中学生を巡るスカウティング活動が激化している中、いかにして中学関係者との信頼を築いているのか。どのような視点で、中学生を見ているのか。スカウティングの裏側に迫った。
健大高崎で2024年センバツ優勝を経験
静岡県磐田市にある私立磐田東高。学校から車で5分の場所にある専用球場で、赤堀佳敬監督が迎えてくれた。
今年で33歳。伊豆中央から中京大に進み、磐田南、盛岡大付、健大高崎でコーチを務めたあと、縁があって静岡に戻ってきた。物腰が柔らかく、話上手。おそらくは営業マンとしてもやっていけるのではないか。
「決勝の夜に、石田翔大からも『お世話になりました』と電話がありました。『力のない世代』と言われてしまっていて、本当に申し訳なく思っていたので、青栁(博文)監督や生方(啓介)部長はじめ、みんなの力のお陰で最後は甲子園に、しかも決勝まで行くことができて、嬉しくもホッとしています」
取手シニア(茨城)出身の石田は、サード兼ピッチャーとして、甲子園準優勝に貢献。「スイングの強さと強肩が際立っていた」と、中学時代を懐かしそうに振り返る。
彼らが高校に入学する直前の3月、健大高崎はセンバツで初の日本一を成し遂げている。3年生に田中陽翔(ヤクルト)、箱山遥人(トヨタ自動車)、森山竜之輔(国士舘大)、2年生には佐藤龍月(オリックス)、石垣元気(ロッテ)ら、中学球界を沸かせた選手がいた。いずれも、赤堀コーチが中学時代に声をかけた選手たちだ。
センバツ開幕前に、磐田東への転任が伝えられていたこともあり、「赤堀さんのために優勝しよう!」と選手の気持ちはひとつにまとまっていた。
センバツ優勝から2年半。新天地の磐田東でも、これまで築き上げてきたネットワークを生かして、独自のリクルート活動を行い、ひとつずつ実績を積み重ねている。
「信頼」が「人」につながる
夏の準決勝のスタメンを見ると、2年生が7人、1年生が2人。大会通して、試合に出場した3年生は2人のみ。2年生が、赤堀監督が初めてリクルートに関わった代になる。
「就任した4月から動き始めたので、健大時代に比べるとかなり出遅れています。それでも、さまざまな関係者が磐田東を勧めてくれて、ウチを志望してくれました」
赤堀監督には、リクルートにおいていくつかのポリシーがある。
「ひとつのポジションに対して、何人もの選手に声をかけない(高校生は試合に出てこそ、上達する)」
「中学チームとのつながりを大事にする(浅く広くではなく、深く)」
夏の大会で注目を集めたのが、一番ショート・阿部琉生と、六番レフト・阿部琥羽の兄弟だ。宮城仙北ボーイズ出身で、琉生は中学3年時の全国大会でMVPを獲得している。
「琉生は、仙北ボーイズの田中伸次監督からの推薦です。赤堀に合うタイプだと思ってくれたんだと思います」
じつは、盛岡大付でコーチを始めたとき、関口清治監督から最初に「赤堀コーチに任せる!」と言われたのが宮城仙北ボーイズだった。毎週のようにグラウンドに通い、情熱を伝え続けた。ほぼ毎年、盛岡大付と健大高崎でOBを預かっていたことが、阿部兄弟の入学につながった。
「毎年、いい選手がいるチームに積極的に声をかけて、手広くやる方法もあると思うんですけど、そのやり方は自分には合わないかなって。この仕事は、『信頼が人につながる』と思っているので、つながりを大事にしたい。長い目で見たときに、信頼関係がなければ送ってもらえなくなってしまいます」
高校野球界では、「〇〇シニアと〇〇高校はつながりが深い」と言われることがあるが、先輩が何人も入学していれば、送り出しやすいのは間違いない。
そのうえで、磐田東の名前が売れれば売れるほど、これまでに縁がなかったチームからも興味を持ってもらえるようになる。大会で結果を出すことが対外的には一番の効果であり、「おかげさまで、問い合わせが増えています」と赤堀監督は語る。
「興味を持っていただけた中学のチームと、良いお付き合いができるように、可能な限り、グラウンドに足を運ぶようにしています」
情報を共有することで信頼関係を築く
試合で活躍するのが一番だが、それと同じぐらい大事なのは連絡を欠かさないこと。このあたりに関して、赤堀監督はかなりマメだ。
中学チームの関係者に、高校での近況をLINE等でこまめに送る。活躍が載った新聞やウェブ記事はもちろんのこと、寮や練習風景を写真で撮り、ケガをしたときはその状況を連絡する。良いときだけでなく、うまくいっていないときこそ、隠さずに報告する。
親に対しても、「息子さんは今こういう状況です」とLINEを送ることがある。寮生になれば、我が子の様子をなかなか知ることができない。現状を伝えることが、信頼関係を築くためのベースとなる。
磐田東には赤堀監督が関わった選手の弟がいる。両親や兄の満足度が低ければ、弟が赤堀監督を選ぶことはまずないだろう。
1年生でセカンドのレギュラーを獲った東練馬シニア(東京)出身の杉山大雅の兄・翔大は、2025年夏に健大高崎のセカンドで甲子園に出場。今夏にエース格の働きを見せた郡山ボーイズ(福島)出身の斎藤希吉朗の兄・銀乃助も健大高崎で活躍し、2024年春にセンバツ優勝。東練馬も郡山も、赤堀監督とのつながりが深い硬式チームである。
「盛岡大付のコーチ時代に、郡山ボーイズに松本龍哉という強打の内野手がいました。中2の秋にコボスタ(楽天モバイル 最強パーク宮城)のライトにフェンス直撃の当たりを打って、ヤバイのがいるなって。当時はまだ郡山ボーイズとはつながりがなかったんですけど、そこから通うようになって、30回以上は通ったと思います」
金銭面の条件や学校のハード面など、進路選択にはさまざまな要素があるが、最後は情熱と誠意。フットワークの軽さこそが武器だった。松本は盛岡大付に入学したあと、青山学院大、JR東日本東北でプレーを続けている。今夏の都市対抗では、初戦の第一打席に先制ホームランを放った。
「松本が入学する前に、ぼくが学校を辞めることが決まって、『申し訳ありませんでした』と郡山のグラウンドに謝りに行ったんです。そのとき、小学6年生で体験入部に来ていたのが斎藤銀乃助。セカンドでふにゃふにゃしながらボールを受けていたんですけど、捕るのも打つのもきれいで柔らかい。その後も成長を追い続けていて、最終的には健大を選んでくれました。その縁がなければ、弟の希吉朗もうちには来ていないと思います」
長年築いてきた信頼関係によって、つながった縁と言えるだろう。