持ち帰らなかった銀メダル 作新学院主将を変えた、甲子園目前でのタイブレーク敗戦
※リンク先は外部サイトの場合があります
「大学1年から絶対にベンチに入って神宮でプレーする」
2026年の夏を振り返りながら、母・慶子さんがそう笑った。
作新学院の主将・澤村友真(3年)の高校野球は、栃木大会準決勝で終わった。佐野日大に0―5。甲子園まであと2勝だった。埼玉の自宅へ戻ってからも、慶子さんはなかなか気持ちを切り替えられなかったそうだ。
ところが、当の本人は違った。
「僕はもう次です。大学1年から絶対にベンチに入って神宮でプレーする。4年後にはプロに行きたい。そのために何をしなきゃいけないかを考えています」
関東の大学へ推薦入学するための準備に切り替えていた。夏休みの取材日だったこの日も1日練習を自主的にしてきたという。すでに木製バットを振り始めていた。
なぜ、これほど早く切り替えられるのか。
話を聞いていくと、友真には一年前の夏から持ち続けてきた「宿題」があった。
2025年夏。作新学院の2年生レギュラーだった友真は「2番・遊撃」で栃木大会に出場した。決勝の相手は青藍泰斗。もちろん、勝てば甲子園だった。
1点リードしての5回裏、2死一、三塁の好機で打席が回ってきた。友真はここまで2打席無安打。前の打席では無死二塁でセカンドゴロに倒れ、好機を潰していた。
「あの打席ははっきり覚えています。完全に興奮していました。『絶対に俺が決めてやる』『初球から打ってやる』って。それしか考えていなかったです」
結果は初球を振って、二ゴロ。
「狙いを絞るとか、そういう冷静さが全然なかった。決勝の雰囲気に自分が飲まれていました」
作新学院は延長10回、タイブレークの末3-4で敗れた。友真は誰よりも泣き崩れ、立つことができなかった。
「先輩となら絶対に甲子園に行けると思っていた。負けるなんて、これっぽっちも思っていなかったんです。5回の場面は、『自分が決めてやる!』という欲と、球場全体の押せ押せムードに完全に飲まれていました。頭の中は絶対に初球から打ってやるということだけで、狙いを絞る余裕も、冷静さもありませんでした。結果、無理やり打ちにいって力ないセカンドゴロ。実はその前日にバットのグリップを変えて、感覚がいつもより太くなっていて、バットが出にくい感覚があったんです。でもそれは言い訳でしかなくて、結局は決勝の雰囲気に自分が負けていたんです」
持ち帰らなかった準優勝メダル
「試合のあとも、銀メダルは見たくなかったんです。僕にとっては屈辱のメダルでした。周りは『準優勝でも凄い』と言ってくれるかもしれないけれど、僕にとっては自分の未熟さと弱さを示すものでしかありませんでした。『なぜ、神様は俺たちを甲子園に連れて行ってくれないんだ』と、最初は神様のせいにしていました。結局メダルは家に置いたまま。寮には持って行きませんでした」
当時の正直な気持ちを打ち明けた。
「でも、後からよく考えて、小針監督とも話して気づいたんです。『冷静さ』が足りなかった。タイブレークに入り、相手の代打が出た緊迫した場面で、仲間が浮き足立っている時にタイムをかけて、一声かけて落ち着かせてあげられる選手が、あの時の作新には誰もいなかった。指導者も選手も、みんなが決勝の雰囲気に流されていたんだと思います」
「どんなに状況が熱くなっていても、気持ちだけは絶対冷静じゃなきゃいけない。自分がキャプテンになったら、試合の流れを客観的に見て、スッとタイムを取って仲間の肩の力を抜いてあげられるリーダーになろうと思いました」
それまでの友真は「自分が打てばいい」という意識が強い選手だった。それが持ち味でもあった。しかし敗戦によって初めて、状況を見つめる客観性や冷静さの必要性を痛感した。「もうこんな思いはしたくない」。野球に向き合う姿勢が変わった。