記憶に残るプロ野球“親子鷹”9選+番外編“伯父甥コンビ” 「父から戦力外通告」「伯父の予言」エピソードの持ち主は?

赤星元信

父子とも高評価でのプロ入り

今季打撃好調をキープし、打率ランキングの上位につける度会隆輝 【写真は共同】

度会博文(ヤクルト)-度会隆輝(DeNA)
【父=527試合173安打、子=267試合228安打(8月27日現在)】

 父・度会博文は、ヤクルト1993年ドラフト3位。当時、野球では無名の大学出身ながら、高い評価の指名順位。神宮外苑で草野球をしていたところ、当時の名物スカウト・片岡宏雄に見初められた。98年8番三塁で開幕戦スタメンに抜擢され、2001年は右の代打の切り札としてリーグ優勝に貢献した。現在はジュニアチームの指導者を務める。

 子・隆輝は子どもの頃から父に連れられヤクルトクラブハウスに出入りし、ヤクルト選手に可愛がられていた。横浜高時代は2年上に万波中正(現・日本ハム)、1年上に及川雅貴(現・阪神)がいた。高校卒業時はドラフト指名漏れしたが、社会人野球ENEOS時代は都市対抗で橋戸賞(MVP)、打撃賞、若獅子賞(新人王)に選ばれ、中日、DeNA、ロッテの3球団から1位指名を受けた。

 DeNAでは開幕2試合連続ホームラン。新人キャンプから奔放な発言で注目され、以降かなり他球団投手陣にマークされたようだが、父子ともに元から明るい性格なのだ。DeNAは野手のレギュラーが固定されないが、隆輝自身は今季、攻守とも好調だ(失策0)。父のプロ通算173安打も超えた。レギュラーを確保できるか、今季が試金石になる。

父はスカウト、子は「教壇」という名のマウンドに立つ

2000年ドラフト2位で阪神に入団した伊達昌司は1年目にプロ初先発初勝利をあげた 【写真は共同】

伊達泰司(ロッテほか)-伊達昌司(阪神ほか)
【父=23試合1安打、子=146試合12勝】

 父・伊達泰司は法政大からロッテ1972年ドラフト1位入団。同期のドラフト1位には全体1位(大洋)の長崎慶一(外野手・法政大)、全体2位(中日)の鈴木孝政(投手・成東高)、全体3位(東映)の新美敏(投手・日本楽器)ほか、池谷公二郎(日本楽器→広島)、永尾泰憲(いすゞ自動車→ヤクルト)ら。そうそうたるメンバーが顔をそろえたが、泰司自身は活躍できなかった。

 子・昌司は同じ法政大からプリンスホテルを経て、ドラフト2位で阪神入団。逆指名でなかったのは、現役引退後、ロッテのスカウトに転身していた父を配慮したのかもしれない。

 昌司の阪神時代は清原和博(巨人)の「1試合3本塁打」の2本目、3本目を献上。移籍後、直前の在籍球団が優勝するという不運も続いた(2003年阪神、06年日本ハム、07年巨人が優勝)。

 現役引退後、教員に転身。教員経験者しか高校野球部を指導できない時代(1984年~2013年)、30年間で約30人しかいない貴重な存在の「元プロ教員」である(現在は3日間の研修受講で、元プロが高校部活を指導できる)。都立雪谷高をはじめ、好選手を育成する名伯楽でもある。

球界のサラブレッドとして中学時代から大注目

元プロ野球選手を父に持ち、そろって中日のユニフォームに袖を通した堂上兄弟(左:兄・剛裕、右:弟・直倫) 【写真は共同】

堂上照(中日)-堂上剛裕(中日ほか) / 堂上直倫(中日)
【父=320試合35勝、兄=407試合167安打、弟=1012試合476安打】

 弟・堂上直倫内野手が中学生のときにナゴヤドームで行われた中日ファン感謝デーでのエキシビションマッチ。リトルシニア東海選抜の4番打者として出場し、福留孝介から左翼スタンドに本塁打を放った。愛工大名電高では2年春のセンバツで2本塁打を打って優勝に貢献し、早くからドラフト上位指名が確実視されていた。高校通算55本塁打を放ち、2006年高校生ドラフト1巡目で3球団競合の末、中日入団。巨人は外れ1位で坂本勇人を指名した。

 中日独身寮の寮長を務める父・堂上照のもと、兄・剛裕、弟・直倫の3人が“同じ屋根の下”で暮らすことになった。当時は「落合博満監督・中日」の黄金時代で、8年間でリーグ優勝4度、日本一1度。二遊間は荒木雅博、井端弘和、三塁は中村紀洋、森野将彦、外野は井上一樹、李炳圭、福留孝介らで固まっていた時代。左の代打の切り札的な兄・剛裕はともかく、現役17年間で34本塁打の直倫は、大きく期待された打撃より、結果的には守備固め的な選手になった。

父は失敗例、子は大成功例

チームが最下位、5位に沈む中で奮闘し、助っ人の役割を果たしたマット・キーオ 【写真は共同】

マーティ・キーオ(南海)-マット・キーオ(阪神)
【父=134試合104安打、子=107試合45勝】

 父のマーティ・キーオは1968年、野村克也やブレイザーとともに南海(現・ソフトバンク)のBクラスから2位浮上に貢献したが、17本塁打46打点で可もなく不可もなくという微妙な成績で、1年間で退団した。「南海40年史」には、失敗例に名が挙がっている。

 一方、子のマット・キーオは、阪神「暗黒時代」が始まった1987年に来日。「吉田義男監督・阪神」「村山実監督・阪神」において、1987年から11勝、12勝、15勝と3年連続2ケタ勝利をマーク。しかもチーム勝ち頭だ。こちらは間違いなく優良外国人助っ人と言える。

首位打者を獲った伯父の「予言」的中

伯父である佐々木誠に才能を認められ、2020年首位打者に輝いた甥の佐野恵太 【写真は共同】

佐々木誠(ダイエーほか)-佐野恵太(DeNA)
【伯父=1581試合1599安打、甥=1086試合1082安打(8月27日現在)】

 伯父・佐々木誠はダイエー(現・ソフトバンク)1983年ドラフト6位。獲得したタイトルは首位打者1、盗塁王2、ゴールデングラブ賞4。のちに通算2000安打を達成する秋山幸二と94年トレードの交換要員だけあって、さすがの成績を残している。

 甥・佐野恵太はDeNA2016年ドラフト9位。こちらも首位打者を獲得している。この2人、共通項がある。その年のドラフト、球団の最後の「しんがり」指名である。しかも、佐野にいたってはセ・リーグ支配下選手では「しんがり」指名だった。

 だが、佐野が無名の明治大1年の冬、佐々木が監督を務めるNTT西日本の練習に参加したときのスイングを見てのこと。「恵太、頑張ればプロになれるぞ」と予言した。首位打者を獲った名選手にしかわからない慧眼、目利きだった。しかも佐野は首位打者まで獲得した。

(編集:スリーライト)

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