記憶に残るプロ野球“親子鷹”9選+番外編“伯父甥コンビ” 「父から戦力外通告」「伯父の予言」エピソードの持ち主は?

赤星元信

1993年、巨人監督に復帰した長嶋茂雄(右)と同年ヤクルトからトレードで巨人入りした子・一茂(左) 【写真は共同】

 夏の甲子園で「野球親子鷹」が何組かいた。古城茂幸(日本ハム、巨人)を父に持つ大翔選手(岩手・花巻東高)、埼玉・花咲徳栄高の岩井隆監督と虹太郎選手など。プロ野球ではどうなのだろう(?)。記憶に残る親子鷹を紹介する。

父の口から息子に「戦力外通告」

長嶋茂雄(巨人)-長嶋一茂(ヤクルト、巨人)
【父=2186試合2471安打、子=384試合161安打】

 父・長嶋茂雄は言わずと知れた「ミスター・プロ野球」。子・一茂はヤクルト1987年ドラフト1位。いま朝のワイドショーで奔放な発言で人気者だ。強肩と長打力はさすがドラフト1位のポテンシャルだったが、MLBや大相撲と違って、二世選手はNPBではあまり活躍した試しがない。それは「プロ・アマ規定」が厳しく、プロがアマを指導してはいけなかったからだろうか。

 しかも、茂雄のライバル・野村克也が90年からヤクルト監督に就任し、一茂は巨人に金銭トレードされる。ただ、プロ入り時に比べて守備はうまくなり、94年槙原寛己の完全試合達成時、三塁を守っていたのは一茂だった。しかし、監督・茂雄がリーグ優勝を果たした96年オフ、父の口から息子に「来年のチーム構想に入っていない」と戦力外通告がされた。

野村ID野球の頭脳をコーチとして生かす

2006年の引退試合後、父の野村克也監督(右)と握手するカツノリ(左) 【写真は共同】

野村克也(南海、ヤクルトほか)-野村克則(ヤクルト、阪神ほか)
【父=3017試合2901安打、子=222試合66安打】

 長嶋茂雄ジュニア・一茂を放出したヤクルトに、今度は現役時代に三冠王を獲得した野村克也監督の息子・カツノリ(克則)が1995年ドラフト3位で入団した。克則は明治大2年秋に東京六大学リーグで首位打者と打点王、ベストナイン(一塁)を獲得したが、キャッチングやスローイング技術など、プロとしての捕手では少し厳しいものがあった。それでも代打でプロ初本塁打(中日・山田喜久夫から)をマークしたときは父子で喜んだ。

 ヤクルト、阪神、楽天と、「父・監督、子・選手」の関係性が続いた。克則は選手として大成できなかったが、2006年シーズンを最後に引退後、「野村ID野球」の野球知識をもとに、楽天、巨人、ヤクルト、楽天、阪神と20年以上ユニフォームを着続けているのは立派だ。

父母のDNAが、博樹の「男気」を形づくる

1996年12月、広島に入団が決まり、父・一博(左)から祝福される黒田博樹(右) 【写真は共同】

黒田一博(南海ほか)-黒田博樹(広島ほか)
【父=777試合578安打、子=日米通算533試合203勝】

 子が一番活躍したのは黒田父子だ。父・一博は、南海(現・ソフトバンク)で1951年から53年まで、6番センターでリーグ3連覇に貢献。一博は、高卒で入団した野村克也と入れ替わりで54年に新設された高橋ユニオンズに移籍。

 子・博樹は名門・上宮高では補欠だったが、砲丸投げで五輪を目指した高校体育教師の母親の教育のもと、厳しい練習から逃げ出さなかった。一博のDNAもさることながら、博樹に「男気」の筋が一本通っているのはこの母親のしつけだろう。

 高校では黒田の在籍3年間前後に上宮高は甲子園に出たのに、黒田には縁がなく、黒田自身は無名だった。父から「大学野球が盛んな関東地方でもう一回勝負してみたらどうだ」と勧められたこともあり、専修大のセレクションに合格した。

 大学では東都2部の無名時代から、広島のレジェンドスカウト・苑田聡彦に一目惚れされ、のちの大活躍は御存知の通り。

「奇跡のバックホーム」の父も好打者

2019年、引退セレモニーであいさつする横田慎太郎。引退試合では見事なレーザービームを披露した 【写真は共同】

横田真之(ロッテほか)-横田慎太郎(阪神)
【父=917試合727安打、子=38試合20安打】

 将来を嘱望されながら脳腫瘍で死去した子・横田慎太郎。病気を発症し、視覚障害の中、2019年の引退試合での「奇跡のバックホーム」は映画化され有名だ。

 慎太郎は鹿児島実高から13年ドラフト2位で阪神に指名されたが、父・真之は高知・明徳(義塾)高から駒沢大を経て、ロッテに1984年ドラフト4位で指名された。

 高校、大学の同級生だった河野博文は日本ハム1位指名。大学2年先輩に広瀬哲朗と、1年先輩に白井一幸(いずれも日本ハム)、2年後輩に新谷博(のちに西武)、3年後輩に田村勤(のちに阪神)がいた。

 真之の入団以来2年連続打率3割(85年、86年)は、長嶋茂雄(巨人。58年、59年)以来27年ぶりの快挙。長打力こそないが、俊足巧打の好選手だった。2016年4月から23年3月まで、鹿児島商高硬式野球部のコーチ、監督を歴任した。

送りバント世界記録533個

2003年8月20日、通算512犠打を達成し世界新記録を樹立した川相昌弘(右) 【写真は共同】

川相昌弘(巨人ほか)-川相拓也(巨人)
【父=1909試合1199安打、子=一軍試合出場なし】

 父・川相昌弘は現役時代、犠牲バント533個の世界記録を保持する。サインには「World Record 533」と書き込む。遊撃手ゴールデングラブ賞6度の名手でもあった。

 昌弘の現役当時は1994年中日との最終決戦「10・8」を勝って優勝、96年広島との11.5ゲーム差を大逆転した「メークドラマ」もあった。1番(三)仁志敏久、3番(右)松井秀喜、4番(一)落合博満、5番(中)マック、6番(左)清水隆行、7番(二)元木大介と続く重量打線、その2番・遊撃を任せられた中心選手だった。遊撃ライバルには池山隆寛(ヤクルト)、野村謙二郎(広島)、石井琢朗(横浜)らがいた。現在は巨人のディフェンスチーフコーチを務める。

 子・拓也は、桐蔭学園高から桜美林大を経て、巨人2014年育成ドラフト2位。二遊間を守れるスイッチヒッターだった。現在は社会人野球のエイジェックで指導者を務める。

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