なぜ日本代表FWは欧州でなくJを選んだのか? 小川航基に町田入りを決意させた「納得の理由」
桐光学園高から当時J1だったジュビロ磐田に進んだ小川は、水戸ホーリーホック(当時J2)、横浜FCでもプレー。横浜FCに所属した2022年にはJ2得点王にも輝いている。
直近の3シーズンはオランダ1部の「NECナイメヘン」に所属し、3シーズンでリーグ戦・26得点を決めている。日本とヨーロッパのサッカー界を比較するとレベル以上に「年俸の格差」が大きく、このレベル、この年齢の選手がJリーグに戻ってくることは珍しい。しかし彼は熟慮の末、Jリーグ復帰と町田入りを選択した。
町田は「W杯に一番近いところ」
「熱意を本当に強く感じたというのが率直な感想です。(フットボールダイレクターの)原さんがオランダに何回も来てくれました。そこで話していく中で、すごく惹かれる部分もありました」
W杯の日本代表を見ると、フィールドプレイヤーは長友佑都を除く全員が海外組だった。小川の選択を見て「代表を諦めた」と受け止めるファンもいるだろう。それに対して彼はこう述べている。
「僕もそういった意見は目にすることがあるんですけど、まったく逆です。W杯に出るため、活躍するために帰ってきました。僕自身のことは自分が一番分かっています。どうやったら点を取れるか、どこのリーグ、どこのクラブ、どういった状況にいたら僕が輝けるのかを、皆さんよりも自分自身が一番よく分かっている。自分が持った選択肢の中で、W杯に一番近いところを選びました」
彼への質問は「なぜ町田加入が代表入りにつながるのか?」という部分に集中した。小川は別の質問に対して、こう答えている。
「僕はオランダに『5大リーグに行く』『W杯に出る』という大きな目標を持って渡りました。だけど今年15点、20点取ったとしても、行けて5大リーグの下位だと判断したんです。では『僕が下位のチームで点を取れるタイプのストライカーか?』と考えました。おそらくカウンターサッカーになりますが、僕みたいなタイプが活躍できるかと言われたら、そう感じない。どこでやっていても点を取らないと代表には呼ばれないし、W杯にも行けない。僕が一番輝いて、点を取れて、W杯に近いところを考えたとき、最終的にそれは町田だと判断しました」
イングランド、スペイン、ドイツ、イタリア、フランスが「欧州5大リーグ」で、三笘薫や久保建英はそこで結果を出した。小川が今オフにオランダからドイツ、フランスにステップアップすることはあり得ただろう。ただそういったリーグの下位クラブで程々の成績を残すより、町田で得点を量産するほうが代表への近道というのが彼の判断だった。
「格」が上がり、スタイルも変化した町田
例えばヴィッセル神戸も、過去には大物選手に避けられがちなクラブだった。2017年にドイツ代表ルーカス・ポドルスキ、18年に元スペイン代表アンドレス・イニエスタが加わり、そこから酒井高徳や大迫勇也、武藤嘉紀といった「欧州組」がこのクラブに集まるようになった。
結果として神戸は2023年・24年のJ1、26年のJ1百年構想リーグを制している。ポドルスキやイニエスタはJ1制覇の時点ですでにクラブを去っていたが、「神戸の格を上げる」貢献をした。
町田について言えば2024年夏の中山雄太、相馬勇紀加入が大きかった。J1昇格初年度だった町田は開幕前に昌子源、谷晃生を獲得し、9月まで首位を走る快進撃を見せていた。しかし、そのスタイルは引き出しの少ない「弱者のサッカー」で、アクチュアルプレーイングタイムの短さ、ファウルの多さなど批判が多かったことも間違いない。
ヨーロッパ帰りで代表経験のある中山、(名古屋グランパスを経由してだが)相馬が町田を選んだことで、チームは一つ上のステージに上がった。サッカーIQやスキルの高い個が加わり、サッカーのスタイルがいい意味で彼らに引っ張られていった。二人が町田で好プレーを見せ、同時に自身の価値を上げたことは、続く大物選手の呼び水にもなっている。
今季の町田はリーグ戦3試合で合計12得点を挙げている。「1-0狙いのカウンターサッカー」が、攻撃的なスタイルに変容した。原靖フットボールダイレクター(FD)は小川の加入が持つ意味合いをこう説明する。
「『素早く速攻』『前線に速く』というところから、スタイルもずいぶん変わっています。上でなく下でしっかりつないで、テテ(・イェンギ)選手が収めて、そこから相馬くんとかが上がっていくサッカーです。ただ、どうしてもチャンス構築率を上げたあとに点を取る最後のピースが足りなかった。テテ選手も伸び盛りでW杯(のオーストラリア代表)に入りましたけど、(小川には)チャンスを決める切り札という意味があります」