鈴木彩艶、PSG行き消滅→ヴィラ移籍の顛末 このステップアップで欧州のエリートGKに
※1ユーロ=現在のレートで約185円
3クラブのいずれにとっても鈴木はほぼ理想の選択肢だった
国内リーグとしては欧州最高峰であるプレミアリーグ、しかも近年は「ビッグ6」に割って入る存在となり、昨シーズンのヨーロッパリーグで優勝を飾った強豪クラブに、セリエA下位のクラブでプレーしていた23歳(移籍決定の2日後の8月21日に24歳に)の若手GKが正守護神候補として迎え入れられるというのは、それ自体異例のことだ。鈴木はこのステップアップによって、ごく限られた欧州エリートGKへの仲間入りを果たしたと言ってもいいだろう。
それにしても、この2カ月を通して鈴木の移籍先(とされたクラブ)が二転三転し、決まったかに見えた移籍が流れ、さらにまた浮上するといった紆余曲折が続いた理由は、いったいどこにあったのだろうか。結論から言えば、ヴィラに加えてPSG、ユベントスという3つの欧州強豪クラブのGK事情に巻き込まれ、複雑に絡み合った各クラブの思惑に振り回された結果、ということになる。
この3つのクラブはいずれも、正GKをめぐるそれぞれの事情を抱えていた。ユベントスはミケーレ・ディ・グレゴリオのパフォーマンスに満足しておらず、新たな正GKの獲得に動き始めていた。PSGは昨夏に正GKとして獲得したリュカ・シュバリエが途中からマトベイ・サフォノフに定位置を奪われていた。ヴィラも、33歳を迎えたエミリアーノ・“ディブ”・マルティネスの移籍可能性を見据えて後釜候補を探っていた。そしてそのいずれにとっても、鈴木は間違いなくほぼ理想の選択肢だった。
しかし、いざ獲得に踏み切ろうとなったときには、財政的な問題(ユベントス)や編成上、さらには鈴木自身のキャリアプランとのマッチングの問題(PSG)から、クラブ間の調整事案が発生し、それが解決に至らないがゆえに話が進まない、という状況が繰り返された。
以下で詳しく見るように、最終的にヴィラへの移籍で決着するためには、鈴木側とPSGの合意が破綻し、ヴィラがマルティネスの放出が決まらないまま鈴木獲得に踏み切るという、半ば強引な「リスクテイク」が必要だった。
ヴィラはW杯前の段階で鈴木をリストアップしていた
すでにW杯が始まる以前、6月半ばの段階でユベントスとマルティネスの間には移籍の合意が成立しているという報道もあった。イタリアの『ガゼッタ・デッロ・スポルト』、スペインの『ムンド・デポルティーボ』といったメディアは、その後継候補としてアレックス・レミロ(レアル・ソシエダ)や鈴木の名前が挙がっていると報じている。つまり、ヴィラはすでにこの時点から、鈴木に関心を持ちマルティネスの有力な後釜候補にリストアップしていたことになる。
7月に入ると、イタリアの『トゥットスポルト』が、ユベントスはマルティネスと年俸500万ユーロ+ボーナスの3年契約で合意していると伝え、W杯が終わった7月半ば以降、ユベントスとヴィラのクラブ間交渉が本格的に進んでいくことになる。ただ、ユベントスが提示した移籍金は600~700万ユーロと、市場評価額(transfermarktによれば1200万ユーロ)と比べても低い数字で、ヴィラがこれをのむ可能性は低かった。
こうしてユベントスは7月半ばすぎから、それと並行してパルマとの間で鈴木の獲得交渉にも着手する。この時点ですでに、最終的にユベントスが獲得することになるグリエルモ・ヴィカーリオ(トッテナム)も候補としてリストアップされていた。
当時すでに広く報じられていたように、パルマが鈴木につけた値札は3000万ユーロ~という、当時の市場評価額(同2000万ユーロ)と比べるとやや割高感を感じさせる強気なもの。しかし、23歳という年齢とポテンシャル、トップレベルのGKとして希少性の高いプロフィール(ハイボールに強い、ビルドアップ能力が高くロングキックが正確など)を考慮に入れれば、十分に正当化できる値付けだったことも確かだ。
しかしユベントスには、この6月末にUEFA(欧州サッカー連盟)との間で締結したばかりのファイナンシャル・サステナビリティ・ルール(FSR=旧ファイナンシャル・フェアプレー)に基づく和解協定によって、今夏の移籍収支をプラスに保つことが義務づけられているという事情があった。すでに前線にランダル・コロ・ムアニ(PSG)、ケリム・アライベゴビッチ(レバークーゼン)という2人のアタッカーを獲得していたこともあり、パルマの要求する3000万ユーロに応じるだけの余力、意欲は乏しかった。