「今日、打っても不思議じゃない」村上宗隆56号の直前に感じた変化 髙津臣吾が見届けた“普通の高校生”から三冠王への成長
言葉を武器にした監督の真意
山田哲人、村上宗隆、青木宣親、塩見泰隆、長岡秀樹、奥川恭伸、高橋奎二、石川雅規、マクガフ、つば九郎 etc……戦友たちへの本音も収録!
最下位、日本一、リーグ連覇、3年連続Bクラス…酸いも甘いも噛み分けた指揮官の真実
ユニフォームを脱いだ今だからこそ話せることがある――。
髙津臣吾著「愛と哀しみのスワローズ」から一部を抜粋して掲載します。
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村上宗隆─素直な普通の高校生
ムネが1位指名されたのは17年ドラフト会議のことだった。僕はこの年から二軍監督となっていたので、ルーキー時代からプロ野球選手としてのムネの歩みを間近で見てきた。
プロ入り直後の彼についての印象は、例えば「いい体格だな」とか、「よくボールが飛ぶ子だな」とか、いくつか思い浮かぶけれど、ひと言で言えば「素直な普通の高校生だな」というものだった。
ムネに限らず、すべての新人選手について言えることだけれど、指導者として常に心がけているのは、「一野球選手としてはもちろん、一社会人としてきちんと育てなければ」という思いだ。特に高校を卒業したばかりの18 歳の場合はなおさらだ。親元を離れ、社会人として新たなスタートを切る若者に、僕と出会うことによって何らかのいい影響を与えることができれば……。いや、少なくとも僕との出会いがマイナスに作用することのないように……。そんなことを考えると身が引き締まる思いでいっぱいだった。
ムネについて話を戻すと、彼の場合は一気にスター選手への階段を駆け上っていった印象が強い。入団したばかりの18年は年齢もいちばん下で、先輩選手たちの後をついていたけれど、この年のシーズン終盤にプロ初打席初ホームランを記録すると、翌19年からは一軍に定着。いきなり36本塁打を放って、一躍、注目選手の一人になった。
そして、僕が一軍監督に就任した20年、プロ3年目に当たるムネを、開幕から不動の四番に据えることにした。何も迷いはなかった。
前年は143試合にフル出場して、36本ものホームランを放っていた。リーグ最多となる184三振ではあったものの、プロ2年目の19歳としては、それまでにない、誰もできなかったすごい成績を残したことは間違いない。
それは本当にすばらしかった。でも、年が明けた20年開幕時点ではそれ以上でも、それ以下でもなかった。いくら前年に活躍したといっても、翌年も同様の成績を残せる保証などない。「ムネにはまだまだやるべきことがある」、そう考えていたからだ。ようやく、本当の四番になるためのスタートラインに立ったに過ぎない。
僕が考える「本当の四番」とは、具体的には次のようなものだ。
まずはチームを引っ張っていく存在であること。数字だけではなく、人間性であったり、普段の立ち居振る舞いであったり、発言であったり、いろいろなものが要求される。当時20歳のムネに、それを求めるのは酷かもしれなかった。けれども、単に技術の向上を目指すだけでなく、人間性の成長も同時に、僕は求めていくつもりだった。
前年にあれだけの活躍を見せていたけれど、20年が実質2年目だった。そういう意味では、本当によく頑張っていたと思う。12球団に12人の四番バッターがいる中で、「スワローズの四番は村上です」と、胸を張って言えるぐらいの成績は残していたと思う。
もちろん、当初から手放しで絶賛できる活躍を見せていたわけではない。繰り返しになるけれど、彼には自分の発言だったり、立ち居振る舞いだったり、数字以外のことをもっともっと求めたかった。成績だけでなく、いろいろなものが求められるのが四番打者だと、僕は考えていたからだ。
だから、この時点ではまだムネのことを「真の四番打者」とはまったく思っていなかった。もちろん、数字だけ見れば立派な四番だ。でも、それ以外はまだまだだった。
とは言え、プロに入ってから始めたサードやファーストの守備でも、本当に一生懸命頑張っている姿が見えたし、実際にうまくなっていた。決して本人には言わなかったけれど、守備でチームを引っ張る、打撃でチームに勇気を与えようと心がけていた姿は立派だった。