ミスタースワローズ・青木宣親の引退報告に「もっと続けなよ」 相次ぐ別れの中で奥川恭伸に託したもの
言葉を武器にした監督の真意
山田哲人、村上宗隆、青木宣親、塩見泰隆、長岡秀樹、奥川恭伸、高橋奎二、石川雅規、マクガフ、つば九郎 etc……戦友たちへの本音も収録!
最下位、日本一、リーグ連覇、3年連続Bクラス…酸いも甘いも噛み分けた指揮官の真実
ユニフォームを脱いだ今だからこそ話せることがある――。
髙津臣吾著「愛と哀しみのスワローズ」から2025年シーズンの一部を抜粋して掲載します。
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「ミスタースワローズ」・青木宣親の引退
時間にして10分から15分くらいだっただろうか?
これまで、戦力外通告を受けて辞めていく選手も含め、多くの引退の場面を見てきたけれど、僕が青木に最初にかけた言葉は、「もっと続けなよ」だった。「長い間お疲れさま」という思いはもちろんある。だが一方で、「もっと挑戦を続けなよ」という本音が、正直なところ僕の中にあったのだ。
青木は、「ありがとうございます。でも、考え抜いて決めたことなので……」と言った。本人の決意は尊重したい。しかし、やはり「惜しいな」というのが本音だった。
野球選手は、プレーしてこそ野球選手だからだ。本人にも伝えたけれど、どんなベテランでも経験したことがないのが、「辞める」という決断だ。その一度も経験したことがない決断を下した彼の勇気を、僕は心から尊重したい。
引退を発表してからというもの、彼が代打で打席に立つたびに、球場は熱狂的な歓声と独特なムードに包まれていた。あの雰囲気は本当にすごかった。
あの光景こそ、彼が日米で21年間かけて積み重ねてきたことの集大成だった。ファン、そしてチームメイトたちがみんなで彼をリスペクトしていた。これは、「青木宣親」という一流選手だからこそ生み出すことのできた、特別な熱気であり、空気だった。
若い頃の青木は、身体こそ大きくなかったけれど、「走攻守」三拍子そろっていて、さらに長打も打てる選手だった。いわば「持っていないものがない選手」である。
チームメイトとして、これほど頼りになる存在はいなかったし、相手からすれば本当に厄介な打者だったはずだ。
アメリカから戻ってきて、再び一緒に戦うようになってからは、本当に大人になった、いや、視野が広くなったと感じていた。野球選手は自分のプレーを大事にすることが基本だけれど、スワローズ復帰後の彼は、それに加えて先輩としての立ち居振る舞いや、若手への指摘、指導をしっかりこなしてくれていた。
僕は監督として、選手のロッカーやトレーナー室には極力行かないようにしていた。そこは選手たちの聖域だからだ。青木に直接、頼んだわけではないけれど、選手だけの空間については彼に任せていた部分があった。空気が緩めば何も言わなくても引き締めてくれる。チームが一丸となる雰囲気を作ってくれたのは、間違いなく彼だった。
青木が若手に与えた最も大きな影響、それは「闘う姿勢」だと思う。
彼は何度も、頭部にデッドボールを受け、脳震盪特例措置での離脱も経験した。メジャー時代には、当時最速と言われたアリエッタから頭部死球を受けたこともある。それでも、彼はホームベース近くに立ち、踏み込んで打ちにいく姿勢を捨てなかった。普通の選手なら、嫌な残像が消えずに腰が引けてしまうものだ。だが彼は違った。「絶対に打ってやる」という強い気持ちが、その姿勢に表れていた。
その闘志は、間違いなく増田珠や、岩田幸宏、伊藤琉偉、赤羽由紘といった若い選手たちに受け継がれている。彼らには、青木と一緒に過ごした時間を糧にしてほしかった。打撃や守備練習だけでなく、青木がストレッチをしている姿をよく見てほしかった。そこには「これから真剣勝負が始まるんだ」という凄まじい集中力があったからだ。
真剣勝負の舞台で、白い歯を見せている選手はいない。若手に最初からそれを求めるのは酷かもしれないが、青木のあの取り組む姿勢、準備の質だけは、しっかりと目に焼きつけておいてほしい。それが僕の願いだった。
有形無形、さまざまな功績を残してチームを去った青木宣親の引退。
それは、僕にとっても、実に寂しい出来事だった。