ハンカチ王子と呼ばれて 斎藤佑樹 54勝の記憶

「野球をあきらめたら楽になった」 塁間すら投げられなかった斎藤佑樹、大谷翔平との紅白戦で見せた復活

石田雄太

【写真は共同】

斎藤佑樹が陽の当たる舞台で挙げた54勝のうち、球場で見届けたのは33勝。
20歳の時の斎藤と出逢ってからは、勝った試合も負けた試合も、勝ち負けがつかなかった試合も、彼のピッチングを球場で観て、感じた疑問をぶつけてきた。
時は流れ、2021年11月7日、日曜の恵比寿──。
この日、引退したばかりの斎藤とランチをともにした。そこでぼくは彼に「ピッチャーとしての斎藤佑樹を描きたい」と伝えた。そのためにあらためて話を聞かせてほしい、それがプロに入ってから引退するまでの斎藤を見届けたぼくが成すべき仕事だから、と想いを届けた。だからこの一冊は、そんな斎藤との約束が結実した賜物だと思っている。
「ハンカチ王子と呼ばれて 斎藤佑樹 54勝の記憶」からプロ4年目の一部を抜粋して掲載します。

野球をあきらめようとした日

 一度だけの一軍のマウンドで、斎藤は力を入れずに強いボールを投げるという着地点をあらためて確認した。10月は宮崎でのフェニックス・リーグで投げて、プロ4年目に備える。そして2014年の名護キャンプ、最初の紅白戦で斎藤は先発ピッチャーに指名された。投げ合う相手はプロ2年目を迎える大谷翔平だった。栗山監督は2月の名護キャンプで「日本一から逆算すると……」と言ってこう続けた。「このふたりが化けるしかない。だから2月8日の紅白戦の初戦、先発は翔平と佑樹でいきます」―プロ2年目の大谷とプロ4年目の斎藤。栗山監督はその前年の秋季キャンプを打ち上げた時点で、ふたりにその決定を伝えていた。

 前の年の11月から「来年はまずこの日に投げてもらうから」と栗山監督から言われて、ずっと緊張感もありましたし、自分にプレッシャーもかけてきたつもりでした。4年目の僕に求められていたのは、先発ローテーションの一角に食い込むことです。

 意識していたのは右肩に過度な負担がかからないよう、下半身をうまく使って体重移動をすることでした。ギリギリまでバッターに球の出どころを隠して、うまいタイミングでポンと切り返して右腕を出す時、ボールを押し込むイメージをつくれればキレのいいストレートが投げられる。そうするためには左足を真っすぐ上げて右足で立つのではなく、左足を少し右足とクロスさせるように内側に入れて、右の股関節の上に上体を乗せるような形で立ったほうがうまくいきました。

 すると自然に右ヒザが折れてくるんですが、これは高校時代に右ヒザを曲げていたのとはまったく理由が違っていました。ホント、不思議ですよね。理想を求めたら、結局は高校時代の形に近づくんですから……あの時は高校時代に戻そうとしたわけではなく、まったく違うアプローチから理想を求めたら、結果的に同じような形になったんです。でも、そう考えると高校時代の自分がどれほど本能だけでいい投げ方ができていたのか、ということにもなるんですけど(笑)。

 1年前はブルペンに入ることもできませんでしたし、そう思えば4年目はいいスタートが切れていたと思います。中垣さんとも、フォームはもちろん、歩き方や走り方まで見直しました。うまく使えていない筋肉を動かすためにはどうやって足を着地させればいいのかといった、筋肉や関節のことを学んで、さまざまなトレーニングを取り入れました。満を持して迎えた4年目でしたし、最初の登板となる紅白戦では、とにかく結果を求めなければと感じていました。

 紅白戦の2月8日は土曜日で、スタンドはいっぱい、最上段には立ち見の人がズラリと並んでいました。先にマウンドに上がったのは大谷翔平です。これまでにも「マー君と投げ合う」などとよく言われましたが、ピッチャーが対戦するのはバッターですから、僕は投げ合うという意識をあまり持ったことがありません。それでも翔平の指にかかった時のストレートは高めに伸びれば空振り、低めに投げれば力のないゴロが内野の前に転がります。インコースにいけばバットをへし折る、その威力は否が応でも感じさせられました。だからこそ、僕は僕のピッチングをするだけだと自分に言い聞かせていました。力感なく、周りで見ている人が「あれっ、ずいぶん軽く投げているのに、なんだかやけにボールは来てない?」と不思議に思うような、そういうフォームで投げることがテーマでしたから、力を抜くところは抜いて、入れるところは入れる。静かに弓を引いて、ギューっと引っ張って、踏ん張るところは踏ん張って、力を溜める。そして矢を離す瞬間、一気に身体を解放してあげる……そんなイメージを目指していました。

 初球、右バッターのアウトローに投げて、バットがピクリとも動かない。これでワンストライクをとる。2球目は懐を抉るシュートを投げておいて、平行カウントからの3球目、タイミングを外す変化球をポンと投げる……目指していたのはそんなピッチングです。

 実際、あの紅白戦ではバッターをギリギリまで見ながら、内へ外へ、ポンポンと投げ分けることができていました。中田翔にインコースのストレートをレフトスタンドへ運ばれて1点をとられてしまいましたが、リズミカルなピッチングができたという印象です。

 思えばあの年のキャンプ中盤、名護から国頭(二軍のキャンプ地)へ行った時、そこでネットスローをしたら、1年前のことを思い出してしまって……よくここまで投げられるようになったなと感傷に浸りました。あの時は塁間すら投げられませんでしたし、恥ずかしい話、ホテルの部屋に戻って泣いてしまったこともありました。そのうち何とかなると思っていたのが、いつまでたっても投げられなくて、「ホント、これ、どうしよう」って、だんだん怖くなってきたんです。

 じつはその時、ふと野球やるのをあきらめたことがありました。あきらめてしまうとこれが簡単なもので、そもそも野球をやりたいと思っていたから苦しかったんです。でも、今年はもう野球はできない、リハビリの年にしよう、どうせならフォームもしっかり見直そうってハラを括った途端、楽になりました。あきらめたら、焦らなくなった。あきらめるって、大事なことなんだなと思いましたね。あきらめるってことが意外な力をもたらしてくれたんです。

 4年目の初登板は開幕2戦目(3月29日)でした。札幌でのバファローズ戦はうまく立ち上がって、4回ツーアウトまでヒット1本のピッチングだったんですが、そこから安達了一さんに初球をセンター前へヒットを打たれ、盗塁され、坂口智隆さんにタイムリーを打たれて、あっという間に先制点を許します。5回には糸井嘉男さんにスライダーをライトスタンドへ運ばれて2点目。6回には連打を浴びてさらに2点をとられて0対4とされたところで交代、勝つことはできませんでした。

 2度目の先発は少し間隔が空きます(4月10日、イーグルス戦)。この試合は立ち上がりからストライクが投げられなくて、初回、1番(岡島豪郎)、2番(藤田一也)のふたりを立て続けに歩かせてしまいました。そのランナーを2本のヒットで還して2失点。2回もまた先頭からふたりを歩かせたところで交代(51球)。この後、ファーム行きを告げられました。フォアボールをあんなに出したら、バッターとの勝負にはなりません。なぜストライクを投げられなくなるのか、それは気持ちか、技術の問題なのか……そんな課題と向き合わなければならなくなりました。

【画像提供:カンゼン】

斎藤佑樹が陽の当たる舞台で挙げた54勝のうち、球場で見届けたのは33勝。
20歳の時の斎藤と出逢ってからは、勝った試合も負けた試合も、勝ち負けがつかなかった試合も、彼のピッチングを球場で観て、感じた疑問をぶつけてきた。
時は流れ、2021年11月7日、日曜の恵比寿──。
この日、引退したばかりの斎藤とランチをともにした。そこでぼくは彼に「ピッチャーとしての斎藤佑樹を描きたい」と伝えた。そのためにあらためて話を聞かせてほしい、それがプロに入ってから引退するまでの斎藤を見届けたぼくが成すべき仕事だから、と想いを届けた。だからこの一冊は、そんな斎藤との約束が結実した賜物だと思っている。
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著者プロフィール

1964年、愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大学を経てNHKにディレクターとして入局。『サンデースポーツ』などを担当する。92年、フリーランスとなってTBS『野茂英雄スペシャル』『イチローvs.松井秀喜 夢バトルSP』『誰も知らない松坂大輔』などを手掛け、『NEWS23』では桑田真澄の現役引退をスクープした。またベースボールライターとして『Sports Graphic Number』『週刊ベースボール』に連載コラムを持つ。近著に『平成野球30年の30人』『大谷翔平 野球翔年I』『イチロー・インタビューズ 激闘の軌跡2000-2019』(いずれも文藝春秋)がある

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