【前編】「やるやつはどこでもやる」西田陸浮が貫いた覚悟 高校生に伝えたいアメリカ野球留学のリアルとは?
原点は「何もない」オレゴンでの過酷な日々
山の近くまで行くとスーパーなどもなくなるので、山へ向かう前、あるいは休日に買い出しに行くのが、グレシャムという小さな町。そこに西田陸浮(3Aシャーロット)が通っていたマウントフット・コミュニティカレッジがある。
「なんもないですよね」
西田はそう苦笑したが、確かに自然は豊かだが、野球環境として適しているとはいえない。夏の暑さは我慢できても、冬は雨が多い。西田もこう振り返る。
「外で練習したことはもう、記憶の中でほぼ何回かしかないです。そもそも(練習が)オフになる。練習場所がないので」
では、どうするのか?
「(学校には)室内練習場もない。自分のアパートから大学までの途中に小学校があって、そこに2人でいっぱいになる小さな屋根があるんですけど、そこで素振りをしていました。1日1000回」
それはもう、軒下では? というサイズだが、キャッチボールはそもそもする相手がいなかった。
「仕事をしながら、たまに練習に来るような人もいたので、キャッチボール相手もいない。だから壁当てと、遠投は小学校のグラウンドを勝手に使わせてもらって。昼間はできないので、めっちゃ夜中か、朝5時半ぐらいからやっていました」
それも相手がいるわけではない。
「思いっきり投げて、走って取りに行って。一石二鳥です。向こうまで投げて、走って取りに行って、また向こうから投げてひたすら走って。そしたらほんま10球くらいで肩作れるようになるんですよ」
フライも自分で前上に投げて、それを取る練習をしていた。
「そしたら(肩が)良くなりましたよ。めちゃくちゃ肩弱かったんですよ、僕。足は速かったんですけど、肩がすごく弱くて。みんなに言われていたんですけど、よくなってきましたね、肩」
昨年、イチローさん(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)と一緒に殿堂入りしたビリー・ワグナー(アストロズなど)がまさに、そうして肩を鍛えたことで知られる。力いっぱい遠くまで投げ、それを拾いに行く。いや、バージニア州の田舎で育った彼にとっては、それが遊びだった。
もっとも、災い転じて福となすというか、そんな状況を生かすも殺すも、本人次第。
「環境という意味ではよくないけど、自分で作るもんじゃないですか。どこでもできるんですよ、野球なんて。恵まれている場所におるからちゃんとできるのかって言われると、違いますからね。やるやつはどこでもやると思う」
時間も場所も。
「そうそう。やるっす、やるっす。だからそこなんですよね。それやったらマイナー(の環境なんて)屁でもないです。余裕っすよ。辛いこと一回もなかったです、今まで。あんときがしんどすぎて」
その経験が今のビジネスの基盤ともなっていく。
「あのとき、周りには誰もいなかった。ディビジョン1で活躍する選手もいなかったので、聞く人もいなかった。いろんな留学会社に問い合わせても知らんことがいっぱいあったし、大学側も知らないことが多かったんですよ、日本人を受け入れたことないから。その中で、自分で調べて、めっちゃ疲れましたね。毎日練習を続けるのと、ルールについて調べるっていうのをまずして。それが分かったのが留学して1年目が終わった後でした」