37年ぶり甲子園決勝再試合 田中将大ではなかった「僕にとっての宿敵」
20歳の時の斎藤と出逢ってからは、勝った試合も負けた試合も、勝ち負けがつかなかった試合も、彼のピッチングを球場で観て、感じた疑問をぶつけてきた。
時は流れ、2021年11月7日、日曜の恵比寿──。
この日、引退したばかりの斎藤とランチをともにした。そこでぼくは彼に「ピッチャーとしての斎藤佑樹を描きたい」と伝えた。そのためにあらためて話を聞かせてほしい、それがプロに入ってから引退するまでの斎藤を見届けたぼくが成すべき仕事だから、と想いを届けた。だからこの一冊は、そんな斎藤との約束が結実した賜物だと思っている。
「ハンカチ王子と呼ばれて 斎藤佑樹 54勝の記憶」から3年夏・甲子園決勝駒大苫小牧戦の一部を抜粋して掲載します。
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「明日、絶対に旗を獲りにいくぞ」
前年の秋、明治神宮大会の準決勝で僕たちは駒大苫小牧に3対5で負けました。その駒苫に夏の甲子園の決勝で、勝てなかったけど負けなかった……正直、よくやったとみんなが思っても不思議ではありません。実際、甲子園大会の途中で「そろそろいいんじゃないか……」みたいな感じが漂っていました。それも決勝が終わってからではなく、2回戦で大阪桐蔭に勝ったあたりから少し緩んだ空気になっていたような気がします。センバツVの横浜に勝った大阪桐蔭を倒して、爪痕を残したとでもいうんですかね。みんなのなかに何かしらの満足感はあったと思います。だから決勝で引き分けて宿舎に帰った時のミーティングでも、きっと和泉監督は『おまえら、よく頑張った。明日、楽になろうな』みたいな話をするんだろうなと思っていました。
そうしたら監督の口から、ビックリするような言葉が飛び出したんです。「明日、絶対に旗、獲りにいくぞ」って、ものすごい勢いの喝でした。「うわっ、マジか」と思いましたね。もちろん僕も含めて勝ちたい気持ちはあったにせよ、あの言葉を聞いた瞬間、気を抜きそうなところでもう一回、スイッチを入れられた気がしました。
監督は引き分けとなった決勝の前にはそういう決意を言葉にしなかったのに、あえて再試合の前に緩んだ空気を締め直そうとしたんです。僕も決勝で15回、178球を投げてみて、駒大苫小牧に感じていた底知れぬ恐怖感のようなものはもう、完全に吹き飛んでいました。
だから1試合目と2試合目、僕にとっての駒大苫小牧はまったく違うチームでした。相手バッターの雰囲気から疲れているのは感じたし、逆に僕たちはピンピンしている感じで……なぜか試合前から飛び跳ねるぐらいの感じになることがあるんです。それだけ気持ちが高ぶっていたというか、思ったとおりに身体を動かすことができて、思いどおりの野球ができる感じ。再試合の前は、ちょうどそんな感じでした。いずれにしてもあと1試合で夏休みでしたしね(笑)。
決勝の再試合、駒大苫小牧の先発はこの日も2年生の菊地翔太くんで、早実の先発は僕です。1回表、駒苫は1番の三谷忠央くんが右バッターボックスに入りました。その初球です。ストレートがスッとアウトコースのストライクゾーンに吸い込まれていきました。その時「このボールは最強だ」と思って感動したんです。スピードは127キロだったかな。右バッターのアウトコースへ、真っすぐがヒョロヒョロヒョロ~って、遅いんですけど、でも落ちていかない。たぶん理想的な力の抜き具合で投げられたんだと思います。こんなの、もう最強でしょう。
僕は再試合でも危なげないピッチングを続けました。120キロ台のスライダーと140キロを超えるストレートで、アウトを積み重ねていきます。ほぼストライクが先行していたし、ボールが先行してもすぐに平行カウントをつくれていました。それどころか、ツーボールになっても、まだピッチャーに有利なカウントだと思っていましたね。フルカウントでさえ「よし、いい感じで勝負できるカウントだ」と……そのくらいストライクを投げることに関して自信があったんです。あの夏の甲子園の間、僕、覚醒していました(笑)。
6回、1番の三谷くんにセンターへホームランを打たれましたが、早実も早い回から1点ずつとって、着実に点差を広げていました。そして、4対1とリードして迎えた9回表、先頭の2番、三木悠也くんにインコースのスライダーをうまく押っつけられて、レフトとショートの間に落とされます。これでノーアウト一塁となって、3番の中澤竜也くん。ここで僕は初球をセンターのバックスクリーン左へツーランホームランを打たれてしまいました。これで4対3となって、1点差です。ただ、危機感はありませんでした。むしろホームランでよかったと思っていました。あの場面、ランナーをためて攻められるほうがイヤだったので、1点差になってもランナーがいないほうが、切り替えができたと思います。
もし中澤くんの当たりがホームランにならず、フェンス直撃のツーベースヒットだったら、3点差でノーアウト二、三塁。それが、ホームランだったから1点差のノーアウト、ランナーなし。こっちのほうがいいよって、マウンドに集まったみんなともそんな話をしていました。
仕切り直しだって話して、いつもどおり、後藤が「ヘッズアップ」と声を出すと、みんなで空を見て目をつぶる。深呼吸して後藤がまた「俺らは」と切り出すと、僕たちが「みんなでひとつ」と続ける……ホームランのあと、ノーアウト、ランナーなしで迎えたのが4番の本間くんでした。あの打席は初球がアウトローに真っすぐ(146キロ、見逃してストライク)、2球目も真っすぐ(外角、ベルトの高さの140キロを一塁線にファウル)、最後がアウトローにワンバウンドのスライダー(130キロ、空振り)を投げて、三振を奪いました。
本間くんは「ホームランを打ちたくて一発狙いだった、もっとつなぐ意識を持つべきだったと悔やんでいる」と僕に話してくれたことがありましたが、でも、あの時の本間くんからはホームランを打つんだという雰囲気はあまり感じませんでした。右方向にファウルも打っていたし、なんとか塁に出たいという意識だったんじゃないかと僕は思っています。
9回が始まる時、駒大苫小牧の攻撃が2番からだったので、僕のなかでは2番、3番を抑えて、ツーアウトで4番の本間くんを迎えて、彼で試合を終わらせる流れをイメージしていました。最後の夏は(前年秋の)明治神宮大会でホームランを打たれて負けた本間くんと対戦して、そこで三振に打ちとって早実が優勝を決める、というのが僕の描いたストーリーだったんです。
ところが2番、3番に打たれて、目論みが外れちゃった(笑)。4番の本間くん、5番の岡川(直樹)くんを打ちとって、ツーアウト。ここで迎えた6番バッターが、田中くんです。きっと世の中的にはそれを望んでいたのかなと。でも、僕のなかでは駒苫打線を抑えるカギは4番の本間くんで、僕にとっての宿敵は彼だと、ずっと思っていました。
書籍紹介
20歳の時の斎藤と出逢ってからは、勝った試合も負けた試合も、勝ち負けがつかなかった試合も、彼のピッチングを球場で観て、感じた疑問をぶつけてきた。
時は流れ、2021年11月7日、日曜の恵比寿──。
この日、引退したばかりの斎藤とランチをともにした。そこでぼくは彼に「ピッチャーとしての斎藤佑樹を描きたい」と伝えた。そのためにあらためて話を聞かせてほしい、それがプロに入ってから引退するまでの斎藤を見届けたぼくが成すべき仕事だから、と想いを届けた。だからこの一冊は、そんな斎藤との約束が結実した賜物だと思っている。
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