ハンカチ王子と呼ばれて 斎藤佑樹 54勝の記憶

斎藤佑樹が明かす駒大苫小牧との延長15回 4番を迷わせた“勇気の2球”

石田雄太

2006年夏の決勝戦、斎藤は延長15回表に駒大苫小牧の4番・本間から空振り三振を奪った 【写真は共同】

斎藤佑樹が陽の当たる舞台で挙げた54勝のうち、球場で見届けたのは33勝。
20歳の時の斎藤と出逢ってからは、勝った試合も負けた試合も、勝ち負けがつかなかった試合も、彼のピッチングを球場で観て、感じた疑問をぶつけてきた。

時は流れ、2021年11月7日、日曜の恵比寿――。
この日、引退したばかりの斎藤とランチをともにした。そこでぼくは彼に「ピッチャーとしての斎藤佑樹を描きたい」と伝えた。そのためにあらためて話を聞かせてほしい、それがプロに入ってから引退するまでの斎藤を見届けたぼくが成すべき仕事だから、と想いを届けた。だからこの一冊は、そんな斎藤との約束が結実した賜物だと思っている。

「ハンカチ王子と呼ばれて 斎藤佑樹 54勝の記憶」から3年夏・甲子園決勝駒大苫小牧戦の一部を抜粋して掲載します。

駒大苫小牧・本間篤史との心理戦

 2006年8月20日、夏の甲子園、決勝。早実対駒大苫小牧―長く語り継がれる歴史的な一戦……いや、“二戦”が幕を開けた。その立ち上がり、斎藤はランナーを二塁に置いて、警戒していた4番の本間との対決を迎える。斎藤は初球、2球目と続けてアウトコースへスライダーを投げた。本間はそのスライダーを捉えた。ここで野球の神様が、悪戯心を覗かせる。

 あの時、僕がスライダーを続けたのには理由がありました。本間くんと初めて対戦した高2の秋、明治神宮大会の準決勝で、レフトスタンドへホームランを打たれたんです。その時は第1打席、第2打席と続けて三振を取っていたのに、3打席目の初球、インハイへのストレートをフルスイングしてきました。普通、三振、三振となれば、次の打席は当てにきてもおかしくないのに、大胆に思い切り振ってきた。ヤマを張られたか、あるいはクセが出てるのかなと思いました。だから夏の決勝でも、本間くんに対しては慎重になりました。

 第1打席の初球、アウトローにスライダーを投げてワンボール。2球目、キャッチャーの白川は真っすぐのサインを出してきました。でも僕は早いカウントでストレートを投げるのは避けたかったので、首を振ってアウトコースにスライダーを続けました。その球が少し高く浮いたところをきっちり捉えられてしまいます。右方向へ打球が上がった瞬間、「やべぇ、行った」と思いました。ところが、突然吹いた強い風に打球が押し戻されて、右中間深いところでセンターの川西が追いついてくれたんです。あれは、風に助けられていなかったら間違いなくホームランになっていたはずです。「ああ、野球の神様が風を吹かせてくれたんだな」と思いました。

 僕は野球の神様の存在を信じています。ただ、野球人生におけるトータルでの野球の神様はいると思っていますが、試合に勝たせてくれるとか、負けてしまうとか、そういうところに野球の神様は関わらないと思っています。いろんなことに苦しんできたり、頑張ってきたことを野球の神様は見てくれている……僕にとっての野球の神様は心優しくて、フワフワした感じの男の人です。そして、野球は一度もしたことはない。野球の神様だけど、野球を見ているわけではなく、野球をする人間を見ている。だから、すごく甘いコースにいっても打たれないとか、めちゃめちゃ厳しいところにいったのに打たれたりとか、あの時みたいに打たれたけど風を吹かせてくれるとか、野球ではなかなか起こり得ないことを平気で演出する。僕は、自分がいいと思った信念がぶれないよう、結果に関係なく、我慢してやり続けることが大事だと信じたい。そうすれば、野球の神様が味方してくれると思っているんです。

 初回をゼロで抑えたことで、2回以降、リズムをつかみました。フォアボールこそ出してしまいますが、ヒットは打たれません。4回、フォアボールで歩かせた本間くんに二盗、三盗を決められてピンチを背負いますが、5番の鷲谷修也くんをスライダーで、6番の田中将大くんをフォークで三振に抑えました。あの試合は狙って三振がとれていました。ワンストライクをこの球でとって、ツーストライクはこの球で、最後、三振はこの球で取ろうというイメージがハッキリできあがっていた。それだけマウンドで自信があったんだと思います。

 駒大苫小牧の先発は2年生の菊地翔太くんで、田中くんは3回途中、ワンアウト一、二塁の場面で出てきました。ここは小柳、檜垣が三振を喫してしまいましたが、2年秋の明治神宮大会のイメージからすると田中くんの調子はいまひとつだったと思います。それでも「ここぞ」というところではギアを一段も二段も上げてきますから、早実もなかなか点を奪うことができません。

 0対0のまま、8回表を迎えました。僕はここまで1安打ピッチングを続けていたんですが、ワンアウトから2番の三木悠也くんに痛恨の一発を打たれてしまいます。初球、外角を狙ったストレートが真ん中に吸い込まれてしまいました。三木くんはこの球を見逃してはくれません。高々と舞い上がった打球はセンターのバックスクリーンに飛び込むホームランとなって、均衡が破れます。1対0で勝つつもりで絶対に与えないと誓っていた1点を、逆に駒大苫小牧に与えてしまった。ずっとゼロゼロが続いていたところで打たれたホームランですから「うわっ、これはヤバい」と、あの時はかなり落ち込みました。

 ところが不思議なもので、あんなに欲しかった1点が、点を取られた直後に入ります。檜垣がツーベースを打って、レフトの中継ミスの間に三塁を陥れます。この走塁は大きかった……ワンアウトでランナー二塁と三塁じゃ、全然違いますからね。続く後藤貴司がセンターへきっちり犠牲フライを打って、1対1の同点に追いつきます。試合はそのまま延長に入りました。

 ピンチを背負ったのは11回表です。ヒットとデッドボールのランナーをバントで送られて、6番の田中くんを歩かせました。ワンアウト満塁となって、7番は途中からレフトの守備に入っていた岡川直樹くんです。カウントが1−1となった3球目でした。三塁ランナーが走って、岡川くんがバントの構えを見せます。ここで僕はスライダーをわざとワンバウンドさせました。キャッチャーの白川がワンバウンドのボールを胸に当てて、前に落とします。すかさず三塁へ投げて、タッチアウト……その後も抑えて、僕らはピンチを凌ぎました。

 あの場面、スクイズを外すのに高くウエストするんじゃなくてワンバウンドさせたことに驚かされたとあちこちで言ってもらいましたが、そんなに騒ぐほどのことじゃないという1球でした。右ピッチャーですから三塁ランナーは視界に入ってきますし、僕は三振を狙うイメージでスライダーをワンバウンドさせただけです。それを白川が止めるのもわかっていましたし、あれは僕らからすればいつもどおりのピッチングでした。

 結局、この試合は1対1の引き分けに終わります。15回表のツーアウトから4番の本間くんを三振……あの三振で、行ったり来たりしていた風向きが一気にこちらに向いた気がしました。初球、ボール球でしたが147キロが出て、スタンドがワーッと沸きます。スリーボールになってからひとつストライクをとっただけで、またワーッと沸いてくれる。その次も真っすぐを投げてストライクがコールされると、もう、どよめきと拍手喝采です。これは、こちらに追い風が吹き始めたなと思いました。本間くんに対して初球からストレートで押していって、フルカウントからの6球目、投げる前から手拍子が響き渡る異様な雰囲気になったその瞬間、「ここはフォークだ」と思いました。そうしたら白川もスパッとフォークのサインを出してきた。「おお、すげぇ」と思いましたね。もし僕が首を振ってからフォークを投げたとしたら、本間くんに配球を読まれていたと思うんです。でも、首を振らずにフォークを投げられた。あの最後の空振り三振は、僕に最後のピースとなる自信を与えてくれましたね。

 あれは延長11回だったかな……インコースを狙って投げたストレートが本間くんに当たってしまいました。明治神宮大会の時にインハイの真っすぐを投げてホームランを打たれていたので、インコースは得意なんだろうと思っていたんですが、1球は見せておかなきゃと投げた真っすぐがデッドボールになった。結果的には、彼が得意だと思っていたインコースへリスク覚悟であえて突っ込んだことによって、本間くんがその後、踏み込んでこられなくなったとしたら、ピッチングには勇気が必要だということになりますよね。インコースへ投げたデッドボールと、フルカウントからフォークを投げたこの2球が、駒大苫小牧の4番を迷わせたんだと思います。この自信は、確実に再試合につながっていましたね。

書籍紹介

【画像提供:カンゼン】

斎藤佑樹が陽の当たる舞台で挙げた54勝のうち、球場で見届けたのは33勝。
20歳の時の斎藤と出逢ってからは、勝った試合も負けた試合も、勝ち負けがつかなかった試合も、彼のピッチングを球場で観て、感じた疑問をぶつけてきた。

時は流れ、2021年11月7日、日曜の恵比寿――。
この日、引退したばかりの斎藤とランチをともにした。そこでぼくは彼に「ピッチャーとしての斎藤佑樹を描きたい」と伝えた。そのためにあらためて話を聞かせてほしい、それがプロに入ってから引退するまでの斎藤を見届けたぼくが成すべき仕事だから、と想いを届けた。だからこの一冊は、そんな斎藤との約束が結実した賜物だと思っている。
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著者プロフィール

1964年、愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大学を経てNHKにディレクターとして入局。『サンデースポーツ』などを担当する。92年、フリーランスとなってTBS『野茂英雄スペシャル』『イチローvs.松井秀喜 夢バトルSP』『誰も知らない松坂大輔』などを手掛け、『NEWS23』では桑田真澄の現役引退をスクープした。またベースボールライターとして『Sports Graphic Number』『週刊ベースボール』に連載コラムを持つ。近著に『平成野球30年の30人』『大谷翔平 野球翔年I』『イチロー・インタビューズ 激闘の軌跡2000-2019』(いずれも文藝春秋)がある

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