「3カ月あれば優勝候補を倒せる」甲子園68勝の髙嶋仁が明かす、“常勝智辯”を築いた指導術とは
今回は、智辯学園と智辯和歌山で一時代を築き、現在は両校の名誉監督を務める髙嶋仁さんにご登場いただき、“常勝智辯”を築いた指導術の神髄に迫ります。
※YouTube公開は2024年11月12日
甲子園通算68勝、でも「選手が来ない」
髙嶋: この戦績とかそんなのを目標にやってきたわけじゃないんで、別にどうということはないです。選手が頑張ってくれただけです。
上重: いやいや。
髙嶋: 僕は選手を絞っとるわけですよ。というのは、やっぱり往年のPL、今の大阪桐蔭のレベルと、うちのレベルがだいぶ違うんですよ。
上重: そうですか?
髙嶋: 違います。まず何が違うかというと、選手が来ない。
上重: 本当ですか!? でも「あの子、PLが狙ってたのに智辯に取られました」って話、結構聞きましたけど……。
髙嶋: あれは噂です(笑)。うちの場合はまず私学ですけど、特待生もないし、寮もない。で、1学年に与えられたのが10名。県外は2名。こういう条件です。
上重: 衝撃ですね。
髙嶋: それに成績の悪い子は来ません。野球の上手な子は中間からこの辺(下の方)が多いですけど、うちは進学校なんで大学へやらなあかん。そうなってくると、まず勉強の成績を見る。で、体が大きい。大学に行きたい。もうこれだけでいいんです。上手い下手はどうでもいい。
上重: 入ってからなんとかする、と。
髙嶋: なんとかします。
天理が4時間なら、うちは8時間
髙嶋: 自分が長崎の海星で2年生の時に甲子園出たんですけど、むちゃくちゃ感動したんです。歩いとって足が震えました。今でも覚えてます。その時に「俺、今度甲子園に帰ってくる時は指導者で帰ってこよう」と決めたんです。
上重: その感動を後輩にも味わわせたい、と。
髙嶋: そうです。1972年に智辯学園の監督に就任したんですが、当時の野球部は1回戦、2回戦レベル。ホームラン打つ子もおらんし、ちょこちょこ、ちょこちょこしとる。これはホームランを打てるような子を育てなあかん、と。
上重: 当時の奈良には天理高校がいましたよね。
髙嶋: そう。天理は毎年2人、3人プロに行っとる。うちはそんなんいてない。それを倒さんと甲子園に出れない。じゃあ、天理が4時間練習しとるなら、うちは8時間やろう、と。
上重: 8時間!授業が終わってからだと、夜中の1時、2時までですか?
髙嶋: そういう練習したわけです。毎日じゃないですけどね。それぐらい厳しくやらんと天理には勝てない。レベルが違うんでね。
上重: 実際に天理に勝つまでには?
髙嶋: やっぱり5年かかりましたけどね。でも、勝った時の感動というより、「勝って当たり前や」っていう練習はしてましたから。
髙嶋: 技術があったらそんな練習せんでもいいんですよ。PLみたいにね。でも、うちは差があるわけですから、これを埋めなあかん。普通の練習やっとったら、いつまでたっても追いつかない。これが8時間やることによって上がっていくわけです。
上重: なるほど。
髙嶋: 100m100本って言いますけど、しんどいですよ。でも、天理はそんなことやってない。走っても20本ぐらい。だから、やった分だけだんだん近づいていくんです。ハートも強くなる。
上重: 1年目で成果は出たんですか?
髙嶋: 僕が行って1年間絞ったら、次の年の夏の大会はもう決勝です。決勝で負けましたけど。高校生ってすごいなと思いました。ホームラン打てんかった子が、1年経ったら打つようになるんです。