「スカウト人生で1番ショック」指名したかった浅尾拓也、指名濃厚だった侍ジャパン捕手 元巨人スカウトが明かすドラフト秘話
どの球団も見ていなかった、後の新人王・松本哲也
専修大の江崎久GMに「あの子、どうするんですか?」と聞くと「プロに行かせたい」と言う。育成指名に持ってこいの選手でしたし、他球団も来ていませんでしたから「育成でお願いします」という話をさせてもらいました。部長の山下さんに見ていただいた時は「本当に他球団は来ないのか? 支配下で獲らなくていいのか?」と聞かれるくらい、それぐらい山下さんも一目で松本を評価していました。
育成3位での指名でしたが、「4月までには間違いなく支配下になります」とはっきり言って獲りました。その通り春のキャンプで支配下登録されて、3年目には新人王まで獲って、大手企業のテレビCMに起用されるまでになりました。そこまでの選手になるとは、さすがに私も思っていませんでした。
突然辞めた期待の若手左腕、欲しかったWBC捕手
北信越では富山の滑川高校に竹嶋祐貴という左ピッチャーがいました。当初は獲るつもりはなかったのですが、球団に「高校生の左ピッチャーがほしい」と言われ、山下部長に見てもらった試合ですごいピッチングをしたのです。球速は140キロぐらいでしたが、ボールのキレとコントロールが良くて三振も多くとりました。それを見て山下部長も「獲るぞ!」と決め、4巡目で指名することになったのです。
竹嶋は専修大にほぼ決まっていたのですが、松本指名のときでも分かるように、同大学とは良い関係性が築けていましたから揉めるようなことはありませんでした。こういったことに円滑に対応するのもスカウトの仕事ですからね。
竹嶋は2年目のオフに育成契約になり、翌年には左肘を手術しました。そこからリハビリを経て、体もできて、スピードも140後半ぐらいまで出せるようになり「来年は一軍で勝負できるぞ!」と思った矢先、「僕、辞めます」と3年目のオフに突然辞めてしまいました。都会の空気、都会の水に合わなかったのか、こちらが見ているほど自分では手応えを感じられていなかったのか、あるいは他に理由があったのか……。あのままユニフォームを着ていれば、間違いなく一軍で投げていたと思いますし、今の井上温大ぐらいになっていたかもしれません。今でも「もったいなかったな」と思い出します。
大学・社会人は東洋大の大場翔太(ソフトバンク1巡目)で行っていますが、担当は私でした。この年は有力な候補もそんなにいなくて、愛知工業大の左腕・長谷部康平(楽天1巡目)と大場が人気を二分した年でした。大場を選んだのは、小柄な長谷部と比べて積んでいるエンジンが大きくて馬力があったから。八千代松陰時代から見ていましたし、その間の成長度合いを見てきてもいましたしね。それで私は大場を推しました。
高校生では、仙台育英の佐藤由規(ヤクルト1巡目)、大阪桐蔭の中田翔(日本ハム1巡目)、成田の唐川侑己(ロッテ1巡目)の3人が頭一つ抜けていました。巨人は最終的に佐藤で行きましたが、中田の名前も挙がってはいました。散々議論もして、最終的にはピッチャーで行こう、佐藤で行こうとなったのですが、中田に関しては「素行」という部分も気にはなりました。親会社が新聞社ですから、その辺は他球団よりも過剰に気にするところもあったと思います。
2008年は東海大相模の大田泰示を1位で行った年ですね。この年も私は北信越担当でしたから、大田の指名に関わってはいません。大田を1位で行くというのはもちろん原監督の意向だと思いますが、私は「どこで使うんだろう」と思いました。守備を考えるとショートはもちろん内野で使うのは厳しいと思いましたから。
北信越地区には福井商業に中村悠平(ヤクルト3巡目)がいましたね。野球センスがすごく良くて、多分キャッチャー以外のポジションも守れたと思います。私は獲ったら野手にしても面白いとも思って見ていました。2年前に嶋を獲りたくても獲れなかった事もありましたし、良いキャッチャーというのは毎年いるものではないですから、いる年に獲っておきたいというのもありました。少し下の順位で獲りたいと考えていましたが、3巡目で先に指名したのがヤクルトでした。ヤクルトの評価は我々よりも高かったということですね。後のWBC捕手の中村とは縁がありませんでした。