「人と違う道を行く」佐々木麟太郎が開ける扉、その先に 未来の挑戦者たちへの新たなフロンティアを拓けるか
イチローが背負った「先駆者」としての宿命
ただ、仮に制度化されても「登録をする選手はいるだろうか」とあるメジャーのチームのスカウトは懐疑的だ。
「特に高校生には決断のハードルが高い。表には出ないが、いま、メジャーの各チームは日本の高校生らに正式なオファーを出して獲得を試みている。しかし、成功したのはアスレチックスが森井翔太郎を獲得したケースぐらいではないか」
なぜか?
「選手が最後の最後で尻込みするんだ。『自分はまだ通用するレベルではない」と。こっちがいくら素質を認めていると伝えても、親や高校の監督も、『無理じゃないか』と疑う。全員を説得することは簡単ではない」
言い換えれば、成功への道標が存在しないということでもある。
森井もまだ19歳。彼が何かを示せるとしても、あと数年はかかる。
イチローさん(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が、初の日本人野手としてメジャーに挑戦したのが2001年。当時、「通用するのか?」という声は、当然あった。イチローさん自身、2010年に10年連続200安打を記録した際、こう振り返ったことがある。
「最初のスプリングトレーニングで、マイク・ハンプトンというピッチャーがいましたけど、あのピッチャーと対戦したときに、『彼からヒットを打てると思いますか』っていう質問が飛んできたんですよね。まあ、あの質問は一生忘れないです」
ハンプトンはその前年までアストロズとメッツで5年連続2桁勝利を挙げ、アストロズ時代の99年には22勝4敗で、最多勝と最高勝率のタイトルを獲得。サイ・ヤング賞の投票でも2位となった。その当時、リーグを代表する好投手の一人ではあったが、イチローさんは愕然(がくぜん)とした。
「最初は侮辱から始まりましたから。かなり侮辱されましたからね、スプリングトレーニングでは」
そのイチローさんは昨年、米野球殿堂入りを果たしたが、1月にそれが決まったとき、そういうプレッシャーがあったことを否定しなかった。
「01年は野手で初めての挑戦だった。僕は、日本で7年続けて首位打者を取ったタイミングだったので、アベレージヒッターにとっては僕がその指標になるというか、基準にされるという認識があった。野手の評価、日本人の野手の評価は僕の1年目で決まるという思いを背負ってプレーした記憶があります」
できれば自分のことに集中したかったはずだが、そこまで意識せざるを得なかった。
ところで、そのときにこんな話もしている。
「今年で僕がきてから25年目になるんですけど、感覚的にはまだまだ(日本人メジャーリーガーが)少ないですよね。25年後にこんなに少ないのかという感触です。あまりにも進み方が遅い。各チームに最低1人、2人ぐらいはいるんじゃないかと期待をしていました。まだそこにまったく届いていない。これは僕の感想ですね」