週刊MLBレポート2026(毎週木曜日更新)

「人と違う道を行く」佐々木麟太郎が開ける扉、その先に 未来の挑戦者たちへの新たなフロンティアを拓けるか

丹羽政善

マーリンズの入団記者会見に臨んだ佐々木麟太郎 【写真は共同】

イチローが背負った「先駆者」としての宿命

 いま、メジャーの世界では来年以降の労使交渉が行われていて、世界ドラフトも俎上にあがっている。詳細はこれからだが、日本の高校生、大学生でも登録をすればメジャーのチームが彼らを指名できるという枠組みが検討されている。

 ただ、仮に制度化されても「登録をする選手はいるだろうか」とあるメジャーのチームのスカウトは懐疑的だ。

「特に高校生には決断のハードルが高い。表には出ないが、いま、メジャーの各チームは日本の高校生らに正式なオファーを出して獲得を試みている。しかし、成功したのはアスレチックスが森井翔太郎を獲得したケースぐらいではないか」

 なぜか?

「選手が最後の最後で尻込みするんだ。『自分はまだ通用するレベルではない」と。こっちがいくら素質を認めていると伝えても、親や高校の監督も、『無理じゃないか』と疑う。全員を説得することは簡単ではない」

 言い換えれば、成功への道標が存在しないということでもある。

 森井もまだ19歳。彼が何かを示せるとしても、あと数年はかかる。

 イチローさん(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が、初の日本人野手としてメジャーに挑戦したのが2001年。当時、「通用するのか?」という声は、当然あった。イチローさん自身、2010年に10年連続200安打を記録した際、こう振り返ったことがある。

「最初のスプリングトレーニングで、マイク・ハンプトンというピッチャーがいましたけど、あのピッチャーと対戦したときに、『彼からヒットを打てると思いますか』っていう質問が飛んできたんですよね。まあ、あの質問は一生忘れないです」

 ハンプトンはその前年までアストロズとメッツで5年連続2桁勝利を挙げ、アストロズ時代の99年には22勝4敗で、最多勝と最高勝率のタイトルを獲得。サイ・ヤング賞の投票でも2位となった。その当時、リーグを代表する好投手の一人ではあったが、イチローさんは愕然(がくぜん)とした。

「最初は侮辱から始まりましたから。かなり侮辱されましたからね、スプリングトレーニングでは」

2001年4月2日、メジャー初打席に立つイチロー 【写真は共同】

 ただ、彼の成功があって、後に続く選手が現れるようになった。逆に、もしも結果を残せなかったら、「あのイチローが通用しないなら、誰も通用しない」という空気になって、野手は挑戦を躊躇(ためら)うようになったのではないか。

 そのイチローさんは昨年、米野球殿堂入りを果たしたが、1月にそれが決まったとき、そういうプレッシャーがあったことを否定しなかった。

「01年は野手で初めての挑戦だった。僕は、日本で7年続けて首位打者を取ったタイミングだったので、アベレージヒッターにとっては僕がその指標になるというか、基準にされるという認識があった。野手の評価、日本人の野手の評価は僕の1年目で決まるという思いを背負ってプレーした記憶があります」

 できれば自分のことに集中したかったはずだが、そこまで意識せざるを得なかった。

 ところで、そのときにこんな話もしている。

「今年で僕がきてから25年目になるんですけど、感覚的にはまだまだ(日本人メジャーリーガーが)少ないですよね。25年後にこんなに少ないのかという感触です。あまりにも進み方が遅い。各チームに最低1人、2人ぐらいはいるんじゃないかと期待をしていました。まだそこにまったく届いていない。これは僕の感想ですね」

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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