名将・小倉全由元監督が明かす秘話「帝京が憎くて憎くて....」 PL学園との甲子園決勝で感じた立浪和義の凄さとは?
※収録は2025年
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甲子園は「監督で行くところじゃない」
小倉:もっと甲子園に出たかったな、と思います。
ーー甲子園はやっぱりいい場所ですか?
小倉:やっぱり甲子園はいいんですが……監督で行くよりも、あそこは現役で行くところです。自分は現役では土を踏んでいないので、選手たちが羨ましかったですね。だからこそ、選手を連れて行ってあげたいという気持ちが強くなりました。
ーーOBも素晴らしい選手が並んでいます。近藤一樹さん、山﨑福也投手、高山俊さん、坂倉将吾選手など、数々の選手をプロに送り出してきましたが、そもそも大学卒業後すぐに関東第一の監督に就任されたのですか?
小倉:大学を出て就職浪人をしていました。大学4年間は、拓大紅陵で監督をされていた小枝監督のもとで学生コーチをやっていまして、大学を卒業した12月から関東第一でコーチをして、年明けの4月から監督、という流れです。24歳から監督でした。
ーー若くして監督になった当時の心境は?
小倉:もう右も左もわかりませんでした。学生コーチ時代は責任もそれほど重くなかったですし、そもそも自分は肩を壊して思うように野球ができなかったので、「大学に行ったら遊ぼう」くらいの適当な男だったんですよ。
小倉:大学の野球部には入っていなかったのですが、小枝監督から「暇なんだったら手伝いに来い」と声をかけていただいて。大学4年の時に小枝監督が17年ぶりに夏の甲子園に出たんです。その時、グラウンドでノックをさせてもらって、「甲子園ってこんなに素晴らしいんだ。指導者としてやりたい」という気持ちが強くなりました。あの甲子園がなかったら、指導者の道には進んでいなかったかもしれません。
「帝京が憎くて憎くて」打倒・前田が原動力に
小倉:帝京の前田さんにことごとく打ちのめされたんです。5年目で出たチームは、秋の一次予選で10対1で負けて、春の東京大会の決勝でも9対2で負けました。しかも帝京はエースを出してこなかったんです。サードの肩の強い選手が投げてきて、それが打てなかった。
ーーそれが原動力になったんですか?
小倉:帝京が憎くて憎くて……前田さんの人間性なんて知らないのに。(ユニホームの)縦縞が許せなかった。「打倒帝京」「打倒前田さん」というところだけで野球をやっていましたから、あの時は選手たちも「甲子園に行くんだ」じゃなくて「帝京を倒すんだ」という気持ちしかなかったですね。
ーー後に前田さんとはどんな関係に?
小倉:今でも話すんですが、「あの時の小倉を見てとんでもない生意気な野郎だと思われたんじゃないですか」と言ったら、前田さんは「早実の和田監督になかなか勝てなくてな。でもそういうことがあるから頑張れるんだよ」と言ってくださって。やっと認めてもらえたような気がして、そこで初めてそういう関係が築けました。