男子バレー界の象徴からコーチ転身の清水邦広 3人の僚友が証言する「不屈の男」の格別エピソード

田中夕子

五輪期間中も2日に1回の注射

東京五輪出場時の清水(中央、背番号1)。この時も満身創痍で戦った 【Photo by Toru Hanai/Getty Images】

 どれほど屈強な男でもさすがに厳しいだろうという大けがからも復帰を果たし、東京五輪のコートに立った。だが当時から、右膝の痛みは増すばかり。村島トレーナーは五輪期間中も「毎日ギリギリの状態だった」と明かす。

「皆さんが思っていた以上に膝の状態は悪かったし、痛いんです。でも『やる』と決めて彼はやり抜いた。五輪も期間中も2日に1回痛み止めとヒアルロン酸の注射をして臨んでいました。出場機会は少なかったですけど(決勝トーナメント進出を決めた)イラン戦で、ブロックタッチをしたんです。あのシーンは今でもはっきり覚えているし、彼の曲げない意志があったからあそこまでこぎついた。周りはハラハラしながら見守るんですけど、でも彼のおかげで一緒に突き進めました」

 引退を決めた理由を清水も「膝の状態がかなりよくなかった」と語ったように、さすがにここ数年は限界を越えていた。優勝で引退を飾った25/26シーズンもコーチ兼任ではあったが、選手としてよりもコーチとしての比重が高かった。だが、そこで見せる姿が実に清水らしい。伊藤コーチがそう言う。

「試合期はメインで出る選手たちが6対6の練習をする中、そこに入れない選手は隣のコートで練習するしかない。でもそういう時に清水が彼らについてくれて、練習する。普通のコーチだったらその距離感ではできない。だけど、清水自身が何度も這い上がってきた選手たちを若い選手は見ていますから。その人が今そばにいて、練習を見てくれる。『清水さんの言うことを聞いて一緒にやっていれば間違いない』という安心感が生まれるんです。それだけでもすでに彼は、僕よりすごいコーチですよ」

世界、逆境の経験からコーチとして新時代を

今年5月、SVリーグ優勝を決めて胴上げされた清水。有終の美を飾っての引退となった 【写真は共同】

 清水が日本代表の中心に立ち続けた頃は、今より世界との差はずっと開いていて、分厚くて高い壁に何度もはねのけられた。始まって5分で0対8、一方的な展開でストレート負けが続く時代も、そう遠い昔ではない。だがその時も諦めず、選手生命を奪いかねないケガの後でも諦めず、立ち向かい続けた姿がたくさんの人に勇気を与えた。

 それこそが、コーチとして本格的に新たなスタートを切る清水の武器でもあると言うのは白澤コーチだ。

「世界での経験があって、逆境ほど強い。逆境に立ち向かうのが大好きなコーチになると思うので、その経験を伝えてあげるだけでも選手は心強い。プレースタイルを見てもわかりますけど、若い時とベテランになってからは全然違って、ただパワーで打つだけのプレーも教えられるしテクニックの部分でも教えられるのが清水です。後輩の扱いもうまいので、みんなの前でふざけてアホなフリをしていますけど、それも清水だからできること。選手の頃はギラギラ戦ってきましたけど、これからはまた違う楽しさを味わいながら、新しいチームをつくっていってほしいです」

 また新たな時代を築くべく――。清水の“これから”も、たくさんの人たちが楽しみにしている。

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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