男子バレー界の象徴からコーチ転身の清水邦広 3人の僚友が証言する「不屈の男」の格別エピソード
長きに渡り日本のバレーボール界の象徴であり、誰からも愛された。清水の現役引退が発表されてから、清水と同じ時代を過ごし、追ってきた選手、スタッフの話を聞いた。誰もが皆、「あの頃の清水」を嬉しそうに浮かべる中、ブルテオンや日本代表で長き時代を過ごした3人のスタッフに聞く話はまた格別のエピソードに溢れていた。
選手生命を脅かすほどの大ケガを負いながら
「若い頃は(ブロックの)上から打たれる。年齢を重ねてジャンプが落ちてきても、今度はテクニックで決められる。何回やられたかわからないですよ」
24年10月から伊藤は大阪ブルテオンのコーチとして清水と共にプレー、日本代表でも長い時間を共にしてきたが、かつては東レアローズのコーチ兼アナリストとして何度も清水と戦った。そして何度も苦汁を舐めた。
対戦相手としては手に負えない、厄介な相手だったが伊藤にとって清水は「尊敬する存在」。エースとしてチームを鼓舞する姿、どんな状況でも諦めない姿に何度も胸を打たれた、と回想する。
「彼が大けがを負ったあの試合、僕も会場にいました。自チームの試合を終えて、次の対戦に向けてデータを打っている最中だったんです。僕だけじゃなく、誰もが衝撃を受けたあの状態から復帰して、オリンピックの舞台に立って、現役であり続けた。本当にすごい選手だと心から思う。だから、ブルテオンに入った時の挨拶で言ったんです。『尊敬する清水と大好きな永野(健)と一緒にやれて僕は幸せです』って。それぐらい、心から彼のことをリスペクトしています」
伊藤が振り返る“あの試合”は2018年2月、清水が右膝前十字靱帯断裂を含む全治12か月に及ぶ大けがを負った、VリーグファイナルステージのJT(現・広島サンダーズ)戦だ。バレーボール選手に限らず、選手生命を脅かすほどの大けがで、そのまま現役引退を余儀なくされてもおかしくない状況だった。
「あんな選手を僕は他にみたことがありません」
「僕がパンサーズ(大阪ブルテオンの前身、パナソニックパンサーズ)に入った頃は、彼と何度も衝突しました。コミュニケーションもちゃんと取れていなかったので、彼が代表から戻ってきて、ひどい足関節捻挫をした時も僕は知らなかった。動きをみて『大丈夫か?』と確認しても『大丈夫っす』って言いながら天皇杯で優勝した。でもその後もあまりに痛みが続くので、さすがにこれはおかしい、となって僕も何度も彼と話して、少しずつ関係性が深まっていく中でドクターにみていただいたら腱が脱臼していると。先生からは『このままプレーしていたら切れていたよ』と言われるぐらいの症状だったので、そりゃあ痛いはずなんですよ。でもその状況でも、清水はやる。2012年のOQTがあったので、リーグを終えてすぐに手術しましたが、その時も『もっとリハビリの期間を短くできないですか?』とか、ダメだと言われているのに根性でやる(笑)。アスリートとして、ケガと向き合ううえで復帰を急ぐのはもちろんいいことばかりではないです。でも、たいていの選手が足首を軽く捻っただけで動いても支障がない状態なのに『無理です』と言う中で、『これ以上やるな』と言ったのは清水だけ。あんな選手を僕は他にみたことがありません」
根性や気合ではなく理論に基づき、ケガからの競技復帰に寄り添うトレーナーだからこそわかる、清水の凄さ。同じ時代、共にコートへ立ち、22年に引退し昨季までブルテオンのコーチを務めた白澤健児にも、同様の記憶がある。
清水自身もセミファイナル後の引退会見で「印象に残る試合」として述べた、堺ブレイザーズ(現・日本製鉄堺ブレイザーズ)と対戦した09/10シーズン、Vリーグの決勝だ。
2日後に控えた決勝へ向け、高圧濃度の酸素カプセルを利用したが、出る際に足を引っかけてしまい足の指までざっくりと切れた。清水曰く「小指はブランブランの状態だった」という状態ですぐに病院へ行き、6~8針縫った。それでも清水に「できない」とか「やらない」という選択肢はない。
ケガした足をグルグルにテーピングで固めて練習を終え、シューズを脱いだら足は血だらけで真っ赤だった。「それでも勝てたのはすごいと思った」と清水は笑うが、無理だと思う時でもやる。それが清水だった、と白澤は言う。
「ケガをしても、どんな時でも『できる』『やる』というタイプの人間だから、『大丈夫』って言いながら試合を終わったら靴下もシューズも血だらけになっている。今の時代に合っているかはわからないし、その『やる』で選手寿命が短くなるかもしれないのに、彼にそれは関係ない。チームのためにやる。“俺はエースだからどんな時も点数取ったる”っていう姿を見せるのが僕の見て来た清水でした」