吉井理人「なんで思った通りに...」ロッテ監督時代の大後悔 どうしても抑えられなかった宿敵・新庄剛志【野球人生相関図】
長きにわたって野球界の第一線を歩んできた吉井理人氏が、自身の野球人生を彩った人々との関係、そして忘れられない試合について語る「野球人生相関図」。その濃密な経験から紡がれる言葉には、知られざるエピソードと深い思索が詰まっていました。
※収録は1月28日
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「自分で考える」ことの原点、恩師・尾藤監督
やっぱり(箕島)高校の監督だった尾藤公さんです。尾藤さんは指導方針が選手任せというか、「ピッチャーのことは分からないんで、お前ら考えてやれ!」という方だったので、自分で考えて行動することを高校時代に教えてもらいました。
自分が野球選手として成功したのは、本当に自分で考えることを教えてくれたからだと思っています。その成功体験から、コーチになっても選手から答えを引き出すようなコーチングに繋がっていると思います。
思い出に残っているエピソードは、叱られたことや怒られたことばかりです。一般常識に厳しい方で、電車の中で野球部員みんなで歌合戦をやったんですよ。すると、お客さんの中に尾藤監督の知り合いがいたようで、夏休みの暑い中、朝から晩まで校歌を1日中歌わされたことがあります。これが一番印象に残っていますね。
メジャーで出会った「友達でありライバル」
あまり考えたことないんですよね。自分勝手な選手だったので、「誰かと競ってやっつけてやろう」という気持ちはなかったですね。ただ、メジャーリーグ(ニューヨーク・メッツ)に行った時に5人の先発ローテーションを争う中で、5番目の先発ローテーション候補が7人いました。「こいつらがライバルやな」と思ってスプリングトレーニングを過ごしたことはありました。
最終的に残ったのは僕とホアン・アセベドというメキシコ人でした。当時の監督がボビー・バレンタイン監督だったので、開幕直前にホアン・アセベドをトレードに出してくれました。そして自分が5番手に決まったという経緯がありました。ただ、一番初めに仲良くしてくれたのがアセベドだったので、友達でありライバルであったという感じですかね。
「唯一の友達」伊藤智仁とのカラオケ秘話
友達少ないんですよ、私。唯一の友達が元ヤクルトの伊藤智仁。今でも連絡を取ってご飯を食べに行ったり、仲良くしてもらっている数少ない友達です。(近鉄から)トレードでヤクルトに移籍して、伊藤智も多分友達いなかったんですかね。なぜか気が合って、当時は海外キャンプ(アリゾナ州ユマ)だったんですけども、いつも2人で隠れて練習してたんですよ。
そしたら「伊藤と吉井おれへんぞ」ってコーチが言って。でも野村(克也)監督はちゃんと練習してるのを知っているので、「あいつら大丈夫やから放っておけ」という感じでした。
遠征に行って一軍の試合に行って、夜眠れない時とか2人でご飯に行ったり、男2人でカラオケに行ったりとか。当時流行っていたのがMr.Childrenで、ミスチルのコンサートみたいな感じでガンガン歌ってくれて。それを聞いているのが楽しかったです。本当に楽しい男なんで。
野茂英雄がいなければ、今の日本人メジャーリーガーはいない
野茂英雄ですね。近鉄の後輩なんで、すごく仲良かったですよ。1年目は本当に真面目にやっていたので、リリーフタイトル以外の全ての投手タイトルを取っちゃったんですよね。
2年目からちょっとプロ野球を舐めていたのか、結構夜遊びとかもするようになったんですけど(笑)。夜遊びというか、食べ歩きですよね。試合が終わってからみんなでご飯を食べに行くんですけど、めっちゃ食うんですよ。
メジャー志向が当時から強かったので、アメリカの選手の話をしたりとか、自分のやりたいことを貫き通す。ルールをこじ開けてまでメジャーに挑戦したんですけども、自分も若い頃からもうメジャーに行きたいと思っていたんですけども、契約でアメリカ行きたいですと言ったら「アホか」と言われるような時代だったんですよ。
マイナー契約で行って、あの時は(MLBが)ストライキしていたので開幕もちょっと遅れて。でもそこからの大活躍でメジャー離れしていたファン、アメリカのファンも野茂フィーバーで呼び戻していたのでね。野茂がメジャーを救ったと言っても過言ではない。これ多分今の若い人は知らないと思うんですけども、本当に彼がいなかったら今のメジャーの日本人選手はいないので、すごく尊敬しています。